97年度北海道AALA定期大会議案

 

総論


いまや,いつソ連が崩壊したのかさえ定かでない時代となった.すでに5年を経過している.
この間,情勢はいわば「人民」の上を素通りするかのように進んできた.湾岸戦争からソマリア内戦,旧ユーゴの人種戦争,チェチェン紛争と続き,80年代から続くアフガン,スリランカと出口の見えない,やりきれない戦闘が続いた.
アルジェリアでの凄惨な大量殺害,ルワンダからコンゴへと続く大規模な内戦など,激震はいまもなお続いている.
各々のケースに共通して言えるのは,新たな覇権,ミニ覇権を狙う権力者の策動がなんらかの原因となっているということである.そこには「団結した人民」は見えてこない.バラバラにされ,覇権争いの犠牲となって逃げまどう民衆が見えるだけである.
これが「冷戦構造」崩壊後の約十年の国際政治における現象であった.
いまや注目すべきは,これらの紛争がどのように「解決」されていったか,最終的な勝者はだれだったかということである.
紛争解決の手法としてはハイチの例が典型である.ハイチでは民主的に選ばれたアリスティド大統領が軍事クーデターにより倒され,セドゥラ軍事政権による大規模な人権侵害がおこなわれた.フラーフと呼ばれる私兵組織が反対派を誘拐,拷問,虐殺していた.国連や米州諸国機構は軍事独裁に抗議し経済封鎖を強めた.しかし米国はハイチ介入に及び腰だった.ハイチ軍に大量の軍事援助を行っていたのは,他ならぬ米国である.
ハイチ難民が続々と米国にたどり着き始めた.米国はこれをすべて強制送還していた.キューバ難民に対する歓迎との著しい乖離は国際世論の強い反発を浴びた.
クリントンは突如「人権」を声高に叫び始めた.米国は国連安保理の決議を手にすると,単独でハイチに進駐し,セドゥラを追放した.アリスティドを懐柔し中立化させるとともに,軍や右翼,私兵組織幹部の保全を心がけ,セドゥラなきセドゥラ体制の維持を図った.
疲弊した経済を立て直すのではなく,IMFのコンディショニングを厳格に導入することを強制した.世銀や米州開銀の資金は統べた米国の意向に沿って投入され,さらなる大衆収奪を課そうとしている.
ハイチはクリントン戦略の見事な成功といって良い.ここに新戦略のすべての要素が含まれている.
まず「ならず者国家」論と「人権・民主主義」の手前勝手な使い分けである.そこでは「ならず者」規定における二重基準,「人権・民主主義」における二重基準がないまぜになっている.
第二には唯一の超大国としての軍事力をフルに利用して,直接侵攻をつねに選択肢の上位において脅迫する手法である.その選択は米国が単独で行う.米国にとって国連は,もはやいちじくの葉以上の意味を持たなくなっている.
第三に,このような軍事・政治上の二重基準と異なり,経済的な判断基準は単一で絶対的である.すなわち「自由主義経済」であり,多国籍企業への完全な門戸開放である.これを軍事力を背景に迫るのである.
このようにして「グローバルな共同体」が登場しつつある.
この「グローバル共同体」は,米国を先頭とする政治・軍事複合体の共同であり,ドルを基軸通貨とする多国籍企業と投機的金融コングロマリットの共同である.決して人民的共同ではない.
それはクリントンの「拡張戦略」と呼ばれる新戦略に支えられた,徹底的に帝国主義的・反人民的なものである.

 

世界人民の反撃と「非核・非同盟」を目指す闘い

非核平和の世界を求める闘争はかつてない規模で広がりつつある.昨年の情勢報告にも書いたように,核拡散防止条約改定やNTBT締結をめぐるやりとりは,いまや米国を孤立させ,その理不尽な立場をますます明らかにしつつある.
非同盟諸国首脳会議は,過去数回にわたる総会で核兵器の全面廃絶の要求を決議している.中南米に続いて東南アジアでも,各国の合意で非核地帯宣言が採択された.米国最高級軍人が「核廃絶こそ唯一の現実的な選択」と声明を発したのも大きな励ましを与えている.この広範な国際世論をどのように有効に組織し,核抑止論にしがみつく米国を追いつめていくかが今後の大きな課題となっている.
この点で緊急の課題となっているのが,米国を盟主とする一連の軍事同盟を破棄する闘いである.核の専制使用をもふくむ米国の拡張戦略は,これを容認する同盟国の存在なしには機能し得ない.従って核兵器廃絶の旗を高く掲げるとともに,他国を侵略する狙いを持つ一切の軍事同盟をなくしていく闘いがいまこそ求められている.
WTOによる開放経済の強制が,IMF/世銀を通じて,米国と多国籍企業本位で進められていることに対する抗議も広がりつつある.この点に関してはいずれ稿を改めて論じたい.
ソ連崩壊後,混乱と混迷の十年を経て明らかになったのは米国の単一支配である.それは世界の人民を経済的困難に陥れ,人権を侵害する体制である.世界中が米国とこれに従属する一握りの支配層に対して反撃を開始しつつある.
韓国労働者,フィリピンやインドネシアの民衆,インドの労働者,メキシコの教員たち,アルゼンチンの労働者と,世界でいま新たな労働運動の高揚が見られる.
これらの運動は,国際的には非同盟運動へと集約されつつある.これを端的に示したのが,昨年マレーシアで開かれたASEAN外相会議での,マハティール首相の演説である.

各論


東アジア


韓国の大ゼネスト
東アジアで今年最大の出来事は,韓国を揺るがした大ゼネストです.このストライキのきっかけは政府の労働法改悪でした.
韓国はいま深刻な経済困難を抱えています.通貨ウォンが円高に連動して高騰,このため輸出産業は競争力を失い,貿易赤字は170億ドルに達しました.いわばウォン高不況です.
金泳三政権はこの経済危機を労働者からの収奪強化で乗り切ろうとしました.賃下げ,首切り,合理化です.そのため最大の障害である労働運動を力で押さえ込もうとしました.
変形労働や労働時間の延長,「整理解雇制」による解雇条件の緩和,スト破りの合法化を盛り込んだ労働関係法改悪案が国会に提出されました.これが力づくでの正面突破を狙うものであったことは,安全企画部法改正案が同時提出されたことで明らかです.これは悪名高いKCIAの流れを汲む秘密警察の権限強化を織り込んだものです.
軍政反対運動の先頭に立った金大統領の変節を,韓国人民は決して許しませんでした.年も押し詰まった12月26日,与党が反動二法を単独採決するや,たちまち国民的反対運動が巻き起こりました.その先頭に立ったのは全国民主労働組合総連盟(民主労総)です.
民主労総は95年11月,御用組合連合の韓国労総に反対する労働組合が新たに結成した労働組織です.少数派とはいえ,韓国最大の自動車メーカー「現代」労組などを傘下に持ち,934組合50万人を結集する戦闘的労働組織です.政府が弾圧強化の最大のターゲットとしたのも民主労総でした.
民主労総はいわば組織の命運をかけて,ゼネストを提起しました.これに応え全国自動車産業労組連盟を中心に10万人がゼネスト入りしました.新年をはさんで息づまるような駆け引きが続きます.金大統領は妥協や話し合いなどを一切拒否します.検察当局は民主労総指導者50人の逮捕状を請求しました.
1月7日になると現代自動車など210労組22万人がスト入りし,一気にゼネストが拡大します.民主労総は闘争に最大動員をかける一方,最大の労働団体である韓国労働組合総連盟(韓国労総:組織人員120万人),さらにその上部団体である国際自由労連への工作を強めました.
結局世論をつかんだのは労働側でした.一般紙の世論調査でストライキ支持は75%に達します.1月9日,韓国労総は民主労総の呼びかけに応えゼネストへの参加を決定しました.国際自由労連はILOに調停を申請するいっぽう,世界各地での抗議活動を呼びかけます.ILO事務局長は「結社の自由を認めない限り解決は困難」とし,金大統領宛に組合結成と表現の自由を求める書簡を送ります.
状況は一気に変わりました.民主労総と韓国労総は共同で1月15日の労働者総決起を提起しました.14日には韓国労総傘下の銀行,タクシーなどがスト入りし,この日のスト参加者は63万人に達しました.15日,スト参加者はついに75万人に達します.韓国の経済はこの日完全にマヒしました.
勝利した闘いを成功裏に収束させるのは労働運動指導者の腕の見せ所です.この点でも民主労総は見事な統制力を発揮しました.20日,民主労総は職場復帰を指示します.そのいっぽうで週1回のストライキを続行し,その戦闘能力を誇示します.26日には韓国労総と民主労総が抗議集会を共同開催,史上最大の20万人が参加しました.参加者の多くが「統一と連帯」のスローガンを掲げます.
それは金大統領にとっては全面的な敗北でした.ゼネスト後に開かれた与野党会談には彼も出席を要請され,労働関係法の再審議を約束させられました.その場で金大統領は,労組指導者の事前拘束についても執行を猶予するよう約束させられました.
泣きっ面に蜂とはこのようなことをいうのでしょう.2月10日,反撃のいとまもないままに「韓宝」スキャンダルが発覚します.捜査の手は次々に上層部に波及,ついに金大統領自身にも及びます.彼の次男が韓宝スキャンダルへの関与を暴かれ逮捕されてしまうのです.かつて全,盧の二人の前大統領を獄に送ったときには国民の8割から支持を得た金大統領が,いまや任期の終わりを待つ「レイム・ダック」となり果てました.それ自体が国民世論の健全さを示す大勝利です.
しかし労働者の闘いがいかに勝利しようとも,それで韓国経済の抱える深刻な問題が解決されたわけではありません.国会は労働法を再改定し,民主労総を合法化しようとしています.しかし労働省=国家権力は民主労総の提出した設立申告の受け取りを拒否するなど,依然抵抗の姿勢を変えていません.そこには国家のシステムを国民主体のそれに変換する闘いが依然として残されています.
いっぽう「民主勢力」の側にも,依然として金日成を奉じ「南進論」の下に一切の民主運動を従属させる議論が根強く残っています.
それらをどう克服していくのかが,韓国人民に大きく課せられた問題となっています.注意深くかつ暖かく見守っていく必要があるでしょう.

北朝鮮

北朝鮮に関しては情報が錯綜しています.しかし食糧事情がきわめて深刻であることは間違いなさそうです.干ばつと洪水が襲い,主食の米どころか代替食料のトウモロコシも壊滅的打撃を受けました.6月に国連と国際赤十字は北朝鮮の食糧備蓄が底をついたことを確認しています.その報告によれば,約550万人が飢餓に陥り,今後数カ月以内に餓死者が続出するとの見通しです.北朝鮮当局も昨年の穀物生産量が必要量の1/3にとどまり,食料在庫は年間必要量の5%に過ぎないと発表しています.北朝鮮の新聞は,カタツムリ,大豆の葉などを食用にするよう呼びかける記事を掲載するにいたりました.
北朝鮮はなんとか商業ベースで食糧を確保しようと,カーギル社と食物輸入交渉を行いましたが,条件が折り合わず決裂に終わりました.国連は食料10万トンの緊急援助を呼びかけました.南北朝鮮の赤十字会談が開かれ,穀物5万トンの直接援助で合意しています.台湾は北朝鮮に15億ドル援助を約束し,さらに羅津・先鋒自由貿易地帯への投資計画を発表しました.
このような困難にもかかわらず,政府は頑なな姿勢を改めようとせず,金正日専制体制づくりに狂奔しています.7月に金日成死去3周年を期して喪明けを宣言,議会にも党の正式機関にもかけないまま金正日を「統領」に据える動きがはっきりしてきました.韓国に潜入した潜水艦から米国からの援助食料が発見されたという情報が伝えられています.飢餓救援のための物資が無謀な戦争行為のために用いられるとすれば悲しいことです.

米国は,このような朝鮮半島の情勢を自らのアジア支配の強化のために最大限利用しようとしています.新たに国防長官に就任したコーエンは,北朝鮮という「ならず者国家」が消滅し「朝鮮半島統一が実現しても,アジアへの米軍十万駐留体制を維持する」と述べています.
朝鮮半島有事に際して米軍がどのような行動をとろうとしているのか,それに日本がどのように巻き込まれる危険があるのかは,94年に起きた「北朝鮮核疑惑」をめぐる一連の動きでも明らかです.これについては一昨年の情勢報告の中で触れているのでご参照ください.いま問題になっている「ガイドライン」見直しは,この時の想定作戦を戦略レベルでマニュアル化したものといえるでしょう.「仮定の問題には答えられない」という橋本首相の答弁には怒りがわきます.

香港返還と台湾

香港の中国返還にともなって,台湾問題がさらに尖鋭化するのか,それとも安定していくのかは,にわかに論じることが出来ません.おそらくそのカギは,香港において民主主義が具体的にどのように尊重されていくのかにかかってくるでしょう.
新執行部が定めた「香港基本法」は,これまでの条例中人権保護にかかわる部分にクレームを付けました.香港の民主派の組織「前線」や弁護士会などは,これに対し一斉に反発しています.もし香港で「天安門事件」が再発するようなら,中国は世界中の反発を受け国家の存立そのものが危うくなります.
中国が台湾周辺で行った挑発的な軍事演習,南沙諸島への進出は,東アジア各国の警戒心を呼び起こしています.それは台湾が米国からF16戦闘機150機を購入するための絶好の口実ともなりました.ロッキード社はさぞかし大喜びしていることでしょう.
さっらに中国はフリゲート艦3隻を南沙諸島に派遣.島に建造物を構築します.4月末にはさらにルソン島沖200キロのスカボロ島にも中国船が進出.フィリピンはこれに厳重抗議するとともにフリゲート艦2隻を急派,厳戒態勢を敷きます.一連の事態に,中国は「わが国の主権に対する挑戦であり,厳重な関心を表明する」と非難します.
しかし中国の改革はもはや後戻りできないところまで来てしまっています.その生殺与奪の権利は事実上米国資本に握られつつあります.返還後の香港には,いま中国全土から巨額の資金が流入しつつあります.中国の金融市場とその構造にはまもなく激変が起こると予想されます.この激変に耐えて中国政府が「一国二制度」の公約を守るならば,台湾問題は解消し,平和的統一が展望されることになるでしょう.
台湾問題の基本的視点は,中国という国の平和的,民主的統一にあります.中国は本来一つだし,一つであるべきです.台湾であろうと中国本土であろうと,民族統一は中国人すべての願いです.少なくともこの観点から議論を出発させないと,奇妙なことになります.

東南アジア

金融危機

東南アジアはいま経済的苦境に立たされています.その理由は,前々回の総会方針でも述べたように経済的基盤の脆弱さにあります.輸出志向型,自由経済システムは絶えず外資が導入してくること,生産物の輸出が順調に伸びていくことを前提として始めて成り立つものです.この29年間の経済発展は,日本の米国への「迂回輸出」路線の下で資金が流入したことで促進されました.さらに日本が米国にも迫られながら自由化を推進した結果,東南アジア工業産品の最大の顧客となったことにも影響されました.
日本でバブルがはじけた後,米国の強引な為替操作も加わり,資金は米国に環流してしまいました.さらに
日本の購買力が落ちた結果,過剰生産となり,たちまち貿易収支は悪化します.高度成長型の財政政策を採っていれば一たまりもありません.5月から値を下げ始めたタイのバーツが,7月末についに暴落.これに連動して東南アジア各国の通貨も一斉に値を下げることになります.
このような経済的状況が政治にどのような影響を及ぼすことになるのか,現在の所は不明です.経済そのものもこのまま危機的状況に向かっていくのか,循環の一局面なのか,見極めが必要でしょう.

インドネシア

インドネシアは民主主義国家建設に向けて,いま陣痛の真っ最中です.スハルトの腐敗はその極に達しています.先日打倒されたコンゴ(旧  )の独裁者モブツと肩を並べています.その腐敗ぶりを象徴するのが国民車「ティモール」をめぐる疑惑です.95年,スハルトは華々しく「国民車」構想をぶちあげました.インドネシアの独自の技術で,だれでも買える値段で乗用車を作ろうというのはよく分かる話です.ところがこのティモールはまさに羊頭狗肉でした.製造は部品のはてまですべて韓国製,国産なのはティモールという名前だけでした.おまけにこの車,韓国での販売価格のなんと3倍というのですから,国民収奪車というのがふさわしい車です.この車の独占販売権を握ったのはスハルトの三男でした.
ところがこんな車にはだれも見向きもしません.そこでスハルトは,公用車をすべてティモールにせよと命令するのです.もはやおとぎ話の世界です.
暴君スハルトは批判を許しません.94年の軍艦疑惑はその一例です.旧東独の軍艦をインドネシアが購入したのですが,そこにはリベートが絡んでいました.「テンポ」という雑誌がこれを暴露しました.普通なら内閣の一つや二つはぶっとぶ大問題ですが,インドネシアでは逆に暴露した雑誌が発禁となり,ついでに他の雑誌まで巻き添えを食って発禁となっただけで終わりです.
ふりかえると65年9月,ジャカルタ事件というクーデターが発生します.この首謀者がスハルトでした.彼は当時百万人を数えた共産党員を根絶やしにします.そのために強大なスパイ網を築き上げました.これがいまでも彼の最大の財産となっているのです.
世の中で何が恐いといって「密告」ほど恐いものはありません.ある日突然警官が戸口に現れ,身に覚えのない嫌疑で連行される.その先の運命はまったく分からない,という生活を毎日送ったら,たちまち神経が参ってしまうでしょう.そういうなかからインドネシアの人民は少しづつ立ち上がってきたのです.
その先頭に立ったのが,非公認の労働組合「福祉労組」でした.これについてはこれまでの総会報告で触れてきました.学生運動や労働運動の活動家は公認野党の民主党に加わりメガワティ支持を掲げて闘ってきました.総選挙で民主党が躍進した96年4月,左翼活動家を中心に民主人民党が創立されます.この党は選挙参加政党制限の撤廃,大統領の任期を二期に限ることなどをスローガンに掲げ,急進的活動を開始します.
情勢の重大さを見て取ったスハルトは,最大のライバル,メガワティの排除に動き出しました.96年6月,スハルトの支援する民主党反メガワティ派が強引に「大会」を開催します.「大会」はメガワティ不在のまま彼女を解任し,裏切り者スルジャディを新党首に選出します.
メガワティ支持派は納得しません.ジャカルタの民主党本部を占拠しメガワティ支持を叫びます.インドネシア第三の人口を持つ工業都市スラバヤでは,労働者2万人がストライキに立ち上がりました.このストはこれまでの常識を破る画期的なものでした.経済要求だけでなく,政治5法の廃止,国軍民主化,労組設立の自由などの政治的スローガンを真正面に掲げたのです.軍はストを弾圧するために破壊活動防止法を発動しました.7月27日,ついに軍隊が反政府運動の牙城と化した民主党本部に突入,引き渡しを拒否するメガワティ支持派を排除します.これを怒る市民が自然発生的に示威行動を展開,世にいうジャカルタ暴動が発生したのです.
今年5月末,総選挙が行われ与党ゴルカルが圧勝しました.それは政治がますます人民から遊離し専制的なものとなったことの象徴でした.選挙の前に各地で起こった「暴動」を列挙します.96年12月,西部ジャワ州タクシマラヤで警官がイスラム神学校の教師に暴行.住民が暴動を起こし商店街に放火,4人が死亡.明けて1月,バンドンの繊維工場で労働者5千人が暴動.軍が出動し2日がかりで鎮圧.選挙直前の5月23日,カリマンタン島南部のバンジャルマシンでゴルカルとPPP支持者が衝突,暴動に発展する.商店の放火による死者142人,行方不明164人etc etc……という具合です.
政府の弾圧は依然として,ますます厳しいものがあります.民主人民党(PRD)のスジャトミコ書記長らは,ジャカルタ暴動を扇動したとして国家転覆罪で最高13年の禁固刑の判決をうけました.福祉労組に続く大弾圧です.しかし客観的に見れば追いつめられているのは民主派ではなくスハルトです.大統領選に向けいまインドネシアは大きく変わろうとしています.

カンボジア

91年10月,カンボジアの4つの政治勢力がパリ和平協定に調印してから6年を経ようとしています.しかし依然としてカンボジア情勢は安定したとはいいがたいようです.
内部紛争の種を蒔いたのはラナリット第一首相でした.93年総選挙では第一党になったフンシンペックですが,その後も実際には軍を支配するフンセン派(人民党)が権力を握り続けました.なおフンシンペックというのは,別にクメール語でもなんでもありません.党の正式名称「独立・中立・平和・協力のカンボジアのための民族統一戦線」(Frente Unida Nacional de Cambodia para Independencia, Neutralite, Paz Et Coordinacion)の頭文字をとっただけのものです.
このような状況の打破を図ったのが,ことの次第です.1月,ラナリットは人民党抜きで「国民連合戦線」を結成する意向を表明しました.今年末の総選挙をにらんで,人民党に公然と反旗を翻そうというのです.この連合にはクメール民族党,仏教自由民主党などが参加の意向を表明しました.問題なのは,これにポルポト派幹部のイエン・サリまで巻き込んだことです.さらに5月になると,別のポルポト派幹部キューサムファンも「クメール団結党を結成し国民連合戦線に加わる」と表明します.
このポルポト派幹部との「野合」の背景には,ポルポト派を利用して軍事バランスの回復を図ろうとするシアヌーク国王,さらに何らかの形でポルポト派勢力の温存を図ろうとする中国の策動がうかがえます.
フン・センはただちにイエン・サリをふくむ「統一戦線」構想を「ポルポト復活に道を開くもの」と激しく非難.各地でフンシンペック派部隊への武力挑発があいつぎます.政府軍が影で糸を引いていたことは疑いありません.3月末には,野党クメール国民党のデモに手投げ弾が投げ込まれ11人が死亡,百人以上が負傷するという事態に至ります.
その一方でフンセンはフンシンペック党議員の引き抜き工作を開始します.国会議員12人が工作に応じた結果,フンシンペック党は議会第1党の座を失うことになります.
7月5日,ついにプノンペンでも市街戦が開始されました.闘いは一両日を経ずに人民党の完全勝利に終わります.フンセンはラナリットを「売国奴」と非難,国土からの追放を宣言します.事実上のクーデターです.
ラナリットなきフンシンペック党は臨時総会を開催し,イン・フォット外相を第一首相に推薦しました.フンセンは国連事務総長,米政府当局者,ASEANの特使団とあいついで会談したあと北京に飛びシアヌークと会見するなど精力的な外交活動を繰り広げます.新政府が実体的に国土を掌握したこともあり,各国はしぶしぶながらこのクーデターを事後承認する方向で動いています.
しかしシアヌークは「第一首相は依然としてラナリットであり,イン・フォットの就任は認められない」と言明するなど多くの火種を残しています.さらに肝腎のポルポトの消息が未だ不明です.これからもカンボジア情勢は目が離せません.

ミャンマー

ミャンマーでは引き続き軍事政権とNLDとのあいだで息づまる綱引きが行われています.5月の総選挙記念日集会を前に,当局は議員60人をふくめNLD活動家100人を予防拘束しました.その後地方への弾圧を拡げ,全国で数百人が逮捕されました.昨年9月に続く大弾圧です.米国は新規投資の禁止で制裁する一方,ASEAN諸国にも圧力をかけるよう要請しますが,ASEANは煮えきらない態度に終始します.この中で3月,第二の都市マンダレーで僧侶達による反政府デモが行われました.デモに対して流血の弾圧が加えられ,僧侶側の発表によれば僧侶3人が死亡,百人以上が逮捕されたといいます.政府はマンダレーに戒厳令を出し完全な報道統制を加えたため,真相は依然不明です.

フィリピン

フィリピン人民は革命の伝統を守り抜きました.ラモスの大統領再選策動を粉砕したのです.
昨年来ラモスは,憲法の再選禁止規定を破棄して大統領の座に居座ろうと策動を続けてきました.まず彼の権力を強化するため軍の取り込みを積極的に図りました.政府要職のうち実に55人が軍出身者でしめられるようになりました.ほとんど軍事政権といって良い構成です.
ついで南沙諸島への中国進出を最大に利用して危機感を煽り,米比相互防衛条約の強化を狙いました.これで米国の支持が得られれば,彼の政治基盤も飛躍的に強化されることになります.しかし米国が相互防衛協定の強化と引き替えに出してきた条件は厳しいものでした.米兵の不法行為にたいし治外法権を要求してきたのです.議会はこれに激しく抵抗しており,交渉は難航しそうです.
第三にラモスはミンダナオのイスラム・ゲリラとの和解交渉を成功させ点数を稼ごうと狙いました.昨年9月,政府とモロ民族解放戦線とのあいだに和平合意が成立.南部フィリピン和平開発評議会の下で自治権が付与されることとなりました.ここまでは大いに結構なことですが,その後がいけません.ラモスは援助の約束を実行しなかったのです.その結果新たな不信感が現地で生まれています.
和平に反対するモロ・イスラム解放戦線(MILF)がミンダナオ,バシラン島を中心に抵抗を継続.和平成立後は不満層を結集し勢力を拡大,兵力は5千から1万に達しようとしています.MILFは78年モロ民族解放戦線からイスラム原理派が分離したもので,そのやり口はセンデロに近い野蛮なテロ集団です.
政府はこの集団とも交渉を開始,3月には和平案の提示まで進んでいますが,兵士の社会復帰と生活再建への援助という具体的な局面で暗礁に乗り上げています.
ラモス大統領が再選攻勢を強めるのに対抗して,国民のあいだにも危機感が広がりました.大統領選に向け最大野党「フィリピン民主の闘い(LDP)」など三党が連合を結成.ラモスに対抗する統一候補の擁立を目指します.8月21日,ベニグノ・アキノ暗殺14周年記念集会は,86年革命に参加した人たちの大結集する場となりました.集会に出席したアキノ前大統領は,大統領再選を禁じた現憲法の維持を訴えます.
ついにラモスは再選断念に追いこまれました.未だ100%とはいえませんが,再選のための憲法改正を求める彼らの署名用紙が,たまたま保管していたビルの水道漏れでダメになってしまったのが大きな痛手でした.

非核地帯条約

ASEANといえば,ミャンマーやカンボジアの加盟問題,APECとの対応ばかりが話題になりますが,ASEANの方向を見る上で決定的に重要なのが東南アジア非核地帯条約です.95年12月,バンコクのASEAN首脳会議で調印されたこの条約は,その後各国議会で批准され,今年になって正式に発効しました.
この条約の精神は,7月24日のASEAN外相会議でのマハティールの開会演説にしめされています.少し長くなりますが引用しておきます.

かつて北ベトナムが勝利すればドミノ現象が起きるといわれた.しかし,ベトナムは世界最強国に勝ったが,ドミノは倒れなかった.各国は繁栄し安定している.平和と善隣が信条となり,ともに協力して平和,自由,中立の非核地域を建設する願いをはっきりと示している.
各国はそれぞれ自由に他国と相互安全保障の取り決めを結んでいる.だが,ASEANそのものは軍事同盟になって自らを防衛することはしない.
われわれの安全が心配だという国がある.それならそういう国はわれわれの平和,自由,中立の非核地帯構想を支持すべきだ.われわれには敵はいないし,誰に対しても仮想敵のレッテル張りはしない.域外の諸国とのあいだに問題が起これば,団結をテコにしながら協力して交渉による解決を目指していく.
守ってやるという申し出はありがたいが,問題が起こったときに捨てられる国がたくさんあったことを,われわれは見てきた.そうであれば,約束された支援が必ず来るとどうして確信できようか.
われわれは問題解決の手段としての武力を否定する.われわれのやりかたで問題解決にあたることによって安全の確保は可能だ.ASEAN自らが軍事ブロックとなって,肩を並べて闘うことはありえない.決定的な防衛力は安定と経済力にあり,協力の意志にある.
自由市場システムによって経済成長を図っている世界では,領土の獲得はもはや価値がない.軍事的な征服や植民地は過去のものになった.しかし,植民地とは異なる形態の覇権主義も可能である.そのことを彼らは知っている.
経済発展と国民福祉に力を集中すべきだ.経済的な繁栄こそ安保問題への解答である.繁栄すれば他国から重視され,考え方も尊重される.軍事力は恐怖を呼び起こし高価な軍拡へと導き,武器商人達の利益になるだけだ.それに対し経済繁栄は尊敬を呼び起こし,利益はわれわれのものになる.
ボーダーレスの世界とか情報化時代,市場と社会の開放が叫ばれている.このような国際通商政策についての新しい考え方が,われわれにどのような影響を与えるかを知っていなければならない.彼らは最強の8カ国で強力な通商ブロックを形成し,自分たちだけですべての国の運命を決めるべきだと考えているようだ.発達した諸国が同じように市場を開放すれば結構だが,それが一方通行にならない保証はない.
いま通貨を不安定化させてASEAN諸国の経済に打撃を与えようとする巧妙な策動が行われている.基本的な経済は健全なのに,数十億ドルの投機資金によってこれまでの発展が破壊されかねない.もし投機資金によって経済が混乱すれば,その犠牲はわれわれが払わなければならない.市場を開放して自由にせよというが,ならず者の投機家にも全面開放しろというのか,将来を考えると懸念が残る.

南アジア

アフガニスタン
タリバンの勝利によって事態が沈静化するかと思われたアフガンですが,その後も流動的な情勢が続いています.
昨年首都カブールを制圧したタリバンは,厳しいイスラムの戒律を国民に強制する一方,今年はじめには国土の完全制圧を目指し北進を開始しました.部隊は1月中にはカブール北方50キロのバグラム空軍基地,
75キロのマスード派拠点ジャバルサラジを制圧した後,ラバニ派の本拠タハール州バンジデール渓谷の制圧を目指します.渓谷の入り口グルバハルを確保した後,激しい戦闘が繰り返されましたが,結局ラバニ派の駆逐には失敗します.
いったん膠着状態に陥ったタリバンは,5月,今度はドスタム派拠点の制圧に乗り出します.部隊はドスタム派から寝返ったマリク将軍の支援を受け,ファリャブ州の要衝マザリシャリフを制圧しました.さらに北東部の要衝を次々に確保.サラン峠も制圧します.基盤の北部6州をすべて失ったドスタム軍はマザリシャリフ奪回を目指し反撃を開始しました.2日間にわたる激戦の末,ついにタリバンはマザリシャリフ撤退を余儀なくされます.
6月,タリバンはふたたび北部に進撃します.今回はラバニ派のマスード元国防相が率いる部隊をつぶすことが目標です.7日,タリバンはカブール北方70キロのジャバルサラジをふたたび制圧.7月2日にはついにタハール州の州都タロカンを制圧しました.タロカンはラバニ派が暫定司令本部をおいていた町です.
しかし実は反タリバン勢力はこの時を待っていたのです.密かに移動した主力部隊は,手薄になった首都カブールへ攻撃を集中します.5日からの三日間カブールは連続爆撃にさらされます.続いてバグラム,チャリカン空軍基地がラバニ派により奪還されます.マスードの部隊はカブール北方20キロまで迫りました.7月末になるとカブール市内は連日の空襲にさらされることになります.
分断され浮足だったタリバン軍は,カブール近郊の拠点を次々と奪われ窮地に立たされています.8月21にはマスード派の軍,カブール北方のタリバンの最大拠点を陥落しました.マスードはタリバンに首都退去を要求します.
軍事的には圧倒的優位をしめるタリバンが,このまま引っ込むわけはありません.これからも複雑な軍事状況が続くものと思われます.しかし今回の事態を通じて,タリバンによる武力制圧が不可能なことが明らかになりました.アフガン問題は最終的には政治的決着に持ち込まれざるを得なくなるものと思われます.

スリランカ

スリランカは相変わらず血を血で洗うような闘いが続いています.95年12月,イーラムの拠点となっていたジャフナの町が政府軍の手に落ちたことは,前回の情勢でも触れています.その時予想したとおり,イーラムはテロリスト化し,無差別の襲撃をくり返しています.
96年1月には首都コロンでスリランカ国立銀行ビルが爆破され,民間人120人が死傷しました.ついで
7月にはコロンボ郊外を走る列車が爆発.70人が犠牲となっています.8月には北東部海岸のムライティブ基地を奇襲攻撃.政府軍側は千名以上の死者を出すという空前の大敗北を喫しています.
今年に入って情勢は一段と深刻化しました.イーラムは北東部のジャングルに散開,テロ活動を強化しています.組織人員は8千から1万に達したといわれています.イーラムは政府軍と正面から闘いを挑み,少なからず勝利を収めており,政府軍は一方的な防戦に追い込まれようとしています.
政府軍は北東部で今年はじめから掃討作戦を開始しましたが,この掃討部隊がイーラムの恰好の攻撃目標となっています.3月6日,バプナティブ陸軍基地に大規模な攻撃が加えられ,双方に数百人規模の死傷者が出ました.これがイーラム攻勢の口火となりました.4月にはトリンコマリー県プルモダイでイーラムが政府軍を待ち伏せ,兵士28名を死傷.5月にはバプニア北方の前線基地を攻撃.政府軍兵士200名が死亡,市民60人も犠牲となっています.6月10日,ついにイーラムはバプニヤの政府軍司令部を襲撃.兵士58人が死亡しています.バプニアは8月にも襲撃され67人が死亡しました.ゲリラ側はその3倍の死者とされていますが,政府側発表ですから当てにはなりません.一般的には奇襲が成功した場合,ゲリラ側の犠牲は驚くほど少ないのが通例です.
このような状況の下で,政府軍は5月「確かな勝利」作戦を展開しましたが,その成果は北部のジャフナへの陸送ルート(国道9号線)を確保するにとどまり,確かな勝利とはほど遠いものでした.
この闘いを武力で勝利するのは不可能だということが,だれの目にも明らかになってきました.しかしイーラムはスリランカの権力を握ろうとする目標を持っている訳ではありません.そこで何らかの和解が必要になってきます.もはや「自治」というレベルでとどまるわけには行かないでしょう.最低でも国家としての自立を認めた上での「連邦制」,場合によっては完全独立という結論も予想されます.問題は現政権が戦争を始めた張本人である排外主義者の抵抗を押さえ込めるか否かにかかってきました.

インド

インドでは,国民会議派の地滑り的大敗北と宗派政党人民党(BJP)の第一党進出により,政治的混乱が続いています.96年6月,宗派主義政権実現阻止のため第三党のジャナタ・ダルを中心に多くの政党が連合し,ゴウダ政権が発足しました.国民会議派が閣外協力することでこの政権が成立したのですが,もともとこの政治的混乱は国民会議派の腐敗・不正によるものです.彼らは党派的利益を貫くため,政府に無理難題をふっかけてきました.こうして今年4月,ゴウダ政権は崩壊してしまいます.
国民会議派はゴウダ政権に代わり組閣を試みましたが,各党の支持が得られず,結局引き続きジャナタダル政権に閣外協力することとなりました.新首相にはパキスタンとの和平推進で得点を上げたグジュラル外相が就任,ここにひとまず政治危機は回避されます.
しかし新政権もジャナタダル総裁のラルーが飼料汚職事件で起訴されるなど前途多難です.開放経済の下,貧富の差が拡大し国民の不満が蓄積しています.95年に全土を揺るがしたゼネストは記憶に新しいものがあります.いずれ大きな変化が訪れることは間違いないでしょう.
インドの人口は過去6年で1億人増加.2001年には10億人を越し,中国を抜いて世界最大の人口になると予測されています.インドの動向は世界の今後を占う上でも重要な因子となりつつあります.

パキスタン

パキスタンでも軍政反対運動の中で,首相の座についたブット首相が,身内をふくむ不正・腐敗の中で政治生命を失いました.
混乱の直接のきっかけとなったのは,カラチに集中するインドからの移住者でした.パキスタン建国時イスラム教徒であったためにパキスタンに移った「モハジール」人達は,パキスタンの政治の中で常に疎外され続けてきました.彼らは公平な権利を求めて「モハジール民族運動」を結成しました.93年にはタリク党首をテロで失うなど,この数年間で1万7千人が殺害されたといわれます.
この暗殺にブットの実弟が関与し,ブット自身もそれを知っていたことが明らかになると,モハジール人たちの怒りは爆発し,あわや内戦という事態まで進んだのです.事態を憂慮したレガリ大統領はブット首相を解任,国民議会の解散と総選挙実施を指示します.
普通なら議会制民主主義の原則を逸脱する大問題ですが,パキスタン国民はこの決定を歓迎しました.それほどブット政権は国民から離反していたのです.
今年2月行われた総選挙では,資本家階級を代表する元政権党のパキスタン・イスラム教徒連盟が,ブットの人民党に大勝しました.変わりばえのしない政党ですが,国民は公平と公正の立場から反ブットという選択をしたものと思われます.

バングラデシュやネパールでも,開放経済を唱える資本家階級と国民との矛盾が膠着状態に陥り,次々と政権が交代する状況が生まれています.国民会議派政権がスターとしたばかりのネパールでは,自由化政策を進めようとする会議派が議会での信任を得られず退陣.3月には旧体制与党の国民民主党と共産党の連立政権が発足しています.生活物資や公共サービスの価格は2倍になり,ただでさえ苦しい庶民の生活を直撃しています.
バングラでも,民族主義党政権に代わり,アワミ連盟を中心としたハシナ政権が誕生しましたが,新政権も規制緩和や民営化を推進することでは変わりありませんでした.
7月30日,バングラ人民の怒りが爆発しました.労働者全国組織「労働者・従業員連帯同盟」(SKOP)の呼びかけで「賃上げと民営化反対」をスローガンに,5百万人が24時間ストに突入しました.このストには最大野党のバングラ民族主義党系労組とともに,なんと与党アワミ連盟系や左翼系などすべての系列の労働者が参加しています.

中東

パレスチナ
4年前,イスラエルとPLOが「暫定自治の取り決めに関する諸原則の宣言」に合意しました.両者はイスラエル軍の占領地域からの撤退,国連安保理決議に基づく「包括的和平及び歴史的和解」を確認しました.いわゆる「オスロ合意」とよばれるものです.
94年からガザとエリコで先行的自治が開始されました.95年にはパレスチナ自治拡大協定が調印され.PLOの自治権を西岸全体へ拡大することが確認されました.
この基調はイスラエルがネタニヤフ政権に代わった後も変わらず,今年1月には両者がヘブロン撤退で合意,パレスチナ自治区に編入されることになりました.しかしこのような「雪解け」は,ネタニヤフの東エルサレム入植強行を期に一転しました.
3月1日,ネタニヤフはパレスチナ人居留区である東エルサレムに,ユダヤ人住宅6,500戸を建設すると発表.早くも18日にはハルホマ地区で強引に着工します.
その3日後,テルアビブでハマス(イスラム抵抗運動)による自爆テロが発生しました.子供をふくむ47人が死傷します.ついで7月30日,今度は西エルサレムで自爆テロが起き,14人が死亡150人以上が負傷します.
3月以降の動きで特徴的なのは,リクード極右政権が強硬措置をとればとるほど,イスラエルの弱体化が明白になってきていることです.かつてその「優秀さ」を謳われた情報機関モサドが,パレスチナ要人暗殺計画に大失敗し醜態をさらしたこと,レバノン南部に侵入した空挺部隊が「イスラム聖戦機構」(ジハード)の抵抗にあい思わぬ苦戦を迫られていることなど,随所にほころびが出始めています.
これまでの圧倒的な軍事的優位性が失われれば,イスラエルはこれまでの相対的な政策フリーハンドを失い,完全に米国の手に政策決定権を握られてしまうことになります.パレスチナ人民の闘いとの関係で注目される所です.
一方,パレスチナ側にも重要な変化が現れています.パレスチナの会計検査院は自治政府の年間予算の使途について調査.8億ドルの内3億ドル以上が,汚職または不法な乱費で浪費されているとの報告書を提出しました.この報告に基づき,パレスチナ立法評議会は「すべての閣僚が何らかの金銭着服を行っている」と断罪,内閣の解散・再組織を要請する決議を採択しました.政府の乱脈ぶりにも驚きますが,このような報告を行った会計検査院,このような決議を行った評議会には感嘆の念を抱かずにはいられません.いまや自治機構がたんなるゲリラ集団の連合ではなく,三権分立をともなう民主主義的統治に成長しつつあることがうかがえます.

イラン

イランでは原理主義の一定の手直しを目指すハタミが大統領に就任し,変化が生まれようとしています.ハタミはかつてイスラム指導相を勤めた人物であり,イスラム教権力の中枢にいた人物です.しかしイラン・イラク戦争後の長引く経済苦境を原理主義だけで乗り切ることは出来ないと見て,路線に一定の手直しを加えようと図っています.それはラフサンジャニ前大統領の路線でもありました.
イスラム最高幹部はラフサンジャニの後継に強硬派のナテクヌーリ国会議長を推しました.ハタミはいわばこの潮流に反旗を翻したわけです.当初はナテクヌーリの圧倒的優位が予想されていました.ハタミは情勢を打開するため,言論・表現の自由拡大,女性の権利拡大と国民生活への参加を押し出したのです.
おそらく当初ハタミの考えはラフサンジャニ路線の踏襲にあったのでしょうが,選挙戦を通じて国民の願いが彼をイスラム・リベラリストに押し上げていきました.8月,ハタミ大統領は就任演説で「国際的緊張を引き起こすいかなる活動も態度も回避する」と述べます.そして公約通り,女性(テヘラン大学教授)を副大統領に任命しました.
強硬派のナテヌクーリは依然国会議長にとどまっており,議会内の力関係も圧倒的に強硬派優位となっています.しかし革命以降人口は6千万人に倍増したのに国民所得は半減するという経済的苦境は,政治家にも強い圧力となっています.3月には石油労働者の大規模なストが発生しています.政府の弾圧により二人の死者と3百人の逮捕者を出し敗北はしましたが,今後これに続く大規模な闘争が起きないという保証はありません.新大統領の政治的手腕が注目される所です.

トルコ軍は昨年に引き続き5月にもイラクに越境,クルド労働者党(PKK)のゲリラ掃討作戦を展開しました.この作戦にはPKKと敵対関係にあるクルド民主党(KDP)も参加しています.かつてイラクがイランの混乱に乗じて越境攻撃を掛けたのと同じことが,攻守ところを変えてトルコとのあいだに起きています.米国が暗黙の支持を与えていることも共通しています.トルコ政府の非民主的体質とあわせ,新しい地域覇権主義の表れとして注意する必要があります.

ラテンアメリカ

ペルー
今年最大のニュースはなんといっても大使館人質事件です.しかしこれについては別の機会にも触れているので今回は省略します.
ここでは「その後のペルー」について簡単に紹介しておきます.
フジモリは全土にゲリラの波が荒れ狂う中,変革(カンビオ)の旗を掲げ当選しました.フジモリは崩壊した経済の建て直しを急ぐ一方,ペルーの危機の最大の原因となっているゲリラの根絶に全力を集中しました.
国内の政治勢力はフジモリの努力を陰に陽に妨害しました.とりわけゲリラ対策については,ゲリラに対する中途半端な同情が事態の打開を大きく阻んでいました.
八方ふさがりの状況下で,92年,ついにフジモリは議会解散の挙に打って出たのです.議会制度を民主主義の最大の証と考える人々にとっては許しがたい暴挙です.しかしこの時の世論調査で議会に対する不信感が8割の人に蔓延していたという事実も見逃してはならないでしょう.そしてフジモリのクーデターを支持する声が6割に達したという事実もです.
フジモリ政権はその後のセンデロやMRTA掃討作戦に,基本的には成功したといえます.さしものセンデロも,グスマン議長の逮捕後は首都を脅かすほどの勢いはなくなり,アマゾン流域の根拠地を守るのが精いっぱいという状況になりました.
作戦成功の最大のカギは住民の武装自衛という思い切った戦術にありました.軍隊だけで闘っていたら,ひょっとするとセンデロに負けていた可能性もあります.なにせ麻薬取り引きで得た豊富な資金は軍隊を上回るほどだったのですから.
このことに自信を深めたフジモリは,人民との直接対話により支持を獲得しようとする傾向を強めます.これが独裁につながる第一の道です.
もう一つの道は軍隊との癒着です.クーデターを実行するには軍の支持が不可欠です.さらに反対勢力に対抗してその政権を維持するためにも,軍への依存を深めなければなりません.現に彼はその道をたどってきたし,だからこそ軍の野蛮な人民弾圧や,目に余る軍内部の腐敗にも目をつぶらなければならなかったのです. 
昨年8月,フジモリは次期大統領選への出馬の意思を表明しました.憲法は連続三選を禁止しているのですが,「旧憲法下で当選した1期目は,当選回数に含まれない」と強弁したのです.フジモリ派が多数を占める議会もこの解釈を合憲と認めました.これには当然のことながら各界から反対の声が挙がりました.
これをフジモリは力尽くで中央突破しようと図ったのです.人質事件解決直後,フジモリの支持率はぐんと上がりました.この時を狙って最大の敵となっている裁判所への攻撃を開始したのです.議会は憲法裁判所判事4人を解任する決議を採択しました.かれらはいずれも三選出馬は憲法違反であるとの判断を示していたのです.
三選出馬だけでも立派な憲法違反なのに,三権分立を乱暴に踏みにじるとすれば,もう立派な独裁者です.
6月5日にはリマでフジモリの民主主義破壊に抗議するペルー労働者総同盟(CGTP)の集会が開かれました.この集会には2万人が結集,フジモリ政権成立以来最大規模の集会となりました.この集会に前後してフジモリ三選の是非をめぐる国民投票を実施するよう要求する署名運動が開始されました.反フジモリ反独裁の声が一気に全土に広がりつつあるといって良いでしょう. 
この動きの中で7月13日,フレンクエンシア・ラティーナ・テレビが衝撃的な報道を行います.国家情報局(SIN)が政治家,企業家など約二百人の電話を盗聴していることを暴露したのです.フジモリはテレビ局社長の市民権を剥脱するなど強硬策に出ますが,国民の怒りに油を注ぐようなものでした.
16日には盗聴対象者の一人,トゥデラ外相が抗議の辞任を声明します.ついでカスティージョ国防相,エルモサ法相も辞任します.8月にはいると前の国連事務総長デクエヤルも盗聴の対象となっていたことが判明しました.フジモリ与党が多数をしめるペルー議会さえも,電話盗聴事件を解明するため特別委員会を設置します.
フジモリの支持率は19%にまで低下,刑事被告人の立場に立たされる危険すら出てきました.「私は関与していなかった」とはいえません.このようなスパイ支配の国家システムを作り上げた責任はまさに彼にあるのですから.いずれにせよもはやフジモリは完全な死に体といって良いでしょう.

キューバ
派手な動きで世界の注目を集めたペルーですが,今後の世界政治・経済のあり方を規定するような大きな動きは,やはりなんといってもキューバです.とりわけヨーロッパ,カナダ,中南米すべてを巻き込んだヘルムズ・バートン法をめぐる動きです.
ソ連・東欧の崩壊以来,キューバ経済は壊滅的打撃を受け危機的状況が続いています.食料さえ満足にあたらないような苦境を見て,当時の大統領ブッシュが「私はキューバのうめきを聞いて喜んでいる」と語ったのは有名な話ですが,それに追い打ちをかけるように経済制裁を強化したのが93年のトリセリ法でした.
しかし厳しい状況にもかかわらず,キューバはへこたれないどころか,自力で立ち直りつつあります.そうはさせないと,さらに厳しい制裁を科したのがヘルムズ・バートン法(正式にはキューバ自由・民主主義連帯法,以下へ・バ法と略す)です.
この法律の最大の特徴は外国企業提訴条項にあります.ちょっとややこしいのですが,キューバ革命時に政府が没収した米国人資産を外国企業が利用した場合,米国はその企業を提訴できるというものです.歴史的に説明すると,キューバは革命前,その産業をほとんどすべて米国資本に握られていました.米国はキューバ人の労働を吸い上げ,ばく大な利益を上げていたのです.キューバ革命後これらの米国企業はことごとく接収され,キューバ人の利益のために用いられるようになりました.このことは植民地が独立するにあたってはごく当たり前のことです.
キューバの産業は,そのほとんど接収した旧米国会社を基礎に成立していますから,キューバに投資しようとする限りそれらのどれかに抵触するのは当然です.したがってへ・バ法を遵守しようとする限りキューバへの投資は一切出来なくなってしまいます.
この考え自体が国際自由貿易を謳ったWTOの精神に著しく反しているのですが,さらにそれを米国の国内法によって押しつけようというのでは,WTOの上に米国のエゴをおこうとするのに等しいわけです.世界中から反対の声が挙がるのも当然です.
キューバ制裁のもう一つの弱点は,さすがにキューバを「ならず者国家」とは断定しがたいことにあります.では「ならず者国家」に対してすら行わないような厳しい制裁をどうしてキューバに対して行うのか,合理的な説明がつきません.「嫌いだから」ではいくらなんでも済みません.生命にかかわる医薬品の輸出さえ禁止する非人道的な措置が「嫌いだから」で強行されるなら,まさに「ならず者」の論理です.
米国のこの居丈高な姿勢は,逆に国際政治の局面において米国自身のアキレス腱となりつつあります.EUはへ・バ法を米国の開放攻勢に反撃する一つの武器として利用する構えを見せています.昨年末,EUとLA諸国首脳会議とがあいついでキューバの民主化を要求する決議を採択しました.そうやって粉を振りかけておいて,年が明けて1月,カナダのアクスワージー外相がキューバを訪問しました.共同声明ではキューバ側の人権問題に関するリプライとして「人権問題での協力を深める」条項が盛り込まれました.そのうえでヘ・バ法を「国際法の根本を破壊するもの」と非難しました.
2月,EUはへ・バ法をWTOに提訴します.WTOは間髪をおかず「へ・バ法検討委員会」を設置すると決定しました.米国は「亡命キューバ人飛行機撃墜事件に対応した国家安全保障上の措置であり,WTOが干渉するのは筋違い」と反発しますが,だれも相手にしません.
EUの強硬姿勢を背景にラテンアメリカ諸国も勢いづきます.5月にアスンシオンで開かれたリオ・グループ外相会議は,麻薬対策強化を口実とした一方的な制裁とキューバ経済封鎖をリンクさせた上で,米国のやり口を国際法違反と非難.「麻薬取り引きとの闘いにおける合否判定プロセス」で「不合格」とされたコロンビアは,「われわれは一面的な措置に全面的な拒否を準備している」とぶちあげます.
これまでの一連の動きの中で明らかになったことは,米国の横暴な覇権主義に対してEU,カナダ,ラテンアメリカ諸国が結束を固めつつあるということ,それが公正・対等な貿易という一点に集中しつつあること,そしてその最大のイシューとしてへ・バ法が位置づけられているということです.
この声は米議会にも反映されています.6月には下院議員12名が超党派で「1997年キューバ人道貿易法」を提案しました.この法案は経済封鎖を緩和してキューバへの医薬品や医療機器の輸出を認めるよう求めています.政府は「現在キューバ国民が直面している人道上の事態は,野蛮な全体主義体制の性質から来るもの」であるから経済封鎖の緩和は意味がないとしてこれを拒否しています.

メキシコ
7月5日,総選挙が行われました.PRIは歴史的な大敗北を喫し下院ではついに過半数を失ってしまいます.初めて直接選挙となったメキシコ市長には中道左翼PRDのカルデナスが当選しました.このような激動の背景には,20年間で国民所得が1/5に減少し大量の失業者を生み出してきたことへの怒りがあります.とくに教員のストは熾烈で長期化しています.闘いの中で左派の全国教育労働者調整委員会(CNTE)の影響力が拡大しているのも特徴です.

エルサルバドル
3月総選挙がおこなわれました.事前の世論調査ではFMLNがARENAを上回る勢いでしたが,開票の結果はかろうじて現与党のARENAが引き続き第一党の地位を確保しました.FMLNは14から27議席に躍進,首都サンサルバドル市長にはCD,統一運動(MU)との統一候補エが当選するなど左翼の健闘が目立ちました.

ニカラグア
昨年9月の大統領選では自由同盟のアルマンド・アレマンがFSLNのオルテガを破り当選,引き続き右派が政権を握る結果となりました.

移民法その他
昨年9月,米議会で「不法移民及び移民者の責任に関する法律」(新移民規制法)が成立しました.国境警備隊を5千人増強,不法入国者の取り締まりを強化するとともに,合法的移民に対しても過去十年間の納税記録提示を義務づけるなど外国人追い出しの狙いを秘めています.
この法律が厳格に適用されれば,カリフォルニア州だけで今後半年のあいだに150万人が強制送還される危険があるといわれます.「千7百万の在米メキシコ人労働者への人権侵害につながる」と抗議しました.
8月に米政府が中南米諸国への兵器輸出規制を緩和する方針を打ち出したことも大問題です.本当のところ景気が好転した中南米諸国が,フランスなどから武器を買う動きが出てきたためというのが本音ですが,表向きは「中南米の民主化が進んだため」という訳の分からない理屈です.

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