95年度北海道AALA定期総会議案

第三世界情勢の全般的特徴

 94年は,平和と民主主義,生活向上を願う世界の人々にとって,複雑で困難な年でした.
 さまざまな地域紛争や経済困難の中で,部分的には米国による支配が強まるという側面が現われています.今年の最大の政治的特徴としては,米国の目指す新世界秩序の枠組みが,これまで以上に鮮明になったことです.北朝鮮の核疑惑問題で味をしめた米国は,軍事的覇権と経済的覇権を結合させて,世界を自らの全一的支配のもとに置こうとしています.
 これに対する反対の声も高まっています.3月コペンハーゲンで開かれた国連主催の社会開発サミットは,187ヶ国130人を越す首脳が参加するなど最大規模の会議となりました.並行してNGOフォーラムが開催され,2千のNGOが参加したことの意義は大きいものでした.発展途上国への支援拡大を拒否するクリントンやメージャーが欠席したこともこの会議の特徴でした.
サミット会議は「社会開発とは人民の安全保障」とする基調報告を確認しました.この報告を,具体的成果に乏しいと批判する声もあります.しかし昨年の「雇用サミット」にくらべれば,貧困や失業を「人間の尊厳に対する罪」と宣言し,市場経済万能論を排して,人類の生存権保障を最大の課題として打ち出したことの意義は小さいものではないでしょう.
 世界の平和,民主,民族運動は統一されているとは言えない状況にあります.しかし,米国が経済覇権,軍事的支配,核脅迫の路線を一体のものとして押しつけるにつれ情勢は変わらざるを得ません.米国の支配に反対する世界のさまざまな人々は,経済の自立,民族の尊厳,非核平和をもとめて一体のものとならざるを得ません.
 94年はバンドン声明40周年の年でした.バンドンが発した国際連帯の訴えは,いまさらに輝きを増しています.私たちAALA連帯委員会は,40年の闘いの国際的伝統にたち,さらに連帯活動を強めなければなりません.

@米国による核支配の強化
「防御・核拡散防止イニシアチブ」の試金石
93年12月,国防省が発表した「防御・核拡散防止イニシアチブ」は,核拡散防止を口実として,イラン・イラク・北朝鮮・リビアなどの国を封じ込めようとするものでした.いわば,核廃絶をもとめる世界の世論を逆手にとって,自らの覇権を押しつけようとするものです.それは東西冷戦時代に社会主義封じ込めにもちいた理屈と同じです.(94年報告参照)
チーム・スピリット演習と日本の役割
この「構想」の格好の実験台となったのが北朝鮮の核疑惑問題です.核疑惑問題は,日本のマスコミでは,どの原子炉がいいかなどの話になってしまい,余り本質的な取り扱いを受けませんでした.しかし実際は戦争寸前のところまで行ったのです.
米韓合同のチームスピリット演習は,ただの演習ではありません.日本海と南シナ海に,米国の機動艦隊が二つも入り,司令部の指示があればいつでも海上封鎖を開始することになっていました.核戦争は秒読み段階に入っていたのです.日本もこの演習に深く関わっていました.
この脅迫に屈する形で北朝鮮は核査察を受入れました.中国もロシアももはや米国に対抗する姿勢はありません.ここに米国の東アジアにおける軍事的覇権が確立することとなりました.それは米国の,朝鮮戦争以来の悲願でもありました.東アジアにとって94年は記憶すべき年となるかも知れません.

核疑惑事件の経過
6月に入って制裁強行の動きが現実化します.その先頭にたったのはIAEA(国際原子力機構)でした.IAEAは国連に属する機関ですが,従来より核保有国よりの動きが目立ち,一部からは「IAEAは米国の愛玩犬」と批判されるほどでした.この時期カイロで開かれていた非同盟外相会議は,北朝鮮に核査察受入れをもとめつつも,「一主権国家に対し,他の主権国家による疑惑と情報にもとづいて広汎で侵入的な監視をおこなうのは不穏な兆候」とIAEAを批判しました.NATO会談でも米国の「瀬戸際政策」には強い疑問の声が出されました.
このように米国の作戦への批判が強まってきた結果,米国も海上封鎖などを断念し,カーターに局面打開をもとめることになります.
折から金日成の死亡など極度の困難に陥った北朝鮮は,米国の圧力に屈していきます.8月には第3ラウンドで交渉の枠組みが確認されます.そして10月には,核疑惑解明,軽水炉転換支援,二国間関係改善のための諸規定を盛りこんだ,包括合意書が調印されます.
北朝鮮は合意にもとづき黒鉛炉開発を凍結,後は技術的問題のみかと思われたとき,米国が韓国型軽水炉の設置を強く要求します.南北対立の歴史を考えれば,この方針はいやがらせという他ありません.吉良の浅野匠頭いじめみたいです.米国は北朝鮮の意向はお構いなしに,「エネルギー開発機構」を設置し,計画の具体化にとりかかります.あらためて北朝鮮が韓国型を受入れを拒否すると,米国は安保理制裁も辞さずとすごみます.こうして軽水炉の種類をめぐり交渉は暗礁に乗り上げた状態にあります.

「東アジア戦略」
このように軍事的覇権を確立した米国は,「東アジア戦略」構想を打ち出します.このなかでは,次の点があげられます.()内は「こう読め」という私の指示.
@アジアで信頼できる安全保障の存在は,現在の国際情勢にとって死活的に重要である.
(だから今後東アジアは米国が支配する)
A多国間安保フォーラムによる対話の推進.
(ロシア,中国もそれなりのやりかたで従わせる)
B日本,韓国との責任分担は米国のリーダーシップにとってかわるものではない.
(両国はコマでしかない.仕事はさせるが決定権は与えない)
C戦略核戦力を保持し,地域に対する核の傘の提供をつづける.
(他人の核は許さないが,自分の核は押し通す)
CNPT支持を友好関係評価の基準とする.
(以上の条件を呑まなければ敵と見なす)
95年国防報告
この「東アジア政策」の骨子は95年国防報告にも引き継がれていきます.北朝鮮での一連の作戦から,彼らが得た教訓は次のようにまとめられます.「北朝鮮に核兵器開発を断念させるために広範な連合を結集したときのように,前進基地をおく米軍のプレゼンスあるいは米国のリーダーシップにとって代わるものはない」
つまり,プレゼンスとリーダーシップがキーワードです.プレゼンスというのは前方展開のことです.リーダーシップというのは単独介入→事後承認というパターンをふくめた独裁権です.つまり世界全体に基地をはりめぐらせ,世界を米国の支配する独裁国家に変えようとすることが,戦略の基軸となるのです.
さらにペリー長官は「強制外交」なる言葉を提唱します.ハイチ,ルワンダ,北朝鮮などを例にあげ,「軍事力行使の威嚇」をするためには「それを実際に実行する態勢が出来ていなければならない」と述べます.はたしてこれが外交といえるのでしょうか?
NPT:冷戦体制=常時戦闘体制の維持
国防報告は,世界支配のための最大の武器として核を置いています.「外国の敵対的な指導部が,われわれの死活的利益に敵対して行動するのを抑止するために,十分な戦略核戦力を維持する」
ここまでアケスケにいわれると,どんなに鈍感な人でもNPTのギマン性は明らかでしょう.核拡散防止のための核というレトリックは,米国の世界支配の野望から出たものでしかありません.
だからこそインドネシア外相は,非同盟諸国を代表して「超大国が自らの核軍縮努力をせずにNPTをおしつけるのは筋違い」と批判したのです.
今年1月,NPT再検討準備会議が開かれました.会議では無期限延長論に反対が過半数を占めます.非同盟諸国は「NPTは大国の核脅迫に依存した計画であり,NPTへの固執こそ最大の問題」とし,断固とした原則的対応(すなわち核廃絶)で一致します.
同じ頃グリーンピースによって,とんでもない内部文書が暴露されます.核拡散防止のため「途上国」に対し小型核兵器を使用するという国防省計画です.
NPTに対する批判はついに御膝元からも飛び出します.米統合宇宙司令部の現職司令官チャールズ・ホーナーが「核兵器は時代遅れであり,核兵器の廃絶が必要」と発言するのです.彼がいうには「新たな軍事的脅威は超大国間の緊張からではなく,大量破壊兵器を持った比較的小さな不安定な国から起こる」のです.だから「大きな国もふくめて核兵器を全廃することが,核の危険を予防する最善の方法」というわけです.
議論を通じてはっきりしたのは,そもそも核拡散防止とか,部分的核実験停止などという妥協的方法は,米国の「強制外交」を利するだけだということです.それは袋小路の議論です.即時無条件の核廃絶以外に道はありません.

A核戦略と結びついた経済覇権主義
深刻な失業問題と「雇用サミット」
一昨年開催された「雇用サミット」でも明らかなように,途上国における貧困と先進国における失業問題は裏表の関係にあります.
OECDは、各国の失業者が総計3千5百万人に達したと報告しています.それこそは資本主義体制が生み出してきたものです.
APECに示された米国の経済覇権主義
多国籍企業を政治的に代表するのが米国政府です.すべての国に「完全な自由化」を迫るかれらは,それなりに生き残りをかけて必死です.彼らは世界を軍事的にだけではなく,経済的にも支配しなければなりません.
たとえば国家安全保障会議報告は「経済と安全保障はますます不可分になっており,世界に民主主義と市場経済が広がれば広がるほど,米国繁栄し安全になる」と述べています.
また東アジア戦略を作成したナイ国防次官補は次のように発言しています.「アジアの安定と繁栄は,米経済の健全性にとって死活的である」
ブッシュ→クリントンが大々的に打ち上げたNAFTA構想が,メキシコがこけてパアになったいま,APEC構想にかける米国の意気込みは凄じいものがあります.

ASEAN諸国の足並みの乱れ
 いまや非同盟運動の中核となった東南アジア各国も,米国の各個撃破の前に動揺が見られます.
当初APECにたいするASEAN諸国の警戒感には強いものがありました.とくにAPECを常設機構化することや,安全保障とからめることには明確に反対していました.米国防長官が太平洋共同体構想にもとづいて武器備蓄船配備をもとめたときも,タイ,インドネシア,マレーシアはキッパリと拒否しました.アジアの暴れん坊マハティールは,「東南アジア地域に米軍基地は不必要.なのに何故米軍基地を創設する必要があるのか」と非難します.6月の外相会議では,ASEAN諸国の意気が最高に上がりました.会議は加盟6ヶ国にベトナムなど4ヶ国をくわえ経済共同体を作る展望を打ち上げます.さらに独自の安全保障システムとして東南アジア非核地帯条約についても議論しています.
94年後半からの米国の攻勢は,これまでの人権一辺倒で踏み絵にするやり方とは変わってきました.人権問題で追及すれば,むしろASEAN全体の反発を招くだけであることが分かってきたからです.
米国はWTOを押しつけることで,自由化を迫ってきました.ASEAN5ヶ国の平均経済成長率は7%近くにのぼります.域内貿易は30→43%に,対米依存度は34→24%に低下しています.もはや米国の経済力だけで,彼らにいうことをきかせるのは無理です.そこで日本やヨーロッパのパートナーも巻きこんで,世界貿易機構からの排除の脅しで米国のいうことをきかせようというのです.
北朝鮮における米国の行動に各国は強い衝撃を受けました.これを見た米国はさらに追い討ちをかけます.それがNPT支持の脅迫です.さきほど述べた「東アジア戦略」の最後のところにはこうありました.「NPT支持を友好関係評価の基準とする」(以上の条件を呑まなければ敵と見なす)
敵と見なされればどうなるかは北朝鮮を見れば分かります.結局NPT無期限延期の路線にすべての国が賛成せざるを得なくなりました.
APEC議長国インドネシアが,米国への批判を控えるなど,ASEAN諸国に足並みの乱れが露呈してきました.
さらにペリー国防長官は,パキスタン,インドにも手を伸ばします.そして軍事協力に関する合意を取り付けます.これが「多国間フォーラム」というものの実態です.要するに軍事力をバネにして,各個撃破によりASEAN諸国をとりこみ,経済覇権をもぎ取ろうというのが狙いです.

フィリピンと物品役務融通協定(ACSA)
フィリピンはASEAN諸国の中でも遅れをとっています.シンガポールのメード事件も,背景には「出稼ぎ大国」といわれた国内経済の不振があります.この遅れをとりもどすには,米国の支配を受入れてでもという思惑が働いています.
フィリピンをASEANの弱い環と見た米国は集中攻撃をかけます.ラモスはもともと米国で教育を受けた親米派の軍人です.基地についても本質的には存続派でした.
軍務サービス提供でてっとりばやくドルが獲得できるだけでなく,それと見返りに米国の経済援助の拡大も期待できます.さらに南沙諸島での発言権も確保できるとなれば,誰でも飛びつきたくなるでしょう.
91年,クラーク基地撤廃後も米比秘密軍事条約は残りました.それをふたたび発動しはじめたのです.きっかけとなったのは,米大使が米比兵站提供協定の存在をリークしたことです.これは両国が92年に結んでいた秘密協定の一部でした.リークの目的はこれを足掛りに本格的な協定へと発展させることにありました.
報道によれば,この軍事協定はAcquisition and Cross Servicing Agreement(ACSA)とよばれます.日本語では物品役務融通協定となります.これによれば,米軍はフィリピンに購入代金を支払うことで,補給や修理,軍事訓練のためにフィリピンの港,飛行場を自由に使えることになります.
3月,両国は年内に合同演習をおこなうと発表しました.演習の場所は問題の南沙諸島です.フィリピンの南沙諸島における権益確保に手助けしようというのです.国内はこの報道に一斉に反発します.91年,国民の圧倒的な声により米軍基地はすべて撤去されました.それが実質的に骨抜きになろうというのですから,国民の怒りは当然です.

各国で盛り上がるWTO反対の声
日本でも米自由化反対闘争が盛り上がりをみせていますが,途上国ではもっと深刻です.
農産物が主要輸出品目である途上国はWTOで恩恵を受けると思うかも知れませんが,とんでもありません.国内経済はモノカルチャー化し,穀物メジャーによって買い叩かれます.それ以外の産業はすべて壊滅し,米も麦もすべて輸入することになります.輸出品目すら,他国との競争に負ければだめになり.その国は破滅を待つしかありません.
現在でも,対外債務の超過でIMFの融資を受ける場合,内声干渉ともいえる苛酷な条件をつけられます.これがWTOになると,平時にあっても国内法を越えて義務付けられてきます.つまり市場経済を厳格に守らない限り,世界市場からオミットされる危険を冒さなければならなくなります.
また知的所有権保護問題は,医薬品や工業製品の統制を通じて,途上国の人々の暮らしに致命的な影響を及ぼしかねません.
非同盟外相会議は「途上国はウ・ラウンドで収入が悪化する」と警告しました.スハルトは非同盟諸国を代表して「工業国の指導者がいう新世界秩序が,強者・富者の支配という旧態依然たる枠組みの単なる新版にならないように」と発言しています.
多国籍企業こそ経済危機の真犯人
自由貿易の発展そのものに反対するのではなく,それが誰のためにおこなわれるのかを見据えた議論が必要になっています.WTOの本質は多国籍企業の世界市場制覇にあります.先進国と途上国とを問わず苦しむのは一般大衆です.「日本にとって」という考えは成り立ちません.

B地域紛争に見る解放闘争の昏迷
非同盟運動の停滞,解放運動の昏迷
昨年6月,カイロで非同盟外相会議が開催されました.かいぎはバンドン宣言の現代における意義を再確認.「運動創設時の原則を継続することを決めたことで,会議は大きな成功を収めた」と評価されました.会議は南アの加盟を承認.加盟国は109ヶ国に達しました.今年9月にはカルタヘナで非同盟首脳会議が開催される予定です.
しかし数は増えたものの,非同盟運動の行方は不透明です.さきほども述べたように,ASEAN諸国の中に乱れが出てきており,債務問題についても抜け駆け的行動が後をたちません.カルタヘナで前進的な提起がされることが望まれます.
ソ連・東欧の崩壊後,第三世界は国連中心の国際秩序形成に希望をつなぎました.与望を担ったガリ総長は,PKOや安保理拡大などの構想を矢継ぎ早に打ち出しました.しかし湾岸戦争,ソマリア,ボスニアなどいずれも成果を上げることなく,逆に米国中心の世界秩序確立の片棒を担ぐ結果になりました.
今年1月,ガリは「平和のための課題」に対する総括をおこない,「現在のところ安保理にも事務総長にも,極めて限定された規模の場合を除いては,(PKOを)派遣し,指揮・監督する能力がない」と述べます.まさに敗北の総括です.しかしそれがただの失敗ではなく,米国の覇権獲得の道を清めるものであったことについては,反省がありません.
このガリ報告に対し,インドネシアは非同盟を代表して「総会の役割を軽視していることが大きな問題」と批判をくわえます.

運動の統一妨げる宗派主義とレイシズム
イスラム原理派は,出はじめの頃は,進歩勢力に一定の幻想を与えました.民族解放運動が米国やイスラエルの厚い壁に阻まれ出口を見失いそうなとき,それはひとつの方向を与えてくれるように見えたのです.
多少の行き過ぎは大目に見られ,厳しく批判する声はむしろ少数でした.しかしそのような「甘やかし」は,逆に解放運動を野蛮化と道徳的頽廃に導いただけでした.今では解放運動とルンプロ的宗派闘争とのあいだには,敵対関係しかないことが明らかになっています.かれらの「帝国主義者」への戦闘的姿勢は見せかけであり,進歩陣営の内部を撹乱し,分裂させ,結果的に反動勢力を利するものでしかありません.
イランに始まりアフガン,エジプト,アルジェリア,バングラとひろがる原理主義の流れは,フィリピンでナンセンスの極地に達しています.ミンダナオの原理派ゲリラは「女生徒の半ズボン禁止,ベール着用の徹底」を要求.教師ら40人を誘拐し,うち17人を殺害しました.もちろんミンダナオにおけるイスラム教徒に対する迫害は周智の事実ですし,住民が抑圧に対して闘うこともよく理解できます.そのことと原理派のこのような愚挙にたいして厳しく批判することとは違います.

C人類が抱える問題の解決の方向示した社会開発サミット
「宣言」とNGO共同声明

各国の情勢

(1)アジア諸国
カンボジア
カンボジア政府は,ポルポト派壊滅を目指し総攻撃をかけます.同時にポルポト軍部隊に投降を呼びかけます.しかし内部規律の乱れで士気の低い政府軍は,アベコベに押し返されてしまいます.
こうしてふたたび一進一退の状況が続くことになります.ポルポト派も以前のような聖域確保が困難となりました.このためタイとの闇貿易で資金を獲得することは出来なくなり,次第に山賊化してきます.
9月には列車を襲撃.乗客3百人を拉致し,うち60人を人質にとりました.たまたま乗り合わせた白人3人については身代金として5万ドルを要求します.結局この三人は遺体となって発見され,ポルポト派の威信はますます失墜します.
開き直ったポルポト派は,もう国際世論など目もくれません.村を襲って住民50人を拉致殺害したり,寺院で集会中の人々を襲い17人を殺害したり,製材作業員を身代金めあてに誘拐し27人を虐殺するなど,完全な殺人鬼と化しています.
もはや政治的な命運は尽きたとみてよいでしょう.
カンボジア議会は,これまでポルポト派に対して寛容だった勢力もふくめ,非合法化案を全会一致で可決しました.米国はカンボジアへ百万ドルの軍事援助を申し出ます.終始ポルポト擁護に回ったシアヌークはついに孤立,国政に対する影響力を完全に失いました.
チャクラポン殿下らのクーデター計画も未遂に終わりました.タイ軍部が支持していたともいわれ,背景は複雑です.しかし間違いないのは,権力を非合法的な手段によって獲得しようとする勢力が,次第に勢いを失っていることです.そして人民党のフン・センが事実上の支配権を握ったのも間違いないようです.
ベトナム
ベトナムではドイモイが着実にすすみ,解放以来の活況を呈しています.外交的にはこの一年で米国との国交修復が進んだことが大きな特徴です.両国に連絡事務所を開設するところまで進みました.これを見た日本の資本が怒涛のように押し寄せています.中国とも和解が実現し,ASEAN加入も秒読みに入っています.
しかし民主主義が十分根付いているとはいえない状況で,外資導入を強力に推し進めた結果,幹部の腐敗や労働者の権利に対する鈍感さなど否定的な面も現われています.
あいついでベトナムの外資系会社でストが展開されました.6月には台湾経営バナナ農園でスト.その後韓国系縫製工場などでもストが闘われます.

フィリピン
昨年初頭,労働組合を中心とした力強い闘争の中で,政府の石油値上げ案が撤回されたのは記憶に新しいところです.財政危機に悩む政府はまたもや新たな収奪の手
段を考え出しました.付加価値税の課税範囲拡大です.
たちまち反対闘争が開始されました.KAPが主催した労働者の集会がマニラで10万人を結集するなど,ピープルズ・パワー以来のたたかいとなりました.闘いは最高裁へ持ちこまれ,新たな立法なしで税徴収を変更するのは違法と判断されました.ラモス大統領は議会内外の力関係から課税範囲拡大を断念,石油税での敗北に続く手痛い失点となりました.
しかしこのような成果にも関わらず,大衆闘争は全体として弱体化しつつあります.武装闘争に固執するフィリピン共産党は二派に分裂し,挑発的傾向を強めています.彼らによって民主運動の中に混乱が持ちこまれていることに,大きな原因がありそうです.

インドネシア
昨年4月スマトラで発生した反華人暴動は,民主化を目指す勢力にとって手痛い失点となりました.国営宝クジ廃止闘争の勝利にはじまって,福祉労組のゼネスト成功,さらにスカルノプトリの民主党党首就任と発展してきた運動は,深刻な挫折を体験することになります.
もともと福祉労組が組織したスマトラ人民の闘争は,当局の徹底した押さえこみの中で目標を失い,挑発行動によって中国系商店への暴動・掠奪として暴発します.
スハルトはこの機会を逃さず,福祉労組に対する一斉取締を開始します.暴動をあおったとしてパクパハン議長が逮捕され,禁固3年の実刑判決を受けました.政府に批判的な三つの新聞,雑誌が発禁処分においこまれました.
7選を狙うスハルトは,軍首脳を側近で固め,スカルノプトリの運動に対しさまざまな妨害をくわえています.
11月,クリントンがジャカルタを訪問します.このときを待った東チモールの学生らが米大使館内に乱入し座りこみます.4年前の11月起きたディリ事件を国際的に知らせるのが狙いです.その日東チモールの首都ディリでは民衆のデモにインドネシア軍が発砲.二百名の犠牲者を出したのでした.

タイ
総選挙で国民の民主化への期待を背負って勝利したチュアン政権ですが,軍部のさまざまな妨害の前に苦戦を強いられています.軍部は日本の資本進出にあたり,利権を一手に集めました.政治が民主化されればこの利権が脅かされることになります.議会を操る彼らは,チュアンが提案した民主化提案を葬り去りました.議会が提案を否決した日には,ただちに軍部を非難し政府を支持する5千人集会が開催されました.
タイはこの10年間で一気に「近代化」が進みました.さすがにもうクーデターで政権を転覆する時代は過ぎ去っています.
ふたたび軍部が権力を握る日が来ないとは言えませんが,現在の腐敗した幹部たちには実現不可能と思われます.

インド
野党連立政権の崩壊後,ふたたび権力の座についた国民会議は,国民の犠牲の上に経済発展を図ろうとしてIMF路線を突っ走ってきました.この路線は国民の憤激をよび,地殻変動ともいうべき大きな変化が生まれつつあります.
94年夏,インドはまさしく「熱い夏」となりました.まず6月,インドの公共部門労組委員会が民営化反対をかかげストに入ります.このストには与党国民会議系の労働者も参加,じつに公共労働者の8割にあたる180万人がストを打ち抜くことになります.
ストの成功に自信を持った民主勢力は,思い切った行動に出ます.かつてガンジーが英国支配に対しておこなったように,市民的不服従闘争を展開するのです.8月17日,行動が開始されました.インド中で人々が立ち上がりました.立入禁止区域に入り,静かに逮捕されるのを待つのです.3百万人が参加したこの行動は,初日だけで8万人が逮捕,拘留される結果となりました.行動の当初の目的通り「拘置所をあふれさせる」ことに成功しました.ケララ州では学生デモに警官隊が発砲.5人が死亡,負傷者は100人を越えます.
このとき政界幹部を巻きこむ大規模な汚職事件が発覚したのです.9月に入ると国会は完全ストップの状態となります.労働者は史上空前の規模のゼネストで応えます.
運動の高揚は,国民会議の危機をもたらしただけではありません.北部4州の州議会選では,ヒンズー教にもとづく排外主義をあおったBJP,カースト制の復活をもくろむ政党なども後退しました.そして政教分離にもとづく広範な勢力の結集を願う統一派が大きく影響力を伸ばしています.ここに今のインドの最大の政治的特徴を見ることが出来ます.

ネパール
ヒマラヤ山麓の小国ネパールでとんでもない事態が発生しました.共産党が政権を握ったのです.国王をいただく君主国と共産党政府,奇妙な取り合せですが,それ以上に社会主義国が総崩れの中でどうして共産党が国民に支持されるのか,極めて興味ある事実です.
そもそも,共産党が政権に加わるかもしれないという予想は前からありました.昨年の報告でもそのことに触れられています.
その予想が現実のものになる経過は,5月に始まります.コイララの独裁的手法に反感を持つ与党国民会議の反主流派36人は,国王感謝決議を採決するにあたって欠席戦術をとります.国王感謝決議というのはネパール独特の表現ですが,要するに今年度予算案のことです.これにより決議案が否決されコイララは辞表を提出します.
辞表は出したもののコイララは,このまま退陣するつもりなどサラサラありませんでした.次期選挙までを暫定首相としてとどまり,権力を使った不法な選挙により圧倒的多数を獲得しようと密かに狙っていたのです.
コイララの居座り策動に抗議するネパール共産党は,全国スト呼びかけます.このストには国民会議も参加していきます.当局はストに対し1100人を拘留するなど強硬措置で臨みました.
緊迫した状況のもと総選挙が実施されました.共産党は首都カトマンズで5議席を独占するなど大躍進をとげ,第一党に躍り出ました.
結果的には僅差の勝利のようですが,東部農村地帯で国民会議が取った議席が,すべてコイララによる不正操作であったことは誰もが知っています.東部こそは共産党の最強の地盤だからです.
ネパール共産党は決して孤立しているわけではありません.境を接するインドの西ベンガル州では,インド共産党がすでに長年にわたって民衆の支持を受け,州政をつかさどっています.外部からの干渉がなければ,意外に長期安定政権となるかも知れません.

バングラデシュ
二つの保守政党が血を血で洗うような不毛の政争を続ける,という状況が依然続いています.洪水,旱魃の繰り返しの中で国民は疲弊し,海外からの援助をくいものにする有力者たちが,利権の分け前をめぐってみにくい争いをしています.
軍事政権の後継である現政権に対し,野党アワミ連盟は旧独裁勢力や原理派とウラ取り引きし,いたずらに混乱をあおっています.
両者の対決にあきたらない民衆が,イスラム原理派に不満のはけ口をもとめる傾向が強まっています.
政教分離と女性の権利確立をもとめた活動家ナスリン女史に対する原理派の対応は,常軌を逸したものでした.彼らは首都ダッカに20万人を集め,「ナスリンを処刑せよ!」と叫んでデモ行進します.このデモ隊は政教分離を主張する学生らと衝突し,双方に150人の死傷者を出してしまいます.ナスリンは密かにロンドンに亡命していきます.

スリランカ
長年にわたり政権を握る統一国民党は,民族排外主義をあおり北部のタミル人を抑圧し続けてきました.これに対しタミル人は抵抗を続けてきました.
武力制圧を狙う政府軍は,タミル人組織とのいっさいの対話を拒否し攻撃を続けます.その中で無差別テロを主張するイーラム:解放の虎(LTTE)という組織が,民主的活動家をつぎつぎと「排除」して,勢力を伸ばすようになります.
はてしのない殺し合いは,シンハリ人にも非常事態の無期限延長という苦しみをもたらしました.経済は疲弊し与党への批判が強まります.
8月におこなわれた総選挙では,統一国民党と対決した人民同盟(野党連合)の勝利に終わりました.かつて民主連合の首相をつとめたバンダラナイケの娘,クマラトゥンガが首相に就任します(その後クマラトゥンガは大統領に.首相には母親のバンダラナイケが就任)
10がつ,北部の町ジャフナでLTTEとの和平交渉が開始されます.LTTEは一方的停戦を宣言,1月には政府もこれに応じます.しかし,軍内強硬派は依然LTTE殲滅を主張し,小競り合いが続いています.

アフガン
昨年はじめ,ラバニ大統領はヘクマティアルに政府への復帰をよびかけます.駆け引きが失敗した後,北部少数民族を代表するドスタム将軍は政府を引き揚げます.ラバニはドスタム陣営に攻撃を仕掛け,またもや戦闘が始まります.この内紛を見たヘクマティアルは,6月になるとラバニの支配するカブールへの攻撃を開始します.もう三派が入り乱れて何が何だか分かりません.
今年に入ると,にわかにタリバンなる組織が登場します.イスラム神学校の生徒を中心とする部隊とのことですが,背景についてはなお不明です.これが2月にはヘクマティアルの地盤である南方の2州を席捲し,ラバニ派と並ぶ勢力に成長します.ラバニは,暫定政府ができれば権力を委譲し辞任するとし,共同戦線への参加をよびかけます.しかし自力で全土の制圧が可能と見たタリバンは,この提案を拒否します.
3月,ラバニ派と戦闘中のヘクマティアル派を背後から襲い殲滅したタリバンは,そのままカブール攻撃に着手します.しかしタリバンの勢いもここまででした.数日間の戦闘でタリバンは結局カブールから敗退することになります.
じつに目まぐるしいこの1年でしたが,とどのつまりはまた振り出しです.しばらく昏迷は続きそうです.

(2)中東
パレスチナ
5月に暫定自治協定が調印され,6月ガザ,エリコの暫定自治が開始されました.ガザ入りしたアラファトを2万の群衆が迎えます.しかし彼を心から歓迎した人は決して多くはありませんでした.暫定自治は,当初から資金難により前途困難とかんがえられていました.
さらにアラファト自身の独裁的傾向にも批判が集中していました.ユダヤ人入植者がアラファトの首に3万ドルを懸けただけではありません.PFLPはパレスチナ人にアラファトを無視するようよびかけます.ベイルートのファタハ前レバノン司令官にいたっては,なんとアラファト殺害を呼びかけます.
アラファトと自治区住民の密月が曲がりなりにも続いたのはわずか10日間でした.その日ガザの検問所で衝突事件が発生しました.検問にあたるイスラエル軍兵士は住民に発砲,パレスチナ人百人以上が死傷します.
この事件は起こるべくして起きたものでした.暫定自治が始まる前,毎日数万人の人が検問所を越えてイスラエル側に仕事に出ていました.暫定自治はこの仕事を奪ったのです.
暫定自治実施を前にイスラエルはガザ地区周囲54キロを,高圧電流を流した鉄条網で封鎖します.そしてかつて一日あたり14万を数えたガザ地区住民のイスラエル領内への「出稼ぎ」を,1万人以下に制限します.これはガザをゲットーに変え,パレスチナ人の封じ込めを狙った行為以外のなにものでもありません.ナチがユダヤ人に加えた仕打ちと同じです.鉄条網の内側では,百万人の人口の8割が失業状態という事態が発生しました.
暫定自治を国際世論に対する武器に,イスラエルはさまざまな策動を開始します.6月には早くもレバノンのシーア派キャンプに空爆をかけます.この攻撃で45人が死亡しました.さらに数カ月後,今度はベイルート南方のPFLP・GCキャンプです.イスラエル国内での爆弾テロは国際面のトップを飾っても,こちらは一番下の段でベタ記事です.
ついでパレスチナの頭越しにヨルダンと国交回復を図ります.そしてエルサレムをふくめた西岸の行政について勝手な取り決めをおこないます.「エルサレムをパレスチナとイスラエルの共同の首都にしよう」とよびかけたアラファトの提案はまったく無視されます.
ヨルダンの抱きこみに成功したイスラエルは,西岸地区に3万戸の家屋を建設すると発表します.ラビンの狙いがハッキリしてきました.暫定自治をエサにPLOを無力化することだったのです.
米国からものごいを受けるアラファトへの苛立ちは,原理派への支持となって現われるようになります.パレスチナ原理派集団ハマスは,自爆テロ活動を展開します.まずテルアビブで路線バスを爆破.これにより22人の犠牲者を出しました.ついでガザでも自爆テロを敢行します.ハマスが開催した活動家追悼集会は2万人の市民を結集します.
これに対しPLOは強硬策で臨みます.自治警察を使い原理派活動家160人を検挙します.抵抗する住民に対し自治警察が発砲,ついに11人の死者,180人の負傷者を出すというやり切れない事態が発生します.
今年に入って1月,今度は別の原理派集団イスラム聖戦が爆弾テロを敢行します.この事件でイスラエル兵士19人が死亡,65人が負傷します.イスラエルは西岸とガザを封鎖します.
完全な手詰まりに陥ったPLOは,緊急執行委員会を召集します.しかし参加した執行委員は18名中9名にとどまりました.PLOそのものが解体に危機に瀕していることが,はしなくも証明されました.アラファトは「和平はパレスチナだけでなく,国際社会も必要としており,和平プロセスの後退は過激派の活動激化をもたらすだけ」と訴えます.
このままではアラファト失脚の事態を迎えると見たラビンは,「テロ対策の改善が見られたため段階的封鎖解除をおこなう」とエールをおくります.
このエールはすこし遅すぎたかも知れません.これまでPLO内過激派のPFLP,DFLPなどがアラファト批判をしてきました.今度はいわば住民代表ともいうべき  が,反アラファトに回ります.暫定自治の挫折をきっかけに,30年にわたったアラファト時代が終わりを告げようとしているのかも知れません.

イエーメン
昨年4月イエーメンに内乱が発生しました.内乱といってももともと二つは別の国家を形成していました.89年にソ連の崩壊と時を同じくして南イエーメンに政変が起き,旧指導部が大虐殺されました.新政権は利権の維持を狙い北と合併しましたが,一昨年の総選挙で惨敗.密かにサウジの支援を受け再度分離すべく反乱を起こしたのです.もともと南イエーメンは社会主義を標榜し,一定の進歩的な政策もとったこともありました.ソ連盲従路線と非民主的政治体制のもとで,すでに国民の支持を失っており敗北は当然といえます.

アルジェリア
アルジェリアの情勢も気が重くなります.92年1月のクーデター以来,すでに死者は2万を大きく越え,FISによる外国人テロの犠牲者も百人近くなっています.
94年はじめ,ゼルーアル大統領は対話による国家の危機克服を呼びかけました.しかしFIS指導者を獄中につなぎとめ,活動家に対する白色テロをやめないままでの提案は,まじめなものとは思えません.
今年3月,軍当局は原理派拠点を急襲.GIA最高指導者をふくむゲリラ1300人を殺害したと発表しました.一度に1300人もどうやって殺害するのでしょう.おそるべき数の虐殺です.
軍部とFISの対決はいつわりのものであり,不毛です.FISの軍事組織GIAは,世俗的教育をおこなう教師へ授業中止を強要し,従わないものにはテロをかけています.また軍事政権に協力的なジャーナリストに対して殺害リストを配付するなど,言論弾圧も独裁政権顔負けです.
勇敢な女性団体が,軍事政権の弾圧と教条主義者のテロに対し反対,「自由で民主的なアルジェリア」の実現を呼びかけました.
今年1月,FISとFLN,社会主義勢力戦線,アルジェリア民主運動などの各派がローマで会談,平和解決の方向で合意したというのが唯一の明るいニュースです.
かつての民足解放運動のリーダーであるアルジェリアが,一日もはやく「自由で民主的なアルジェリア」を復興するよう,心から願うものです.

(3)ラテンアメリカ
ハイチ
ハイチでは一昨年以来,軍事政権に圧力を加えるため経済封鎖が続けられてきました.この経済封鎖は何よりも貧しい人々に痛烈にこたえました.セドゥラは裏でCIAから金をもらっていますからちっとも困りません.その気になれば隣のドミニカから密輸でいくらでも物資が入ってきます.さらにその密輸のあがりを掠めれば儲けることすら出来ます.
6月ベレンで開かれたOAS総会は,あくまで平和的手段でハイチ正常化を目指す決議をあげますが,さすがに焦りの色が出てきます.
米国に軍事介入の決意をうながしたのは,ハイチ難民の急増です.6月末には毎日千名以上の難民を収容しなければならない事態になりました.さすがに全部を強制送還するわけにもいかず,数万人にのぼる難民の始末に往生してしまったのです.ちょうどその頃,キューバからの難民も急増しました.キューバ難民は政治的理由から優遇し,ハイチ難民は強制送還するというのでは,あまりにもミエミエの人種差別だからです.
7月に入ると,米軍はフロリダで強襲訓練を重ねるとともに海兵隊をハイチ沖に派遣し,軍事介入も辞さぬ構えを見せます.セドゥラ司令官は,米軍が上陸すれば迎え打つと声明し,国連とOASからなる人権監視団を追放します.
7月末,頃合を見たガリ総長は,安保理に対しハイチへの多国籍軍1万5千の派遣を要請し承認されます.これで軍事政権の命運は尽きたといってよいでしょう.
9月末,ついに海兵隊2万人が上陸します.最初の名目はあくまで人命保護と治安維持でした.しかし治安を乱し人命に危険を与えているのは,軍政そのものです.
クーデター以来はじめての反軍政デモに手投げ弾が投げこまれ,45人の死傷者を出しました.翌日にもデモへの発砲で5人が死亡しました.いうまでもなくトントン・マクートの流れをくむFRAPHの仕業です.米軍は10月5日,全国のFRAPH事務所を急襲し多量の武器を押収しました.
当初セドゥラは国内居座りの意向を表明しますが,米軍は「もしセドラが退陣しなければ,われわれがそうさせる」と脅しをかけます.
こうしてようようセドゥラは権力維持を断念,パナマに亡命していきます.入れ替わりの形でアリスティドが大統領に復帰します.
ちょうどこの頃米誌「ネーション」が,CIAがFRAPHを養成した事実を暴露します.
新生ハイチの行方はまことに多難です.経済封鎖の痛手は深刻で,そうでなくても世界の最貧国だったハイチは,飢えの恐怖にさらされています.軍の主力は温存されており,アリスティドの出方次第ではふたたびクーデターが起きないという保障はありません.ラテンアメリカ最初の独立国ハイチにぜひがんばってもらいたいと思います.

キューバ
キューバについては書きたいことが多すぎて,別の機会にまとめたいと思います.とりあえず難民問題だけ.
6月,ハバナのペルー大使館に亡命をもとめる人々が乱入しました.80年の大量亡命のときと同じ大使館です.これを機に経済危機の中で苦しむ市民が一斉に,船出をはじめました.カストロは,出るものは拒まずの路線をとります.もともと米国への出国については,キューバは何の制限もしていないのであって,制限しているのは米国の方なのです.つまり政治宣伝に利用できるときは大々的に受入れ,通常は厳しく制限するという二重基準で臨んでいるのです.出国希望者もその辺は計算済みで,わざと耳目を引きつけるような派手な演出で「亡命」資格を得ようとするのです.
このたびも米国は,カストロ独裁によって苦しむキューバ人なるイメージを打ち上げて,亡命者を歓迎しました.キューバ側もそれならばといって,亡命を事実上黙認したのです.結局困るのは米国です.「自由の戦士を歓迎する」といいながら,裏ではキューバに泣きを入れてきました.
キューバは「経済封鎖に原因があるのだから,なんとかしてほしい」と逆提案します.それから先はよく分かりません.結局キューバ側が折れて,出国を制限することになりました.もちろん大量出国はキューバとしても本意ではありません.しかしこの問題については,キューバが一方的に折れる仕掛けのものでもありません.おそらくそれなりの裏取り引きがあったと思われます.
この間にキューバは最悪の経済危機をなんとか乗り切りました.今後に多くの不安はあります.たとえば,ロシアとのバーター貿易で砂糖と石油が交換されていますが,ロシアに送るだけの砂糖の収穫が出来なくなっています.街を歩いていても,学校に行かないでブラブラしている子どもや,もの乞いの子ども,疥癬かきの子どもをみかけます.
しかしそれでも,暮らしは安定してきたといえます.1年あまりをおいて訪問した私の印象はたしかにそうですし,現地の人も同じ意見でした.
今年1月,ラヘ経済担当国家評議会副議長が世界経済フォーラムで演説しました.ラヘ氏は目下カストロ兄弟につぐナンバー3として売り出し中の幹部です.彼によると94年度成長率は0.4%だったと報告し,危機は底を打ったと宣言しました.

メキシコ
メキシコの人には大変失礼ですが,今旅行するなら絶対メキシコです.物価の安いことといったらびっくりするくらいです.
これはドル安円高に加え,さらにそのドルより激しくペソの価値が下落しているからです.ただ,83〜84年の頃のひどさにくらべれば,まだましといっていいでしょう.
去年の総会報告でも予想したとおり,NAFTAなんてものを信じてろくなことにはなりません.多国籍企業や,米国のベンチャービジネスの餌食になるのがオチです.
いまラテンアメリカ全体で懸念されているのが「テキーラ効果」です.かつて82年にメキシコを発端として起こった,ラテンアメリカの債務危機がまたくるのか.テキーラのアルコールが全身に回るように,ラテンアメリカ全土をマヒさせるのではないかという恐怖感がひろがっています.
経済危機をきっかけにメキシコ政界にひろがったスキャンダルも空前のものでした.
昨年はじめ与党PRIの大統領候補コロシオが暗殺されます.これに続きPRIのルイス幹事長も暗殺されます.メキシコといえば事実上PRIの一党独裁です.しばらく前の自民党のようなものです.そこの大統領候補と幹事長が殺されるというのは大変な事態です.
ところが捜査を進めていくともっと大変なことが出てきました.連邦検察庁は,ルイス幹事長暗殺にPRI総裁と現幹事長が関連と発表します.さらに捜査を進めようとした検察に圧力がかかります.ルイス幹事長の実弟で検事次長として捜査を担当したルイスは辞任を迫られます.
こうしていったん蓋をされかけた事件は,経済再建をめぐるセディジョ現代統領とサリナス前大統領の軋轢の中で爆発します.もともと経済混乱の原因を作ったのはサリナスであり,彼のやったことの責任までとらされるのはごめんだということでしょう.
すべての責任をサリナスにかぶせようとしてセディジョは切り札を切ります.1月,連邦警察はルイス幹事長殺害の疑いでサリナス前大統領の実兄を逮捕します.それは一種のクーデターとみることが出来るでしょう.サリナスは抗議のハンストをおこないますが,そんなことで国民の怒りが解けるはずもありません.サリナスは結局米国へと亡命していきます.
もうひとつのメキシコの話題,サパティスタ民族解放軍(EZLN)です.
昨年1月メキシコ南部チアパス州でが武装蜂起したEZLNは,貧弱な武装の農民ゲリラに過ぎません.時代遅れの感もあるこのゲリラが,しぶとく生き残っているのは広範な国民の圧倒的な支持があるためです.メキシコの知識人や中間層は,なんとなくサパティスタの話に胸ときめいているようです.
8月,サパティスタのよびかけで,チアパスの密林の中で全国民主会議が開催されます.この会議にはなんと著名知識人をふくむ3千人が集結するのです.おそらく私と同じ進歩的ミーハーでしょう.
政府の対応はお粗末そのものです.年末には軍を派遣して掃討作戦を展開したかと思うと.1ヶ月もしないうちに掃討を断念.交渉に切り換えます.
年が明けて1月15日,サパティスタと政府初の公式会談がもたれます.政府代表にはクテスマ内相が自らあたるという力の入れようです.ところが2月に入るとまたまた一転してサパティスタ幹部に逮捕命令が出されます.政府軍は現地でスポークスマンをつとめるルイス司教を監禁し,サパティスタ支配区に進攻します.
2月10日,わたしがメキシコについてホテルでテレビをつけるといきなりこのニュースでした.11日には政府軍の進攻に抗議する10万人のデモがおこなわれ,世間は騒然としてきます.
14日になると,セディジョ大統領はまたもや態度を豹変,平和的解決を提唱します.そして問題のきっかけとなった悪徳知事ロブレスを解任します.
オームじゃないけど,サパティスタを有名にするために仕組んでいるのではと勘繰りたくもなります.テレビをその話でもちきりにさせて,経済危機への国民の不満を逸そうと考えているのだとしたら,これはかなりの高等戦術です.

その他
もう時間がありません.あと14時間すると大会が始まります.
こういうニュースがありました.
サンパウロ州警の発表によれば,94年度上半期だけで7500人の子どもが行方不明となっているといいます.その多くは「養子縁組」により海外に連れ出された後,臓器を摘出されていると言われます.子ども一人あたりの取り引き価格は8千ドル,腎臓はひとつ4万ドルで売られるそうです.
なんとなく捨てるには痛ましいニュースなので載せておきます.

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