総論


総論部分は,金融グローバル化についてレビューしました.東南アジアの金融危機の問題も,各論ではなく総論部分に入れました.


金融グローバリゼーションの行方

・グローバリゼーション万歳論

  21世紀を迎えようとする今,世界の情勢は極めて混乱した状況を迎えています.もちろん第三世界における人種,宗教,国家間の紛争も相変わらず続いています.その大本となる,先進国による途上国の収奪の体制も強められています.

 しかし一方において,米国を中心とする情報産業の発展.金融ネットワークの広がりにも目を向けられます.その善悪はともかく,情報化によって世界が根本から変わってしまうのではないか,19世紀の産業革命が世界を変えたのと同じように,インターネットを中心とする「情報革命」がまったくあらたな時代を作るのではないか,そんな感想もあります.

 グローバリゼーション,あるいはグローバリズムという言葉は,そのような思いを代弁するかのような姿で登場してきました.とくに好況にわき返るアメリカでは,情報にかかわる技術革新のおかげで,世界中の富が集まってきた,失業率も最低になった,ということでグローバリゼーション万歳の声が強まっています.


・グローバリゼーションの考え方

 そこで今年の総会では,これまで正面から取り上げなかった金融問題を勉強してみました.

 1.グローバリゼーションそのものは,人類の進歩という面から見れば積極的な面を持っています.それは資本主義が発展していく中で必然的に起こる出来事でもあります.

 一般的には,同じ額の投資をしようとすれば,先進国よりも途上国に投資したほうが,利潤率は高くなります.だから,資本の流通が自由に行なわれるなら,途上国への資本投資が盛んになります.

 先進国からの投資を受けた途上国は,それまでとは比較にならないほど急速に生産力を発展させます.投資した先進国が強収奪を行っても,それなりに経済は発展し,国民の生活も豊かになります.しかしそれとともに先進国への従属も強まり,先進国経済が抱える歪みのあおりを,何倍もの強さで蒙ることになります.

 2.グローバリゼーションは,モノの流れのグローバリゼーションと,金の流れのグローバリゼーションに分けることができます.モノの流れ,つまり貿易のグローバリゼーションは,第二次大戦後ガット体制のもとで進み,その欠点もふくめ明らかになっています.

 いまWTOをめぐる議論のなかで明らかになったのは,世界貿易のあり方をめぐって三つの対立があるということです.

一つは先進国と発展途上国の対立です.
もう一つは
,とくに先進国内部での資本家と労働者との対立です.
そしてもう一つは,先進国の資本家同志の矛盾と争いです.

 先進国の労働者を中心とする運動と,発展途上国の願いとが,共通の敵である先進国の資本家に対して連帯していくことが求められています.そう簡単ではありませんが,このことは一貫して追求されなければなりません.

3.金の流れのグローバリゼーションは,新しく複雑な問題です.これには二つのレベルの異なる問題があります.

 金の流れは,基本的にはモノの流れと一致するはずです.モノはカネを獲得するために作られるのであり,カネはモノを買うために必要なものだからです.そのかぎりでは,カネの流れのグローバリゼーションは,モノの流れのグローバリゼーションと同じことになり,それが抱える問題もWTO問題に集約されることになります.

 しかしカネの流れはモノの流れと一致しなくなってきています.いま世界のカネの流れは,モノの流れの20倍に達しています.若干不正確ないい方をすれば,人類の生活するのに必要なカネの20倍の富が,不毛なマネーゲームに費やされているのです.


・グローバリゼーションと投機資本

 この投機的資本のグローバリゼーション攻勢を推進しているのが,投機資本の本家であるアメリカであることは言うまでもありません.ここで,投機資本のグローバリゼーションを,二つの攻撃に分けて考えておく必要があります.

  一つは東南アジアの金融危機にあらわされた,生産資本と投機資本のセット販売方式です.これに対処する方法は,マハティールのやったような金融鎖国方式.逆にラテンアメリカ諸国のようなドラリゼーション(究極の開放政策)があります.

 もう一つは同じ先進国に対する金融開放という圧力です.たしかに大蔵省の護送船団方式が,日本の金融システムの近代化を遅らせていることは間違いありません.

 しかしアメリカの要求しているのは,金融行政の改革というような生易しいものではありません.必要な民主的規制もふくめて一切の干渉をやめ,証券取引所や債券,先物取引を,相場師の思うままの鉄火場に変えてしまえというものです.

 そしてあげくの果てには,日本をアメリカと同じような財政・貿易赤字垂れ流しの国にしてしまえという要求です.

 これにも二つの対応策が考えられています.

 一つはEUのようにドルとは別なしっかりした国際通貨を作ろうとする動きです.もう一つは,あくまでもドルを基本とする現在の国際貿易・金融システムを守ろうとする動きです.自国経済がピンチになれば,米国に集中豪雨的な輸出攻勢をかけ,一方では東南アジア経済に金融リスクをしわよせして,何とかその場その場を取り繕っていこうとする日本がその代表です.



・投機資本の一つの典型:LTCM


 グローバリゼーションの中身を以上のように整理した上で,国際金融をめぐる問題についてもう少し分析したいと思います.投機資本がどういうものかを知る上で,LTCM破産事件は参考になります.

 LTCMは1994年創設されました.ロングターム・キャピタル・マネジメントというのが正式の名称です.この会社の商売はジャンク債と連邦債の利率変動を利用して,わずかな値動きを膨大な量で掻き集め,利益に結び付けようとする方法です.

 細かいやり方は省きますが(興味のある方は脚注を参照してください),これまでのヘッジファンドと違う特徴が二つあります.ひとつは,乗っ取りを図ったり仕手戦を挑んだりというまねはしないこと,もうひとつは「絶対に勝つ計算式」を持っていという点です.この「勝利の方程式」を生み出した人物はノーベル賞を獲得したそうです.

  この会社は株などを公開せず,ほんの一握りの大金持ちから預かった金を運用しました.そうすれば,大衆資金を扱う証券銀行とは違って,政府機関の監督を免れることができます.

 この密やかな金融機関は,創業以来2年続きで年利50%近い驚異的な運用配当を生み出しました.俄然この機関に注目が集まりました.多くの金融機関が資金の預託を行いました.資本金50億ドルのLTCMに,その20倍の資金が流れ込んだといわれます.

 しかしその栄華は長くは続きませんでした.投機が投機を呼んだ結果,98年には世界多発金融危機が発生しました.考えてみれば当たり前の話で,債券が売買されるたびにお金が吸い取られ,一つ一つの額は小さくても年間5兆円も吸い取られてしまうのですから,経済が貧血症状を起こしてもおかしくありません.

 これに伴いアメリカの市場では,二つの事態が進行しました.一つは国際金融危機に伴い,世界中のお金がアメリカに集まり始めたことです.もう一つは,ジャンク債が値下がりを続けたことです.安全をもとめてアメリカに還流してきたドルは,ジャンク債や住宅ローン債など、比較的リスクの高い債券には見向きもしませんでした.

 LTCMが自明の前提としていた,国債とジャンク債の市場における均衡関係など,どこかに吹っ飛んでしまいました.その結果,LTCMは1千億ドルという巨額の負債を抱え破綻しました.

 はっきりしているのは,投機資本はその「最良の形態」においても,世界経済の寄生虫でしかないということです.もっとたちの悪いソロスのような寄生虫は,宿主を食いちぎって殺してしまっても利益を求めます.LTCMのような運用会社は,見たところは大人しいものですが,静かに血を吸いつづけ,やがては宿主を死に至らしめるという点では,何ら変わりありません.

 アメリカで盛んに開発されている金融商品は,いずれを見ても,このようなヘッジファンドと似たり寄ったりです.このような投機資本に大手を振って歩かせるような「金融自由化」は許すわけには行きません.



・アメリカの好景気の意味するもの


 ソ連・東欧の崩壊後,呪文のように唱えられたグローバリゼーションですが,実は一時のバブルにすぎなかったようです.

 資金フローの自由化の中で,投機資本は瞬時にして世界を駆け巡り,各国の実体経済を破壊して回りました.それが,各国の経済崩壊の中で行き場を失ったいま,アメリカに還流しているだけのことです.アメリカの好況は,世界の不況の裏返しでしかありません.

 中南米は80年代の失われた十年からいまだに立ち直れないままです.ロシアの経済の崩壊は見るも無残なものです.アフリカ大陸の経済収縮は,今や貧困線どころか飢餓線にまで到達しています.世界経済の希望とまでいわれた東アジアでも,数十年にわたって築き上げた富が一瞬のうちに消え去りました.

 今それらがバブルとなってアメリカ国内を駆け巡っています.しかしこのカネは,いくら回りまわっても富を生み出さず,それを消耗しているだけです.いつそれがはじけとぶかは誰も分かりませんが,このまま行けば,必ずそのときがくることも間違いありません.



アジア経済情勢の展開


 東アジア諸国の経済は,予想を上回る速度で回復基調に乗りました.すでに鉱工業生産は危機以前の水準を回復しています.

 99年は11%の韓国と,7%の中国がけん引車となりました.特に韓国は,数年間にわたる不況を脱し,好景気に沸いています.今年始めの鉱工業生産は昨年比3割増という驚異的な成長ぶりです.今年に入ると,さらに台湾の震災後の復興景気も加速しています.アジア諸国の電子部品の輸出も順調です.

  注意しておかなければならないのは,東アジア経済が好調なのも,マレーシア経済が立ち直れたのも,アメリカの好景気のおかげだということです.立ち直りの最大の要因である輸出の振興,そしてあらたな海外投資の増大も,すべてアメリカ抜きに語ることはできません.

 アジア経済をぶちこわしたのも,そこから立ち直らせたのも,すべてアメリカの仕業です.今回の金融危機を通じてはっきりしていることは,東アジア地域のアメリカへの従属がますます深まったことです.タイ,インドネシア,そしてマレーシアをケースとして取り上げながら,98年の東アジア経済危機を振り返ってみたいと思います.



・タイ経済の崩壊


 タイのGNPが急激に高まったのは88年頃からです.日本がバブルの全盛時代,その恩恵を最も多く受けたのがタイでした.円高で労働コストの高まった日本企業は,大は松下やトヨタから,小はその先の町工場まで,先を争うようにタイに進出してきました.

 90年代前半,タイのGDPは10%成長を続けました.その頃は韓国、台湾、シンガポールに次いで「第四の竜」になるとまで言われました.

 バンコク国際金融市場(オフショア市場)が開設されたのはそんなブームの最中,93年のことでした.これは民間の短期資金の流入に道を開くものであり,ひいては国際投機資本という悪魔に身を委ねる選択でしたが,当時飛ぶ鳥落とす勢いのタイにとっては,そんなことは問題ではありませんでした.

 マネーゲームに動くドルは,実体経済の20倍におよぶといわれます.オフショア市場を通じて,タイの銀行は海外の金融機関から短期借入を起こして,巨額の運転資金を手に入れることができるようになりました.そしてこれをタイの企業に長期貸付しました.

 しかし90年代後半に入ると,人件費の高騰に伴いタイの輸出競争力はしだいに低下していきました.メーカーはベトナム,中国などへ,さらに安い労働力を求めて工場を移転し始めました。

 96年に入るとついにタイの経済成長率は2%にまで落ち込んでしまいました.ここまで成長が落ちると,もはや企業は利子を払いきれなくなります.

 そうなれば海外資金の側も貸付を躊躇するようになり、最後には損を覚悟で資金を引き揚げることになります.決定的だったのは97年4月のムーディーズ報告でした.この「格付け会社」がバーツの破綻を厳かに宣言すると,ジョージ・ソロスら国際投機資本が一斉に売り攻勢を浴びせました.

 たちまち外貨準備金は底を尽きました.7月28日、タイ政府はついに1MFに緊急融資を求めました。

 タイの一連の経過を見ていて最も不思議なのは,どうしてオフショア市場を開設し,そのなすがままにさせたのかという問題です.民間の短期資金に頼る資金政策が何をもたらすかは,80年代のラテンアメリカの「失われた十年」を見ればあまりにも明らかです.少なくともその導入にあたっては,なんらかの規制策が用意されていなければならなかったのではないでしょうか.

  しかし,それはタイ政府だけの責任ではありませんでした.金融市場の開放をムリヤリ押しつけたのはアメリカであり,そこに膨大な資金を流入させたのは日本の銀行でした.たしかに崖っぷちに立たされたタイ経済を谷底に突き落としたのは,国際投機資本だったかも知れません.しかし彼らを野にはなった仕掛人が,アメリカと日本の政府そのものであったことは,はっきりと見ておかなければなりません.

 現在タイ経済はIMF主導の構造調整を受け,経済も回復しつつあります.IC部品、電気製品、自動車部品など日本・アメリカ向け輸出が,急増していることが主な要因となっています.しかし崩壊した金融機関の再建はまったく手つかずになっています.

 生産が増えれば原材料,設備投資が増え,貿易赤字も増える構造は途上国の宿命です.このままの成長が続けば,ふたたび貿易収支が赤字に転じる危険をはらんでいます。貿易収支の悪化によって外貨繰りが不安定化すれば,ふたたび投機経済の介入を招きかねません.



・政権崩壊につながったインドネシアの経済危機


 インドネシアこそは,IMF創設以来の最大の汚点として後世に残る事例でしょう.IMFはこれまでも内政干渉に近い,というより内政干渉そのものの金融・財政政策を相手国に指示してきました.しかしそれはあくまでも,マクロ経済環境の好転という目標と関連したいくつかのファンダメンタルズに限られていました.

 今回インドネシアの経済危機に際しては,明らかに産業構造や貿易・通貨体制まで踏み込んでの干渉をおこないました.本来IMFよりは世銀・OECDが管轄すべき事項です.しかもそれは,風邪を引いたものに冷水摩擦を強制する政策でした.結果として,政権が一つ倒されてしまいました.

 この政権は倒れてもしようがない政権であり,むしろそれ自体は喜ぶべきことだったかも知れません.しかし非同盟諸国首脳会議の前議長国であり,人口1億余の決して小さいとはいえない国の政府が,一金融機関の思うがままに翻弄され,崩壊する姿は,見たいものではありません.

 インドネシアに対するIMFの要求は,アメリカ財務省が日本を始め各国に迫っている構造改善要求と瓜二つでした.しかも相手の弱みにつけ込んで市場開放を要求する卑劣ぶりです.インドネシア政府を崩壊させたことで,IMFはアメリカ財務省の回し者という評価が固まりました.



・マハティールの「勝利」


 おおかたの東アジア諸国がIMFの指導に従うなかで,マレーシアはこれとは逆の方向に出ました.

 それまでマレーシアを支配するマハティール首相は,腹心のアンワルに(私のパソコンは「案悪」という素晴らしい宛て字を用意した)経済運営を委ねていました.アンワルはIMFの政策を導入して危機の乗り切りを計ろうとしました.このやり方を不満とするマハティールは,強引にアンワルを更迭し自ら危機対策に乗り出しました.

 マハティールの対応は「ヘッジファンドの行き過ぎた活動を規制すること」でした.彼は国際投機家ジョージ・ソロスを名指しで批判し、ソロスとアメリカ当局が裏でつながって、アジアを危機におとしめていると主張しました.

 当時,この非難は荒唐無稽と思われましたが,その後ブラジル金融危機に際し,IMFとアメリカ財務省,ソロスが一心同体であることが立証されたといえるでしょう.(ブラジルの金融危機に際し,IMFはソロスの大番頭を経済相に就けるよう推薦し,その就任を待って融資を開始したのです.泥棒を金庫番に就けたようなものです)

 彼は為替取引きを停止し,通貨リンギットや株式・債権の短期売買を禁止しました.リンギットは国外での取引きを禁止され、海外持ち出しを制限されることになりました.国内では1ドル=3.8リンギットの固定相場となりました.それはIMFの指導と真っ向から対決するものでした.

 マスコミの多くはマハティールのやり方を痛烈に批判しました。そして強引なアンワル下ろしと相まって,その独裁ぶりが書き立てられました.「マハティールはインドネシアのスハルト前大統領と同様、国民の怒りを受けて失脚するだろう」と噂されるようになりました.

 しかし大方の予想を裏切って,98年度のGDPは1%前後のマイナスにとどまりました.さらにその後は大幅なプラス成長に転じたのです.相場師たちはマレーシアを離れましたが,逆に半導体と家電関係の新規投資は急激に増加しました.

 99年9月1日,この措置の1年間の期限が切れました.世界が固唾を呑んで見守りました.マレーシア政府は50億〜60億米ドルの流出を覚悟していましたが,実際に国外に流出した資金は10億ドルに留まったのです.マハティールの大バクチは成功したと見ることができるでしょう.

 その後もマレーシア経済は順調な足どりを続けています.GDPは前年比で二桁を上回る増加を記録しています.外貨準備高は15億ドル前後増え、ビジネスも順調に伸びています。外国からの直接投資にも悪影響はみられません。

 マハティールは「先進国を中心とする国際社会は,経済の混乱が国内に波及するのを食い止めることができなかった」と胸を張りました.



国際金融問題とIMFの未来


・ IMFの歴史的失敗


 今回のアジア経済危機で一番の打撃を蒙ったのは,実はIMF自身かも知れません.

 IMFの機能は第二次大戦後の50年余りで三つの期に分けられるといわれます.71年のドルの変動制への移行,そして90年のソ連・東欧崩壊です.設立当初は,圧倒的なドルの力を背景にした各国へのドル本位制の押しつけ,第二期は経済破綻した途上国の財政再建が任務となっていました.しかしそれは社会主義諸国への対抗という,先進諸国の政治的合意に裏付けられていました.

 ソ連・東欧諸国の崩壊により,そのような大義名分がなくなった90年以降,IMFの存在意義はたんなる債務国の取り立て代行役になりました.「殺さない程度に生かしておく」テクニックが求められるようになりました.

 同時に,それは世界の覇者アメリカの意向をより露骨に反映するようになりました.とくに融資と市場の全面開放をセットにした構造政策の押しつけは,大国支配の水先案内人としてのIMFの役割をますます際だたせています.「いまやIMFはアメリカ財務省の出先機関となった」と評されるのも故なきことではありません.

 インドネシア政府の崩壊までもたらしたIMFの干渉,IMF抜きで経済再建に成功したマレーシアの経験は,途上国に深い印象を残したといえるでしょう.



・通貨システム安定のための条件


 その国の経済が発展し,生産力が向上し,国民の暮らしが豊かになることは,みんなの願いです.しかしそれが国の主権を損なってしまうのでは,なんにもなりません.

  貿易システムと為替システムは表裏一体の関係にあります.一方がモノの流れであり一方がカネの流れです.世界の「持続可能な発展」のためには安定した通貨システムが必須の条件です.

 現在の資本主義世界のなかで,一国の経済主権を守りながら経済発展を図ろうとすれば,市場開放と通貨安定という,矛盾した目標を上手にやりくりしていく以外にありません.

 アジアの経済危機は,その通貨安定のための保障制度を,次々と取り払ってしまったところに最大の問題があります.しかもそれが必ずしも自らの意思ではなく,先進国からの制限撤廃・市場開放という圧力の下でおこなわれたところに悲劇があります.

 ところでマネタリズム経済学の代表であるフリードマンに言わせれば,国際通貨システムに参加するため,おのおのの国家にとって三つの守るべき原則があるそうです.

(1) 国家間における資本移動の自由の保証: 資本が自由に移動できれば,より利潤率の高い発展途上国に資金が流れていく.

(2) 為替相場の(相対的)安定: 為替リスクがなくなることで,モノ作りの意欲が亢進する.

(3) 金利や通貨供給量などの決定権: 自国経済を順調にコントロールし,安定的に発展させるため不可欠の機能.

 だが、(1)から(3)までのうち、2つを同時に満たすことはできるが、3つとも満たす通貨モデルは理論的に不可能だといわれます.

 こう書くとひどく難しそうですが,(3)を前提にすれば理屈は比較的簡単です.国家としての自立性を保ったまま,資本の自由を無制限に認めれば,為替はめちゃくちゃになりますよ.それがいやなら,鎖国とは言わないまでも資本の自由な移動に一定の制限を設けるしかありませんよ,ということです.

 東南アジア諸国がやられたのはまさにこのためです.もちろん為替相場の乱高下を防ぐため「通貨ペグ制度」を導入していました.ペグとは留め金のことで,基軸通貨であるドルに対して,自国通貨が異常な動揺をしたときは政府が財政出動して,政策的に安定させる仕掛けです.しかし,いざとなればそんなものは何の役にも立ちませんでした.

 小学校の通学路にPTAが「車両侵入禁止」の立て札をするようなもので,無法者に対しては何の効果もありません.超大国の日本ですら,異常円高のときは何もできませんでした.ましてはるかに小規模な東南アジア諸国が国際投機筋の攻撃を受ければどうなるかは火を見るより明らかです.

 どうして,ASEAN諸国が「身のほど知らず」にも通貨ペグ制度を採用したかといえば,IMFとアメリカの押しつけです.タイの金融破綻の際,IMFは「金融システムの未成熟」を理由に挙げましたが,よくも恥知らずにそんなことが言えたものです.



・経済主権と市場開放


 分かり切ったことを,小難しく「誰それの公式」にして名を挙げようというのは,近経学者に特有の習性だとのことですが,このフリードマンの提起は,そういうものではありません.この公式が主張しているのは,(3)=経済主権の放棄という道もあるということです.

 具体的には,より厳密なドル・リンクを行うことです.そのもっとも極端な例がエクアドルなどの提唱するドラリゼーション計画です.これは通貨発行量をドル換算レートにあわせて決めてしまう方式です.これだと確かに為替レートは絶対に変わりませんが,それでドルの出入りを自由にすれば,無法な投機資本の前に,たちまちその国の人民は餓死してしまう可能性があります.残るのは無能かつ無力な「政府」のみとなってしまいます.

 93年,キューバはドル流通に対する制限を撤廃しました.いわばドル市場とペソ市場の並存政策をとったわけです.人々は歯を食いしばって,苦境に耐えました.彼らの眼には苦境をもたらしている元凶=アメリカがはっきりと写っており,いっぽうに信頼に足る強い倫理性を持つ政府がありました.それでも強い不満が巻き起こり,何十万という人が大量難民となって米国へと去っていきました.エクアドルにキューバのような条件はまったくありません.

 投機資本家を保護している先進諸国は,途上国に洪水のように投資し,その資金を突然引き上げました.そのことによって,先進国の経済は守られたかも知れませんが,途上国の地域経済を破壊し、何百万人もの人々を貧困に追いやり、政府を不安定化させたことは間違いありません.ところが,アメリカにはその反省が,およそ感じられないのです.多少なりともあれば,人の弱みにつけ込んでさらに市場開放と構造改革を迫るなどということはできません.



・ EAECとEMF:東アジアの新しい動き


 多くの東アジア諸国はIMFの指示を受け,ファンダメンタルズの改善をおこないましたが,それにもかかわらず通貨下落が続きました.97年末のアセアン首脳会議は,IMFによる支援の効果に公然と疑念を表明しました.そして投機資本から通貨を防衛するため,独自の通貨取引の規制に向けて動きはじめました.

 IMFにたいする不信とは裏腹に,マハティールの唱えてきた東アジア共同市場(EAEC)が俄然注目を浴びるようになりました.99年末にはASEAN10カ国首脳と日本、中国、韓国首脳による「ASEANプラス3首脳会議」が開催されました.この参加メンバーは,かねてからマハティールの提唱してきたEAECの構成国と同じです.

 さらに協同市場化の金融的基盤となる東アジア通貨基金(EMF)構想にも,各国の賛同が集まり始めています.この構想の基礎は,金融危機さなかの97年秋,香港で開かれたIMF総会に日本が提案し,欧米諸国から袋叩きにあった「アジアのための救済基金」構想です.

 しかしそのIMFが経済再建に失敗し,すっかり自信を喪失した今,あらためてEMF構想として登場してきました.もしこれが実現すれば,米ドル依存の経済構造から脱却できるのではないかという観測もあります.東アジアの貿易構造から見れば,そこまで期待するのは困難だとしても,アメリカをいらだたせるには十分でしょう.

 EAECにかけたマハティールの狙いは,彼がキューバを訪問したときの,カストロとの共同声明に明確に表現されています.マハティールは「南(発展途上国)の強力な統一戦線を結成しよう」と訴えました.カストロも「発展途上国の経済を、富める者たちのカジノにすることはできない」と,カストロらしい表現で応じました.