「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ」(北海道版)2002年9月号より
 

     コスタリカが軍隊をすてたわけ
 

         鈴木 頌 「コスタリカ小史」 より要約 

         全文は http://www10.plala.or.jp/shosuzki/history/costarica.htm

         ※この文章は、「軍隊をすてた国」札幌上映会に向けて行った学習会の内容をまとめたものです。

 
中米の小国コスタリカは、コロンブスによる「発見」後、スペイン人の支配に激しく抵抗した先住民が戦いのなかで絶滅してしまい、地主と奴隷という関係ではなく白人のみ、自営農のみの均質な社会となった。このような、他の中米諸国と異なる特徴の下で、自然発生的に民主主義が育っていった。
1868年に独立したコスタリカは、農業だけの貧しい国だったが、コーヒーやバナナ生産などで少しずつ発展していく。20世紀に入って貧富の差ができると階級分化が起こり、富国強兵政策の下、軍隊を持つようになる。

「改革」と軍隊の廃止
1929年の大恐慌以降、不況の中で労働運動が激しくなると、「ポピュリスト(人民主義)」と呼ばれる政治が行われる。40年代後半からは、8時間労働、教育の充実など進歩的な政策が行われ、与党だけでなくカトリック教会や共産党までも当時のカルデロン政権を支持する状況になった。
第二次大戦後東西冷戦がはじまると、レッドパージ旋風が吹き荒れ、アメリカはコスタリカに対し「共産党が入っているような政権は認めない」という立場をとるようになる。48年の大統領選挙では、カルデロン派とアメリカが支持する保守党が対決、保守党が勝利するが、「不正選挙」とのカルデロン派の訴えに、議会が「選挙無効」を宣言。これに怒ったアメリカは政権を明け渡すよう圧力をかける。ここで、保守党と別に政権を目指す社会民主党のフィゲーレスは、カルデロン派と対立し武装闘争に立ち上がり、わずか6週間で歴史的な勝利を収める。
フィゲーレスは、18ヶ月後に保守党の候補を大統領にするという条件で政権につき、共産党弾圧を進め親米路線をとる一方でカルデロンの改革を継続し、さらに大胆な改革を行った。その中で軍隊の廃止も決定され、その代わりに市民警察を作って、最小限の自衛力でいざとなれば米州機構に頼るという路線をとった。55年頃までに「軍隊は要らない」という世論が形成される(ただし、アメリカ依存が前提)。この後、2大政党制による政権交代が行われるようになり、一種の”馴れ合い”の下でコスタリカは階級対立のない発展を遂げる。

「親米」と「非同盟」の間で
60〜70年代には、米州機構でキューバ糾弾決議を主導し、65年ドミニカでの「逆クーデター」に対するアメリカの軍事介入を支持、市民警察”派兵”まで行うなど、親米路線をますます強化する。しかし、70年代後半になると非同盟運動の高揚の中でラテンアメリカの一員としての道を探り、「アメリカべったり」を見直す方向に転換、ニカラグアの民主化を支援する。
ニカラグアの影響を受け、エルサルバドルでも民主化の動きが出てくると、”ドミノ現象”を恐れるアメリカは「コントラ」(反革命軍)を組織してニカラグア干渉政策をはじめる。コスタリカはうまいことを言ってアメリカから援助を引き出したが、ただでは済まなかった。85〜86年にはコントラがコスタリカを足がかりにニカラグアを侵攻し、コスタリカがニカラグアと戦争寸前の状態になる。右翼の攻撃も激化し、マスコミも戦争の方向を煽った。

「非武装中立」を合言葉に
情勢が緊迫する中、モンヘ大統領は「永世非武装中立宣言」を発表し、国民アンケートを実施する。国民の支持は圧倒的で、83%が軍創設に反対の意思を表明した。この宣言には法的拘束力はないが、後の平和運動の合言葉になっていく。86年2月の大統領選挙では「アメリカの経済支援をとるか平和をとるか」の選択が迫られた。コスタリカ国民は平和を選択し、中立維持を訴えるアリアスを大統領に選ぶ。
アリアスはコントラ支援を停止、これにアメリカは激怒するが、イラン・コントラゲート事件発覚によりアメリカのコントラ支援作戦も下火になり、アリアスの提案を元に和平案が合意に至る。その後コントラは衰退し、コスタリカは無傷で非武装中立を保つことができた(ニカラグアとエルサルバドルが大きな犠牲を払ったのとは対照的に)。
その後も政権交代はあったが、モンヘ宣言の非武装中立路線を維持した上で、アメリカとの関係修復をはかる。また、80年代にほとんど軍隊と化した市民警察は再編され、人権侵害も減少している。

「軍隊廃止」は国民のぎりぎりの選択
ごく荒っぽく結論を言えば、40年代フィゲーレスの下でたしかに軍隊は廃止された。それは単なる名目的なものではなく、間違いなく軍隊としての性格を失った。しかし、抜け道はあったし、それを利用しようとする力も働いていた。
しかし80年代の厳しい情勢の中で、非武装中立の問題はその真価を問われた。そしてコスタリカ国民は言葉だけでなく実体として非武装中立を選択した。それは何よりもまず選択であり、一つのイデオロギーである。それは非同盟の思想であり、中南米諸国、ヨーロッパ諸国との連帯の思想であり、アメリカの全一的支配からの自立の思想である。
もうひとつの結論としては、コスタリカの非武装中立は、80年代における中米人民の激しい闘争があって初めて、真の意味で実現したものである。たしかにニカラグアやエルサルバドルの闘いは、それ自体として成功したとは言えない。しかしニカラグアの闘いがコントラの侵略を跳ね返すに十分な力を持っていなかったら、コスタリカは今頃非武装中立どころか、市民警察という名の軍隊が支配する恐怖国家となっていたかもしれない。このあたりが歴史の弁証法でありおもしろいところだ。
いずれにしても、コスタリカの非武装中立を、「何よりも平和を!」という国民のぎりぎりの局面でのぎりぎりの選択として捕らえるとき、それは限りない感動と示唆をわたしたち日本の国民に与えてくれるのではないか。

 

「軍隊をすてた国」札幌上映実行委員会

北海道AALA連帯委員会