POOR ARTISTから来訪のみなさんへ
これはTOPページにのせたあいさつを記録したものです


開館のごあいさつ 99.10.10

このホームページは私わたせきよたかの単なる趣味のいくつかを紹介しています。
みんなそうでしょうが、時間をなんとか作っていろんなことに挑戦しようと思います。
アマチュアはささやかであっても、何か発表する場がないと毎日の練習に励めるものではありませんね。
このページは、「下手でも上手になろうとがんばると楽しい、練習を重ねればどんなことでもうまくなれるぞ」などと、
高校教員としていつも生徒たちに言っていることを、いわば自分に課してるようなものです。
というわけでつたないものばかりですが、一度覗いてみて下さい。



POOR-ARTISTよりごあいさつ***99.11.10

poor…
@貧しい、貧乏な、みすぼらしい
A(品質、力量が)劣っている、たいしたことない

時間がない、お金もない、才能もない、
でもやってみよう。
できればいいなあと思ったときに始めよう。
習いに行くには恥ずかしい、
費用と時間をかけずに入門書を手がかりに
練習、練習。そのうち偶然いいのもできる。
ちょっとでもほめてもらえればこんなうれしいことはない。
それがアマチュアのいいところ。


POOR-ARTISTよりごあいさつ*** 99.12.10
HP開設から2ヶ月
最初は月1回だったら5.6枚ぐらい描けるだろうと
たかをくくっていましたが、なかなかきついです。
光陰矢の如し、すぐに更新予定の10日がやってくるのです。
最後の数日でなんとか間に合わせようと必死。
まるで仕事みたい。
今月は学期末のうえに、合唱団の本番が
3回もあって師走の日々。
年賀状も考えなくっちゃ。

とうとう失敗策も掲載することとなっちゃった。
もうちょっときれいな色にならぬかと思うが、
HPの大改造は持ち越し。
年末年始はがんばって描くようにしよう。
外は寒いしちょうどいい。

新年のごあいさつ***2000.1.1
あけましておめでとうございます
今年は友人への年賀状に次のようなことを
書きました

新年おめでとうございます
年末に再放映された「映像の世紀」を見ながら、あらためて
平和に豊かに生きることの意味を
考えさせられました
次の世紀は、この世に生まれた世界中のだれもが豊かな人生を
送ることのできる時代に
したいものです
自分もこの時代を生きる人間の一人として、 大切にそして
精一杯、生きたいと思います


絵を描いたり音楽を楽しんだりしたくてもできないたくさんの
こどもたちや人々のことをどうしても考えてしまいます。
僕なんかが考えてもどうなるものでもありませんが、少なくとも自分に
任された家族や生徒たちには平和で豊かな人生をおくれるよう努力してみようと思います。
みなさんにとってもよい年になりますよう
わたせきよたか

ごあいさつ(2000.2.10)
1月の末に信州へスキーの修学旅行に行ってきました。
生徒も楽しみでしょうが、引率していく僕もそうした生徒の顔や姿を
みることができて、しんどいですが楽しみです。
雪景色でも描いたりできるかなと思っていましたが、
旅行全体の責任者でもあり、かぜをひいてはいけないと旅行前は早く寝て、
終わってからはさすがに疲れて夜更かしできず、
とうとうこの一ヶ月1枚も新しい絵を描けずに終わりました。
いつも描くのはMIDNIGHTですから。
修学旅行の全員レクリエーションでは、同僚の先生といっしょに
ヴァイオリンとギターのデュエットをやってきました。
楽器も持参してです。自分でもよくやるなと思いましたが、これも余興。
生徒の実習中にこっそり練習して本番にのぞみました。
みんな僕らが楽器を弾くことも意外なので、なかなかうけました。
ちなみに演奏曲は「だんご3兄弟」「オルフェの歌」「長い間」で
いずれもこのために編曲したのですが、わかってくれたかなぁ。
てなわけで新しい作品ができない言い訳でした。
できしだい更新します。

(2000.3.10)
ご覧になった方もおられると思うのですが、先日放映されたNHKのTVドラマ「玩具の神様」のなかで、
中井貴一演じる詐欺師がこんな意味のようなことを言います。
人は山の中にいると哲学者になるが、海にいくと詩人になる、と。
さすがに倉本聡さんの脚本だけあってなるほどなあと感心してしまいました。
もちろんふだんの生活の中の忙しさや煩わしさに振りまわされて、
哲学も詩もあったもんじゃないのですが。
でも山や海といった自然のなかに身をおくと、忘れている何かを思い出すようです。
自分とは何なのかと哲学者のように考えてみたり、
詩人のように美しいものを感じている自分に気づくんでしょうね。
それはなによりうれしいことですね。
絵も音楽も美しいにかぎると思ってます。
絵を描いていてたまにきれいな絵ができる時があります。
時々いい演奏ができる時があります。運も実力のうちとはいえ、
そんな時はやはり偶然ですから、お金を拾ったような気分でうれしいです。
そんな気持ちをなくさないように生きてゆきたいなと思うのですが。
そんなことを考えさせてくれたドラマでした。


(2000.4.10


早いものでこのHPを始めてから半年がたちました。
当初は親しい友人にだけ公開していくつもりでした。
絵が自慢できるようなものでないし、自分の人柄を知っている人なら
「大目にみてもらえるだろう」と考えたからです。
ところがありがたいことにリンクをたどって何人もの面識のない方からも
感想を寄せていただきました。
また自分と同様な考え方でHPを作ってる人もたくさんいることが実感できました。
逆にいろんなことを知る機会にもなりました。
今ではHPを公開してよかったと思っています。
これからもわがままな自画自賛にならぬように気を配りながらも、
自分流のスタイルで続けていきたいと思います。

POOR-ARTISTより
ごあいさつ
(2000.6.10)

学校の近くの街路樹の下を毎朝
同じ時間に車で走りぬけます。
朝日を受けて毎日樹が変わっています。
今なら若葉がたくさん出て重いこどもを
樹が背負っているようにも見えます。
仕事に向うのはなかなかしんどいのですが、毎朝樹木をみるのが楽しみです。
樹はりっぱだと思うんです
まっすぐしゃんとしてて、
冬は寒いのをじっと耐えて、
季節とともにちょっとずつ
姿を変えていくでしょ。
春になるとむくむくとやる気が出てくるなんて自分といっしょだな。
ひとりぼっちでも、だれもみてなくても真っ直ぐ黙って立ち続けているでしょ。
えらいと思うんです。
僕も背筋を伸ばさなきゃ
それで何の知識もないけど、
樹が好きになってきたんです。
もっとうまく描けたらなあ。

2000.6.10
さして大きな事件もなかったのに、この春からなぜか無類の忙しさに明け暮れ、
毎日追われるように過ごしています。
自分の能力が極度に落ちてきて、容量の少ないパソコンみたいに
働きが鈍くなったのかも知れません。
何枚かの新しい絵を描くのがせいぜいで、HPの改修もできぬまま
ただハガキ絵の数だけが増えてるだけになってます。
当分こんな状態が続きそうです。
のんびりと野外でスケッチでもして描いたらもっときれいな絵が
描けるのかもしれないな、ゆっくり絵の勉強でもしながらいろいろ
試してみたらもっと上手な絵ができるかもしれないな、と夢想していますが、
今は真夜中の自転車操業です。
それも意識もうろうの酔っ払い運転みたいなもんです。
いつ田んぼに突っ込むかしれません。
ひょっとしたら学校嫌いの高校生もそんな気分かも知れませんね。
大して何もしてないが忙しくて、何かやってみたいができそうもなくて
「ああしんどいなあ、ああ朝が来た、学校にゆかねば」ってね。


POOR-ARTISTより
ごあいさつ
2000.7.10
6月に文化祭があり、「職員展」と称した会場に作品をいくつか展示して参加しました。
10枚ほどこのページに出してる絵を出品したのですが、
日頃絵を描くことなど話してないので
「先生は絵も描くの?」から「ほんとに描いたの?」まで
何人かの生徒に尋ねられました。

普段無口でほとんど自分からは話さないある男子生徒が
会場であった時、「先生、いいですね」と声をかけてくれた。

で「いや始めたばかりでね」と言ったら
「なかなかいい感じが出てます、ほんわかしていて」とほめてくれた。
「ぼくも美術部のところに一枚描いて出してます」といってたので
見に行ったら、高校生らしい意味不明の油絵だった。
あの先生でもできるんだから、自分もやれるはずと思ってくれれば
いいんですけど。


POOR-ARTISTより
ごあいさつ

2000.8.10
夏休みに入って比較的時間がとれそうだと楽しみにしていたところ、
7月になって首から右肩、右肘などに痛みがひどくなり、
一時期はちぎれるかと思わんばかりの状態にまでなりました。
周囲からは四十肩だの、五十肩だのさんざん言われ、
もともと悪い姿勢の上に、4月以来の疲労と何かのきっかけが重なり
この惨状を生んだのだと思われます。
1週間ほど合唱団の演奏旅行で中華民国台北に行ってました。
いろいろ見聞したことを書きたいところですが、
右手が自由にならず絵筆も触れず、
ましてやギターもチェロも練習できずになっています。
こうした状況にもめげずやれないと
老後の予行演習にはならないな、こりゃ老後もきついわ、などと
思いながらぼつぼつ再開しようと思ってます。
追申・・なんとか痛みをおして(痛々しいな、
同情を引こうとみにくい言い訳)
5日遅れで数枚ファイルに加えました。[2000.8.16]


POOR-ARTISTより
ごあいさつ

2000.9.10

もうこりごりだと思っていた暑さもようやく
陰りが見えてきましたか。
待ってました秋の到来ですね。
今高校3年生が担当なので、生徒たちが
どこへ受験しようか、あれこれ迷って
大騒ぎです。
今では受験先を探すのに生徒が
学校のパソコンで大学のホームページを
探してます。
みんな不安なのかよく話します。
担任ではないのでそうかそうかと
聞いてやるだけですが、
将来へ向けての夢のある話ですから
楽しいですよね。
「そうだな、僕だったらこうする」なんてね
こうやっているうちにこの秋はあっというまに
過ぎるんでしょうね。



2000.10.10

忘れてました、ふと気がつけば
開設1周年。
我ながらよく続けているものです。
一度改装工事をやって
新装開店をと思っていますが、
なかなか多忙でかないません。
絵の腕前も相変わらずで
できあがりは紙まかせ、
筆の向くまま、気の向くまま
水加減しだいの偶然の産物、
進歩してるのやら退化してるのやら、
わからんところが素人芸。
素人の、素人のための、
素人による芸術、
天は素人の上に素人を作らず、
素人の下に素人を作らず、
もう1年がんばろうっと

(2000.11.11)
またまた月産1枚のペースにダウン。
創業以来の危機か。
夏以来の首肩腕のイタイ病(ほんとに
ああ痛い!と口から出てしまう)の
おかげで、今はほぼ治ってるのですが
夜中に描き続けるとか、
あまりしなくなって
早く眠ってしまう始末。
秋だというのに、
ぼやぼやしてたら紅葉を逃してしまう。
あせると絵なんか描けませんね。
というわけで今回は
前日に1時間ほどで描いた
温泉の絵ひとつだけ。
こんな感じのひなびた銭湯でしたが、
あんまり入りたいなとは
思いませんでした。

2000.12.10
きょうTVを見ていたら、「日本映像の20世紀」の大阪編をやっていて、
70年万博の頃の映像が出ていた。
また夜には「海を渡った沖縄人の戦争」というドキュメンタリーで
ベトナム戦争とその後の歴史や人生をうつしだしていた。
いずれも自分の高校生の頃のことだ。
みんな世の中の大きな波のなかで必死で泳いでたようなもんだ。
先も周囲も見えないし、どんだけ来たのかもよくわからず、
休めば沈んでしまう。ともかく泳がなきゃ。
考えてみると大学を出て学校の教員になって
この3月でちょうど25年になる。
その長さのわりに何ひとつ成し遂げられず、恥ずかしい限りだ。
ただ少なくとも自分が日本の片隅ではあるが見聞きし考えたことを、
今の高校生には伝えていきたいなと思う。
そう思うと歴史の教員であることがうれしくなるんだけど、現実にはそうは全くいかない。
しかしだめでもともと。僕らだって若い頃、何にも考えなかったもんね。

2001.1.10

大学を卒業して高校教員になって、
今年の3月でまる25年になります。
ただ長いだけで何もなしえて
いないし、恥ずかしいかぎりです。
すでに病気や事故で亡くなった
同僚も何人かいます。
こうして生徒たちと仕事が
できているだけでも幸運だと
思っています。
今担当しているのは3年生で、
もうすぐ卒業です。
自分も旅立つ気分で、
自分らしさを少しは出せる人に
なっていこうと思ってるところです。

2001.2.12
今月も2日遅れでやっと更新。
ハガキサイズとはいえ、
けっこう時間もかかるし、
仕事やその他で落ち込みますと
もうあきません。
「趣味があっていいですね、
気分転換になるでしょう?」
そうはいきません、逆です。
へとへとで擦り切れてる時に
絵を描こうとか楽器を弾こうとか
そういった気分になれません。
やる気満々の「躁」的状態でないと。
もっと世間の役に立つホームページに
ならないかと工夫したいところですが、
なかなか時間と体力・精神力が
ついていきませんね。
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2001.5.10

新緑の季節、
山や公園の樹木を見てるだけで
ワクワクしますね。
絵をかくようになってから
そう思うようになりました。
それまでは何もみてなかったのかも
知れませんね。
周りの身近にあったものが
意味のある美しいものに見えてくる、
これが絵を描くことの唯一の効用かも
しれないですね。
(2001.5.10)
2月の末に卒業式を終えて、
やっと仕事が一段落したところ、
3年間の疲れが出たか
絵筆も楽器も手につかず、
3月の更新が初めて出来ず、
さらに3月末に14年ぶりの転勤で
めまぐるしく環境が変わり4月もパス。
ようやく5月の連休で
2.3枚のハガキ絵が描けて
ここに載せられるようになりました。

2001.6.10
転勤から2ヶ月、忙しくしています。
先日も吹奏楽部の演奏会が無事成功。
終了後に生徒たちがはしゃいでるのを見て
自分たちも学生の頃はそうだったな、と
思い出してました。
ワクワク、ゾクゾクするようなものがないと
音楽や芸術はつまんないですものね。
「練習してうまくなったらより自由になる」
いつも生徒に言ってること、
自分も守らなきゃ。
5月17日発売の小学館「サライ」の
第1回ハガキ絵大賞で佳作に入りました
僕にとっては大変うれしいことで
全国にたくさん愛好者がおられるなかで
難関をくぐりぬかた受験生のような
気分です。
佳作でも100倍ほどの倍率になる
勘定ですから。
応募したのは「京都散歩」のページに
おいている「京都先斗町」の絵です。
他の方のすぐれた作品もありますので
ぜひ雑誌の方でも手にとってみて下さい。

2001.7.10
ある生徒が職員室の机の上の
僕の絵を見つけて
「先生が描いたんですか」と
ふしぎそうに言うので、
「僕の絵はなぜかみんな暗いけど」、と
遠慮がちに言ったら、
「今はやりの癒し系ですね」と
言われた。
「癒し系」の一言でかたづけられるのも
たまったもんじゃないけど、
ほめ言葉の一種と受け取って、
「そうかなあ」と言っておいた。
********
写真をもとに絵を描くので、
描き始めた時には季節が
ずれてしまうことが多い。
それで今月の法然院は、
雪景色になってしまった。

2001.8.10
毎日暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか
8月に入ってようやく夏休みらしくなったっところで、
やっと休息モードになりました。
久しぶりに信州にでも山歩きに、と思ってたら
なぜか腰痛になっちゃって
しかたなくじっとしています
***
ある男子生徒がダンスを習ってて、地元のお祭りで出演するというのでこっそり見にゆきました。盆踊り用のやぐらの前のステージのジャズダンスでしたが、みんなきびきびしててかっこいいのです。汗いっぱいかいて楽しそう。茶髪の若者もチームワークがよくて個性的。毎晩猛練習してるんだろうね。「やるな、若人」
そこで出会ったクラスの生徒におもわず
「おれも若かったらあんなのやるんだがなぁ」といったら「その腰では無理でしょう」と返された。
ダンスと盆踊り、浴衣とTシャツGパン、うまくブレンドされている。さすが日本文化。

2001.9.13
「遠くに行きたい」「知らない町を歩いてみたい」などと口ずさみながら、いつも夏休みこそと思っているのに、今年はほとんど出かけないまま終わってしまった。
暑いのはいまに始まったわけではないのに、体力や根気がなくなったのか、思い切って出かけるふんぎりがつかず、やっぱり歳をとったのかなあ。
おかげで部屋の中で絵の練習や本読みに励むことができました。でも練習すればするほど下手なのがよくわかるし、読めば読むほど自分の貧素な読書量を自覚せざるをえないし、ファイトがわくようなわかないような。
このホームページももっと見やすいものにと改造を試みようとしましたが、時間切れになって2学期を迎えることになった。また秋が来た。この秋こそ・・・・・・


2001.10.10
このホームページを始めてからまる2年になりました。
月産3枚を目標にしてきましたが、なかなかそうはいきませんでした。
描く時間が減りました。
そのかわり描き始める前にちょっとは考えるようになりました。
少しは熟練してきたのか、ひどい失敗は少なくなりました。

毎回の更新の時のあいさつを振り返ってみると、
自分のここ2年の業務日誌のようです。
この2年は多忙で精神的にも体力的にもゆとりがなかった時期のはずなのですが、
こんなページをやってるわけですからやっぱりまだまだ余裕があったのかなぁ。

2001.11.10
元同僚の先輩に声をかけてもらって、9月から篠山のオーケストラでチェロを弾くようになりました。
先日その定期演奏会に初めて出演しました。僕としてはオーケストラで弾くのは初体験で、あまり上手には弾けませんでしたが実に楽しいものでした。
中学生の時、吹奏楽部の仲間と大阪フィルの演奏会にいって初めてオーケストラの音を聞いたときのことは今でも忘れられません。いつか自分も、と思いはしましたが、当時は弦楽器など遠い高嶺の花のようで、別世界のものと思っていました。
合唱やギターでは何度も舞台に立ちましたが、超初心者としての演奏はやっぱり格別のものがありました。
演奏会そのものも地元の方がたくさん家族連れで来られていて、くつろいだ雰囲気のコンサートでした。オーケストラっておもしろいなあ、と大人もこどもも思えるようなものこそ音楽の原点のような気がしました。

2001.12.10
「冬が来る前にもう一度・・・」などと言ってる間に秋が終わってしまった。
結局山歩きもしないまま、紅葉を求めての散策もできぬまま、寒い冬が来た。

11年愛用してた自動車が10月に故障しとうとう廃車になった。
しばらくは友を失った気分だった。
初めてのバス通勤が始まった。やってみると意外に快適。
なにしろ何も考えなくても目的地に着く。
ほぼ時間どうりに近所まで来てくれて、新聞やノートを見てるうちに到着。
ぶらぶら歩いて通うのもまた楽しい。
おかげで早寝早起きになり、自動車通勤時代よりかなり早く職場に入ることとなった。
夜に何もしなくなったので、仕事一筋?のような気分になる。
このことを友人に自慢げに話すと、「ほんまかいな」とみんな疑う。
長年の習性とは恐ろしいものだ。

2002.1.1
2001年の年賀状には、「なにより平和をのぞむ」なんて書いてたのに、
9月以来まったく逆の世界情勢になってしまいました。
4月からの世界史授業は、「タリバンとイスラム世界」から始めていたのですが、
結果的には妙なタイミングになってしまいました。
私たちのように「戦争を知らないこどもたち」がいて、
他方「戦争しか知らないこどもたち」がたくさんいることもやりきれないことですね。
自分でも何かできることはないのかと思いながら、
やっぱりこれしかないかと今後の授業のプランをねっているところです。


2002.1.10
あけましておめでとうございます。
今年も少しは上手になって新作を描いていきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いします。

正月が過ぎて、修学旅行の準備に追われています。北海道にスキーの実習にゆくのですが、帰路小樽にも短時間立ち寄ります。僕なんかは、山の冬景色や小樽の町並みが見れるので仕事とはいえ楽しみです。
今まで何度も修学旅行にいきましたが、どれも生徒達との楽しい想い出ばかりです。個人の旅行がいくらでもできるようになっているので、修学旅行はいらないという議論も成り立つとは思いますが、集団の旅行もこどもたちの経験としては他に得難いものでもあるようにも思います。
どうでしょうか。もっとも修学旅行がかあなり贅沢な旅行になってきていることも気にはかかりますが。

2002.2.10

北海道に修学旅行で行ってきました。
飛行機でゆくので北海道といってもあっという間に着いてしまいます。
20数年前、新婚旅行で行って以来の2度目です。
旅行はスキーの講習がメインですが、帰路に少しだけ小樽に立ち寄りました。
小樽は、多喜二や啄木などで、若い頃から訪ねてみたかったところでした。
いろいろ見歩きたかったのですが、さすがに仕事でしたので、1時間ほどしか歩きまわる時間がとれませんでした。
この1時間をなんとかフル活用してとばかりに駆け巡りましたが、冬の道路は凍結しててよくすべること。
あせってしまってゆっくり町の風景や建物をみる余裕がありませんでした。
いつかまた訪ねてみようとは思いましたが、きっとそんな機会はないかもしれませんね。

2002.3.10
「仕事もお忙しいのにずいぶんいろんなところにゆかれてるんですね」、といわれてみてふと考えてみた。
「旅」などといえそうな旅などほとんどしたことがない。ある作家が「最低2泊すべし。昼寝のなき旅は、旅とはいわない。」と書いてたが、なるほどとは思う。
「知らない町をあるいてみたい、どこか遠くへゆきたい」などといつもおもってきたが、じっくりと歩きまわるということなどなく、団体行動の一瞬の暇をみつけて小走りに廻ってただけだ。
旅行社のツアーなどもいつもチラシをみるが、一度も参加したことはない。スケッチブックを片手に、などもってのほか。
一人旅に夢を持ってるせいか、逆に罪悪感にさいなまれる。自分だけ気楽なことだね、と非難されそうで実行する元気がでない。寅さんにはなれないなあ、とつぶやきながら休日なのに学校へ仕事に出かけてる。

2002.4.13
また4月がやってきました。職業柄4月になると、さあ今年も心機一転がんばるぞという気持ちになります。身についてしまったんですね。春休みも終わって生徒の顔をみるとなおさらです。職人さんが自分の作った物が使われているのを目にしたり、商売人がお客さんの顔を見るとはりきっちゃうのとおなじですかね。
新学期当初の忙しさの中で、桜のシーズンが過ぎ去ってしまいました。新緑も見逃してしまいそうです。ゆっくりのんびり絵でも描いて過ごせたら、なんて思うのですが、学校の仕事が好きなのが始末に悪い。あくびされても授業へ駆け込み、迷惑そうな顔をされても生徒に近づき、これが私の生きる道。というわけで事務処理はおそくなって夜まで残って疲労困ぱい、帰宅して居眠ると朝が来て、このHPの更新もおくれてしまった。
今年も小さな絵しかできそうにないけど、仕事があるだけでもラッキーと思って細々とやってくしかないなぁ。これが私の生きる道。


2002.5.12
仕事や音楽活動など、毎年同じことをやってるのに。
さすがに歳をとったのか、
知力・体力・脳力?視力・
気力に聴力・判断力
言語能力・記憶力
いろんな力がなくなってきたなと思う。
もっとももともとあったのかもあやしい限りですが。忘れちゃいました。
やですね、歳をとるのは。
何をええ若いもんが言うとるんじゃ、と言われそうですが。
ばかですねえ、通勤定期の年齢を少々ごまかしたりして。
まあ誰も何の迷惑にもなるじゃなし、自分以外に見る人もないんだもの。
ささやかでいじましい抵抗か。

春眠暁を覚えず・・・
いつのまにか早寝になってきた。


2002.6.15
暑くなりました。
学校ではこの暑さの中、文化祭の季節です。
かつては文化祭は秋と決まってたようなものでしたが、大学受験が秋から始まるようになって、多くの学校で6月に行われるようになってしまいました。
秋だと夏休みにじっくり準備して取り組むことになりますが、6月では短期決戦で、こうなったら土日も何もあったもんじゃありません。直前になると生徒は勉強どころではなくなります。「暑い暑い」を連呼しながらなにかしら一生懸命やりだします。この蒸し暑さあってこそワールドカップでヨーロッパ南米の強豪と互角に戦えるのだ、とへりくつをのべながら、クーラー無き授業の戦いをあと5週間続けるのです。


2002.7.12

先日骨髄バンクのドナー登録に行ってきました。いつでもいけると思ってたらなかなか仕事を午前中あけることができず、ずるずる時間が経っていました。うかつなことに年齢制限があることを知らず、健康ならいつまでも移植の可能性があると思ってました。(51歳の誕生日過ぎると抹消)これはえらいことだ、急がねば、時間がない、というわけであわてて行った次第です。いつもこうなんだからいやになっちゃいます。役にたてればいいんだけどなぁ。

2002.8.13
暑い日が続きます。いかがお過ごしですか。夏休みとはいえ補習や面談、部活などでフル回転でここまでやってきました。睡眠だけは十分とって早寝早起きで、高校生諸君よりも規則正しい生活を送っています。お盆が近づきようやく少し夏休みモードになってきました。
7月末半分仕事でソウルにいってきました。少しの時間だけでしたが、旧植民地時代の歴史を垣間見たり、王宮の跡などもみたりできました。あらためて植民地支配のすごさや無意味さを少し実感しました。ソウルだけしかみてないのですが、町並みなどはおいおい絵にしていきたいと思います。
仕事に追われて暮らしているうちに、8月6日や9日が過ぎていきました。そのうちに9月11日がやってくる。年齢と共に忘れてはならない日がだんだん増えてきますね。


2002.9.10
恐ろしく暑かった夏も終わりそうですね。よかった、よかった。
この夏休みにイタリアへ行ってきました。1週間ほどの超過密スケジュール旅行で、団体行動の合間をぬってスケッチでもと奮闘しましたが、写真をいっぱい撮るのが精一杯でした。それでも3度ほど鉛筆でスケッチすることができましたよ。夜中にホテルで着彩したりして同行の人にあげたりしてました。
帰ってから思い出しながらコツコツ描いてますが、やっぱり現地でちょっとでもスケッチしようとした場面が、絵にした時にできがいいみたいですね。
さすがイタリア、出会う風景、見るものすべてが絵にしたくなるようなものでした。ハガキサイズの小さな絵というかイラストのようなものばかりですが、年内はこの夏の遺産で描き続けられそうです。


2002.10.10
日付を書いてみて気づきました。このホームページを始めてからちょうど3年になりました。アクセスカウンターもつけてないので、いったいどれくらい見られているものやら皆目検討もつきません。もともと知り合った人への自分紹介程度に始めたものですから、細々と継続してるだけでもよしとするというところでしょうか。
自分が毎日の仕事に熱中していて気づかないでいる間にも、世間ではすぐれた書物や立派な作品がどんどん作られています。自分も少しはしっかりやらねばと意欲は涌くんですがね。読書に気合を入れてと、老眼鏡を新調,遠近両用メガネもいっしょに新調したので、これで楽譜と描画はバッチリです。かな?


2002.11.10
今朝鮮語の勉強に熱中しています。毎年4月ガッポリNHKの語学テキストなどを買い込んでは毎年5月には早くも挫折のワンパターン。家には各国語学講座の4月号だらけ。そうこうするうちに記憶力が減退し、反復力がなくなってしまった。でもできないことほどおもしろい。語学力の長期低落傾向には歯止めはかからないが、ここはがまん力のみせどころ。この力だけは歳を重ねるたびに伸びてきた。ひたすら練習のみ。次から次へと忘れるのには閉口させられるが、きっとうちの生徒もこうして受験勉強に頭をかかえてるのだ、と思うと負けられぬ。それにしてもほんとに「ミニヨクツクナイ」なあ。


2002.12.10
師走・忘年会・クリスマス・・・
12月がやってくると妙に落ち込む。誕生日がやってくるからだ。民法上は誕生日の前日に歳をとるそうで、すなわち今日なのだ。笑い事ではない。今年は格別でいよいよ**歳代に突入となる。**と隠すところが人間のできてないところで、なんともいじましい限りだ。「行く歳来る歳」か、なんて冗談を飛ばすのも見苦しい。
そうだ記念に何かしよう。また楽器を買ったらひんしゅくだし、身だしなみを整えても体裁があがらないし、いっそのこと旅にでも出るか、でも家出みたいだし。
みなさんだったらどうなさいます?そんな歳じゃないからわかんないって?そうこうしてるうちに24時が近づいてきた。


2003.1.1
あけましておめでとうございます
年が改まるといつも身の引き締まった気分になります(身体は引き締まりませんが)。
昨年来少し世界がきな臭くなってきました。歳のせいか、我々の世代の責任というものを考えてしまいます。我々は「戦争を知らない子どもたち」でしたが、物事を考える基準にたえず戦争と平和のことがありました。戦争なんか、そんなばかなことが起きるわけがない、と思っておりました。この間のイラクや北朝鮮のことなどの、アメリカやわが日本の社会全体のムードや政局などをみるにつけ、少々そうした確信がゆらいできました。
今の子どもたちには戦後処理も高度成長も、また日本人が狂奔したバブルも責任のないことです。少なくとも平和を守ってあとはよろしくといきたいところです。たいしたことは何もできないでしょうが、仕事をつうじてできるかぎりのことはしてゆきたいものです。我々がそうしてもらったように。

2003.1.10
「あけおめ」「ことよろ」と生徒達が学校で言い合ってました。さっそく新学期最初の授業でそれを言ってやったらみんなにこにこしてました。「そつおめ(=卒業おめでとう)までがんばりましょうと付け加えましたが。
毎年のことながら、「今年こそは」と思うことがいっぱいあります。さすがに新規に何かを始めるのはありませんが、これまでに手がけたことは少しでも伸ばしてゆきたいものです。下手こそものの上手なれ、下手の横好き総合商社、下手な芸術デパートメント。チェロも少しはましになってきました。それにしても上達のスピードの遅いこと、氷河の前進の如しですね。
ともかく残り少ない?かもしれない人生ですので、のびのびとやってみることにしたいものです。人生の「そつおめ」までね。

2003.3.10
*先月末この2年間担任の先生としてやってきた生徒達の卒業式を終えました。何回となく経験しているとはいえ、担任の先生としては8年ぶりのことですので喜びもひとしおというところです。自分としても全力投球でしたし、この2年間毎日楽しく仕事ができたことは幸せというべきかもしれませんね。
*最後のラストスパートで大学受験などの指導も、生徒と同じく波瀾万丈・悲喜こもごも奮闘していましたので、とうとう2月の更新ができずパスしてしまいました。ホームページ開設以来初めてでした。新作を描くことができなかったのです。とうとう越えてはならない一線を越えてしまったのか、ノルマの壁を。
*卒業の感傷に浸るのも実はあと数日。次の準備にかかります。また学校には新入生が入ってきます。春がやってきます。またまたはりきって仕事に奔走しそうです。スピードはかなりにぶってきましたが。


2003.4.27
新しい制服を着た新入生が入学してきました。今年はこの1年生担当なので、楽しみもまた格別です。どんな子に育っていくのか、
波瀾万丈、前途洋々波高しというところでしょうか。おかげで3月末以来その準備などにまたまた無類の忙しさで、仕事・寝るのくりかえしで過ごしてきました。これまで絵を描くのが主に夜中の作業でしたので、寝ていては商売あがったりです。春眠暁を覚えずといったところでしょうか。春休みというのに全くどこにもゆかず、また連休の新緑のシーズンをのがしそうです。

我が家のパソコンも持ち主と同じく老境に入ったかして、随所に故障をかかえ出し、かんじんの絵の色がまったくでたらめにディスプレイに写ってるありさまで、耳の聞こえぬベートーベン的作業でこれを編集しております。そういえば最近ベートーベンを聴く機会が多くなった。嗜好の変化?思考の変化?

2003.5.11
*先日千葉県の中学生の人が、京都のことを調べてて、きれいなのがあったのでこのHPの絵を修学旅行の栞のカットに使いたいとメールをいただきました。じつにうれしいことですね。インターネットを使って調べ学習をしたり、それで資料をつくったりされてるのでしょうが、その中にぼくのページのようなものが目に止まるだけでも光栄です。根が単純なので俄然やる気が出て久々の休日は絵ばかり描いておりました。それで3枚、つまり1ヶ月分くらい進みました。

*連休中に久しぶりに山歩きに出かけました。山といっても電車で20分、駅から歩き出して40分も歩けば阪神間が見渡せるようなところに着きます。ここでコンビニで買った弁当を食べ、途中の茶屋で買ったビールを飲む、そして山の中で昼寝。これが基本のパターンですが、なんとも至福の時。
かかった費用といい、つつましい幸せ、ほんとにそう思うのです。


2003.6.10
原画をいくつか見てくれた友人が、建物などの横の線が右に少し下がっていますね、と鋭い指摘。測ってはいないがそうかもしれない。「そりゃ日本の経済といっしょで、僕の人生も右肩下がりですから。」事実とはいえ、妙に納得してしまった。
そういえば黒板に書く横書きの文字は油断すると右に下がってくる。指揮者として生徒の前に立ってる時、「先生、身体が曲がってますよ」といわれたことがある。どうも左右のバランスが悪いらしい。縦長の絵になってしまうのもそれからきているのか。
右肩下がりの人生もそうひどくは激変しないようだ。が、先行き不透明で死にはしないが利率が下がる、破綻するよりましでしょう、とおっしゃる生保救済の首相の会見を聞いてると、怒りとペーソスがこみ上げてくるなあ。公的資金も注入できないしなあ。


映画「戦場のピアニスト」をおくればせながら観てきた。
いつもならこうした映画はオンオン泣いてるのだが、
今回は不思議と冷静だった。
音楽があったから生きることができたとか、強い正義心や怒りが生きる原動力になったわけでもなかった。生きのびることができてこそ、音楽ができるのだ。ふつうの人間の、たまたまピアニストであった人の物語だったと思う。
ふりかえれば自分もどこにでもころがってそうなごくふつうの人間で、時代と社会の流れに押し流されるひとりに過ぎないようだ。こうしたふつうの人間が遭遇せざるをえなかった、何百万、何千万人の悲劇の歴史の重みを次の世代へ伝えなければいけないだろう。
たまたま学校では来月「ライフ イズ ビューティフル」の映画を鑑賞することに決まった。僕の最も敬愛する映画なので、大変うれしいのだが、同時にひょっとして生徒がそっぽを向くようなことになったらがっかりだろうなという不安もよぎる。

ワルシャワ蜂起とホロコーストのポーランドのことは少し想いがある。中学生のギターを始めた頃、タンスマンの「ポーランド風の組曲」のレコードを手に入れ、それを目標に練習をくりかえしていた。子どもなりにポーランドの悲劇的な歴史も多少勉強した。さすがショパンの国のメロディーだと思わせるその組曲は今に続く一番想い出の深い曲となった。久しぶりに弾いてみるかぁ。そう思いながら映画館から帰ってきた。

2003.7.11
蒸し暑い日々が続きます。少しは夏向きの涼しげな絵でもと思いましたが、そんなおしゃれな芸もなく結局こんな絵になってしまいました。
このあいさつを書こうと思った矢先、例の長崎の中一生のニュース。考え込んでしまいます。学校はどこまでわかってたのか、と問われても、親がどのように育てたのかと非難されても、正直なところわからないのではないかと思います。中学校に抗議のメールや電話が殺到してるとのニュース。暗うつな気持ちになってしまいます。「絵に描いた」ようにはものごとはいかないのです。こんな絵だってその時の紙や湿度などでできあがりはまったく違うのですから。気持ちも言葉もだんだん通じなくなってきたように思えてなりません。何の壁なのでしょうね。この壁は

ひさしぶりに「現代社会」という科目を担当している。
もう10年以上前から授業の中で「12人の怒れる男」という映画を観ることにしている。
アメリカ映画の傑作で陪審員による裁判をえがいたものだ。
司法制度や人権を考える授業で、この6月に2時間かけて観た。
実はこのアイデアは友人の政治経済専門の同僚教師が、
偏見を除いて考えることや、自己の意見をしっかりもって主張することの難しさや大切さを
入学したばかりの高校生に考えさせるために毎年やってたもので、
僕もまねしていっしょにやっていた。
今年は6つのクラスで時間をやりくりしてやった。
あたりまえながらいっしょにみるので、僕はもうかれこれ50回はみているだろう。
ほとんどセリフもしぐさも覚えているのに、毎回新鮮で今年は6回も涙してしまった。
ベテランの彼は映画の後、人権や正義、法、思想のあり方、裁判・・・と生徒を引っ張って行くのだが、
僕がやるとつい親と子の関係とか貧困のこととかに話が進んでしまう。
今回も日本語版DVDをやっとのことでレンタル屋で見つけたうれしさからか、
「このDVDは社会派ドラマの棚にあったけど、僕は人間ドラマと思うなあ」などと口ばしってしまった。
「いやー映画ってすばらしいねえ」ともつい言いたくなります。
時代と生徒は変わってもよく集中してみんなみています。僕の話は聞てなくてもです。
アメリカのスラムでの事件をえがいたこの映画、後の感想文のひとつに、
「スラブの少年・・・・」とあったのには参ったなあ。

2003.8.11
暑中お見舞もうしあげます。
ようやく夏休みらしい少しゆったりとした気分になってきました。
*気分が大きくなったのか、とうとう念願の自転車を買いました。あわよくばそれでスイスイと学校まで通勤しようという魂胆です。ツールドフランスの見過ぎかも。風を切って進むなんてシュミレーションどうりにゆくでしょうか。かつて「風になる」なんてキャッチコピーにあこがれてパラグライダーを始めたとたん墜落負傷、あえなく挫折、あれは15年も前のこと。
「電車に持ち込んで現地で組み立てて旅をする人もいますよ」なんて店員に解説されるともうその気分。われながら単純だなあともおもうが。

*朝鮮語の辞書もとうとう買いました。いつも新書か文庫本しか買えないぼくとしては破格の出費。買った以上は元をとるまでやめないぞ、なんて発想が貧困だなあとも思うが、今までいつもそうだったからなあ。
夏だけのささやかな余裕か。

2003.9.12
残暑というより本格的な暑さが続きます。まいってしまいますね。教室の生徒達は動物園のペンギンさんのようにバテています。先生たちは白熊さん状態です。昔から暑さ寒さも彼岸までといってな、あと10日で涼しくなる、などと予言者ぶっても通じません。彼岸の説明をするはめになります。あの世よりこの世のガマンを説くことになりますから、また暑さの中で勉強する試練、灼熱の地獄に話が戻ります。こうムシ暑くては眠れもしない!ということか、忍耐と寛容のあくなき戦い。

9月28日まで西宮市の大谷美術館でボローニャ国際絵本原画展が開催中です。僕のもっとも大好きなブルガリアの水彩画家イワン・ガンチェフさんも招待作家で作品を出してます。今年もすばらしいイラストや絵がたくさんあって、うれしくなってしまいます。ぜひどうぞ。

http://sakura.nishi.or.jp/~otani/


2003.10.11
*日付を入れてみて気がつきました。
これを始めてから丸4年になったのです。
描いたハガキ絵などは250枚ほどみたい。
もうどの絵がどこにあるのかよくわからなくなってきました。
我ながらよくやるなと思ってしまいます。
なぜつづくのか、僕にとっては七不思議です。
やっぱり下手な分、もっとうまくなりたいと現世利益を願う気持ちが強いのか。
発する言葉の減った分だけ絵でものを言おうとしてるのか。
自分でもよくわからないが、ともかく続いてるのです。
*最近卒業生の中にも海外に留学する人が増えてきました。
うれしいことです。若い頃のぼくなんかには思いもよらなかったことですが、
いろんな経験を積むチャンスがあるのはいいことですし、
なによりどんどん自分で飛び込んでいこうというのが頼もしいです。
語学関係の情報には、熟年コース的留学情報もよく出てきてますね。
いつか僕も一発!なんて思うこともあるんだけど、この超人的記憶力ではね、意味がないでしょうね。

2003.11.10
*けんぼう‐しょう【健忘症】〓記憶が著しく障害される症候。〓物事を忘れ易い性質。(広辞苑)だそうだ。病気なのに健康そうな漢字が使われているが、けん【健】〓程度のはなはだしいこと,だそうで、しかたなく肯いてしまう。うな垂れてしまう?か。
自分でもあきれるくらいうっかり忘れていることが多い。いや多いと思われる。いや多いかもしれない。忘れたことも思い出せないことがあるかもしれないから。ここまでくると立派な病気だなと思っている。他人にいっても「何をいまさら、今に始まったことではない」と一蹴されそうで、また自分も「そう言われるとそうかもしれない」などと自信がないので大弱りだ。
しかしこんなことを言っててもどうにもならないので、このことはきれいさっぱり忘れて新しいことに挑戦することにしよう。
*画家の安野光雅さんが岩波新書で「絵のある人生−見る楽しみ、描く楽しみ」を出されました。「楽しみ」としての絵を語っておられて、楽しく読ませてもらいました。絵画や音楽に関する本はともすれば高邁な芸術論かhow toものかになりがちです。その間を埋める何かが欠けているのでしょう。技量はなくても見識はなくても、芸術はなによりそれぞれの自分にとって楽しくて大切なものだと思うのです。僕らでもそうしたことを語りたくなるような、そんな本だと思いました。「芸術の秋」ですものね。

最近は自転車で早朝の河川敷を激走して学校にいっている。
朝の光を横から受けて走ってるので快い。
朝だったら光がいっぱいでいいスケッチができそうに思うのだが。
休日は動き出しが遅く、行動開始はお昼になってしまう。
写真を撮るにしても午後になる。
実際紙に描くのは夜だから、気分はミッドナイト。
つい空を黄色くしてしまう。
そのせいか絵は夕方が多い。
どうしても寂しげな絵になってしまう。
朝のいきいきした雰囲気は好きなのだけど出てこない。

2003.12.11
*イラクへの自衛隊派遣(派兵というべきだろう、遣唐使じゃないのだから)決定のニュースがちょうど重なってしまった。僕らは何でもものごとを考える基準に、必ず太平洋戦争や第二次大戦のことがあった世代だろう。もちろん戦争の経験はない、戦争を知らない子どもたちだったけれども。二度と戦争はおこすまい、またみんながそう考えているから起こるまいと思ってた。今回のことがいろんな偶発を引き起こして、不幸な結果に至らないことを願うばかりだが。

*とうとう買ってしまった。ラジオチューナーのついたICレコーダーだ。何に使う?って、もちろんラジオ語学講座のためだ。現在はハングルと始めたばかりのスペイン語。なんでもっと頭の冴えてたころにやっておかなかったのか。動詞の活用だけでももうすぐにパンクしてしまう。たよりになるのは粘りとあせらぬ神経だけ。反復あるのみ。ではなぜ無理してやってるのか、たいした理由はみあたらない。わかるようになったらおもしろそうだからという程度のものか。考えてみるとこの絵も音楽もみんなそんなものかもしれない。うん、そんなもんだろう、そんなものにちがいない。

2004.1.1
あけましておめでとうございます。
26日にクラブのコンクールが終わって、27日から冬休みにはいりました。さっそく我が家の大掃除にとりかかりました。
念願の畳の表替えもやってすみからすみまで始めたところ、なんと4日間かかってまだ自分の部屋ができてない状態です。朝から夕方までリフォームに入る大工さんのような気分でやってきましたが、これが妙に楽しい、これも歳をとったからでしょうか。
完璧に仕上げたつもりの奥の和室、表替えから2日目、我が家の現存する犬のリンが小便をしてしみをつけてくれました。数万円もかけてやったのに、畳屋のおばちゃんは犬なんかいれたらあかんでとなんべんも忠告してくれてたのに。一寸の油断が大惨事を呼んだのです。
失意のうちに玄関廊下あたりを掃除している時に、壁にかけている絵を入れ替えてやろうと思いつき、今までに買いためていた額(バーゲンで安いなと思った時に買ってた1000円程度の小さなモノばかりですが)を出してきて陳列してみました。約20点、ずらっと展示してみるとさながら個展のようで、御本人はけっこう気に入っております。名づけて「自己満足展」なにしろ来場者ゼロ、家族ですらだれも見ないのですから。

2004.1.18
新年早々骨髄バンクからの手紙が来た。とうとう役に立つ時が来たかとドキドキしながら封をあけてみると、登録抹消のお知らせだった。昨年末の誕生日で登録できる期間が過ぎたとのこと。つまりそういう年齢になったということだ。新学期になって授業でそんなことを話してたら、やっぱり生徒はあまり骨髄バンクのことなど知らないようだった。つい夏目雅子さんはきれいだったとか、よけいなことを言ってしまったので真摯な気分は伝わらなかったかもしれないなあ。いつものことだけども。
新学期最初の現代社会の授業のタイトルは、「災いは忘れた頃にやってくる」とした。といっても地震のことではなくて、感染爆発つまりエイズやインフルエンザのことなのだが。冬休みにはそんな関係の本ばかり読んでたので、いつでもどこでも危険がいっぱいのように思えてきた。およそふだん健康管理とは程遠い人間が、ことあるごとに周囲に注意を促しているが、これもまた説得力に欠ける。
新学期が始まったらまたフル回転の操業になってしまい、この更新も遅れてしまった。なにしろこの寒さで屋根裏の絵描き場に向うのが億劫になり、健康のために早く寝るのを優先させたためだ。そういうことにしておこう。

2004.3.10
*年始からこのかた自分としては無類の仕事に追われる毎日だった。ちょうど社会の授業で労働や過労死のことなどをとりあげていたのに、教えてる本人が労基法違反も甚だしいのはいかにもパッとしない。先生が過労死で死んだら「いい先生だったなぁ」なんて3日くらいは言っといてくれよ、と冗談を飛ばしたものの、ブラックユーモアではもひとつだ。学校の先生が仕事に追われるというのはあまりろくなことがない。原因もそうだが、結果もそうだ。仕事が雑になるのは他の職業と同じだが、アイデアというか創作意欲が低下する。翌日のテンションを維持するためには早く寝ないといけない。遅く帰って早く寝る。これでは新しい作品も描く時間がなくなってしまう。というわけで今回もまた更新が遅れて、まるまる1回分パスになってしまった。HP開設以来初めての危機。延滞利息をどう付けますかな。

2004.4.11
たまにみるTVなどで、さまざまな分野で活躍してたり、立派な生き方をされている人の話にあうと、いつのまにか気がつかないうちに正座して襟を正して聞き入っている。
みなさんほんとに偉いなあ、と思うことが多い。それに引き換え自分は・・・などといつもは考えてしまうが、最近は少し吹っ切れていて、自分より若い世代の人たちが、いい本を書いてたりするとなんかうれしくなってしまう。
まさにもはや老壮の心境か。
卒業生の野球選手がスタメンで登場するようになったり、CDデビューを果たしたり、そんな活躍を見聞きすると、自分のことのようにうれしいし、そんなふうに表面にはでないけどきっとたくさんの子がいろんなところで活躍してるんだと思うとワクワクしてくる。
先生より生徒の方が賢くならないといけない、というのが僕の基本教育理念なので、それが若干でも達成されつつあるとみてよしとするか。微妙なところだ。


2004.5.10
たまにしか見ないTVをつけてみると、偶然
「列島横断最長片道切符」の特集番組だった。以前宮脇俊三さんの本で読んだことはあったが、42日かけて実行する企画らしい。この番組、いわゆる鉄道マニアを紹介していたが、それがじつにユニーク。全駅を下車する人、駅弁を食べ尽くす人、列車の走行する音を残す人、列車そのものを保存してる人・・・・みんなほんとに楽しそうにやってる。なんでそんなことに熱中するのか、ばかばかしいほどの真剣さで続けている。いってみれば「生きがい」なのだ。
考えてみると程度の差はあれ、僕も同じようなものだ。絵らしきものをなぜか描き続けている。そのままゆくとエンドレスになってしまう。新駅が開業するたびに新たなところへ足を運ばねばならないようなものだ。何のために?どこまで続くぬかるみぞ。
今の子なら「なんでだろう」と歌うところだ。僕の世代なら守屋浩の「なんでなんでなんで、どうしてどうしてどうして・・・」がぴったりだ。そして「ぼくもゆこう」となるのだ。そこんところは、若い人には、わかるかなぁ、わかんないだろうな。

2004.7.25
6月末の部活の吹奏楽部の定期演奏会などで忙殺されていて、2ヶ月も更新がまたまた遅れてしまいました。歳のせいでしょうか、物事がテキパキ進まず、疲れもひどいので、困ったものです。その分生徒達がしっかりしてくれているので助かります。「老いては生徒に従え」ですかね。
演奏会のCDを作ってみました。娘の最新のパソコンとソフトを使ってやったのですが、ほんとに簡単にできました。夢のようなことができるのは驚きですね。生徒達にプレゼントしたのですが、みんな喜んでくれました。
小学6年生の時、器楽部の先生が当時のソノシートに自分達の演奏を録音してくれました。「クシコスポスト」という曲でした。今も手元に残っています。録音の時のことも少し覚えています。
生徒達がおじさんおばさんになった時、はたしてそのCDが再生できるのでしょうか。たとえ再生できなくても、その頃のことは大切な思い出になってるでしょうね。


あいさつにCDのことを書いたのでついでにもうちょっと。
はじめて自分の小遣いで買ったレコードは、
東京消防庁音楽隊の行進曲集だった。
月500円のおこづかいを父の給料日にもらって、
それを手に坂道の途中にあるレコード店に飛び込んで買った。
これも小学校6年ころだった。
ポータブル電蓄(電気蓄音機か)をお年玉で買って、
レコードを買ってかけてみたくて仕方なかったのだろう。
ちなみに我が家で最初のレコードは、
田舎のおばあさんが来た時きかせてあげるために買った
都はるみの「あんこ椿は恋の花」だった。
長い合唱団生活のくせに、僕は歌詞を覚えることが大の苦手なのだが、
おかげでこの曲だけは正確に覚えている。
初めて買ったLPは、カラヤン、ベルリンフィルの第九だった。
歓喜の合唱が出てくるまで、ひたすらじっと待ってて、
出てくるともう満足。最後までは聴かなくてもいい。
舞台で歌うようになってもこの感じは変わらなかった。


2004.10.3
本来なら時間の余裕があって、絵を描いたり旅に出たりできる夏休みのはずだったのですが、部活動に忙しくしている間に何も手をつけられないまま過ぎてしまいました。そのせいか夏バテが9月になって出て、さらにパソコンまでがダウンして、HP開設以来の長期不更新記録を作ってしまいました。
イチロー選手に学べとばかりに奮起を自分自身に促していますが、ふと気がつくと開設以来ちょうど5年になってしまいました。パソコンの更新を機にHPの方もリニューアルしたいものだと思っていますが、さてさてどうなることやら。
ささやかな夏休みの挑戦だった「青春18切符」の旅もとうとう2日分しか使えず、3日分も残してしまった。期限最終日は、もったいないので仕事が終わってから、用事もないのに大阪まで(たった230円の区間なのだが)乗車した。晩の7時を過ぎてからの出発なのに、駅員さんはハンコを押す時に大きな声で「いってらっしゃい!」と言ってくれて、少々気恥ずかしい思い。18切符はそう取り決めているようだし仕方ない。結局都会にいても仕方がないのですぐに帰ってきた。こうして僕の夏は終わりました。

2004.11.10
オーケストラの定演もなんとか終えてひと区切りついて、先日の休みの日に、近江八幡を訪ねてきました。期待に違わず落ち着いた町で、町並みも風情があり、通りの名称も城下町らしさが残っておりそれを見ながら歩きまわるのもなかなか楽しかったです。
町はまた、建築家ヴォーリズの町としてその作品の保存と紹介をすすめていて、それらを訪ねるのも興味深いものでした。彼は正規の教育を受けてないアマチュアの建築家だったといいますから、おもしろいですね。建築の勉強を独学でやったらどこまでやれるでしょうね。
堀ではたくさんの人がスケッチをされていました。グループでこられている人が多いようでした。
夜も更けて駅に向う途中で、後藤勝美さんの水彩画の個展を偶然みつけ,時間も遅かったのですが入れてもらいました。ヨーロッパの風景画でしたが素晴らしい力のある絵で、受付の方にいろいろと教えていただき、これまた楽しい時間でした。(後藤さんは大阪心斎橋大丸で、11月17〜23日個展を開かれるそうです。)
今年の秋は短かそうですね。休む間もなく冬がやってきそうです。

2004.12.11
2004.12.11
あったかい冬のおかげで再開した自転車通勤も、快適に続いています。とうとう自動車も手放し、楽器運びなど不便は多いし、出かけるにも機動力がなくなるのですが、不況でタクシーも常時空車で走ってますからなんとかなるでしょう。車を売ったお金で以前から欲しかったbose社のラジオを買いました。おかげで眠る時はNHKラジオ深夜便を聞きながら、朝起きはNHKFM6時のバロック音楽の時間で目覚めるというぐあいで、余韻のある生活を送っています。部屋の整理をしたらたくさんのLPレコードが出てきました。中には聞かないまま持ってたものもあり、洗濯をしながら聞いてたらCDよりもこれまた余韻のある感じ。アナログな生活の始まりか。「それって歳をとったってことでしょう!残念」っていわれそう。
とうとうこのHPを作っているwin95のパソコンも廃業になり、これが最後の送信。パソコンだけは新しくなって、僕の頭の中もバージョンアップできますかどうか。

2005.4.20

とうとう久々の更新にこぎつけました。親しい人からは具合でも悪いのか、などと便りをもらい、ご心配をおかけしました。<BR>
ふだんは夜中にちょっとずつ描いてたのですが、仕事の疲れからかつい眠ってしまうことが多く、新しい絵にとりかかれなくて、正月から春までそのままになってしまいました。<BR>
デジカメを手に入れて、取材の手段が飛躍的に進歩したので、これからはどんどん出かけて行こうと思っていますが、ますます学校の方も忙しくなってきて、どこまでやれるかわかりませんがともかくがんばってみることにします。</FONT><BR>

2005.5.22
*神戸のドレスデン国立美術館展に行ってきました。96年にも行ったことがあったのですが、あらためていろんな大作をみてみると、なんか自分のやってることなどがまったく取るに足らないことのように思えて唖然としてしまいます。世界史を教えることが多くなってきたので、多少知識も増量、今回の展覧会も見る眼が少し変わってきたかなと思えました。人間死ぬまで勉強だなぁなんて。
*仕事に忙しくて新緑の5月も、通勤時に眼にする河川敷の樹木の美しさに感心するのが精一杯ってところですが、それでもうれしいひと時です。
1ヶ月後に近づいた部活の定期演奏会にむけていよいよ怒涛の毎日が待っています。体力的にはしんどいのですが、生徒たちといっしょにひとつのコンサートを創っていく、こんな楽しいことはありません。ここはひとつがんばることにしましょう。

2005.11.30
ずいぶん長く更新が止まってしまいました。病気をしていたわけでもなんでもないのですが、しいて言えば新しく描けなかったからでしょうか。毎日少しづつサボっているうちに、夏が来て秋が来て、もうすぐ冬になるところまで来てしまいました。
担当している3年生が高校生活の終盤を迎えようとしています。授業のはじめにはいつも「弁当もって学校に来るのもあと××日になった」などといって、ハッパをかけると同時に自分にも言い聞かせてます。これを言うと、ほんとにニコニコうれしそうな表情をする子もいて、「ああ、この子はそんなに学校へ来るのがイヤだったのかなぁ」とも思ってしまいます。受験の真っ只中、悲喜こもごもの毎日です

2006.1.1

あけましておめでとうございます
2005年はなにかとあわただしく、何をなしたわけでもなく、いつの間にか過ぎ去ってしまいました。
絵を描くこともほとんど進まず、そのためこのページを更新することもあまりできませんでした。
2006年はひとつでも何か確かなものをつかめるような年にしたいものです。
春先には長女が結婚するなど縁起がいいはずですから、背筋がすっとのびるような生き方をしたいと思います。
夏には、合唱団がラトヴィアへ演奏旅行に行きます。元気なうちに歩き回っておこう。
秋には、冬には、と少しは夢と計画をもった生活態度で暮らせるようがんばります。


2006.2.10
部活の生徒が近くの大病院の付属の看護学校に合格しました。第一志望でしたから僕も大喜びです。
その病院は父がかつて闘病生活をしたところです。毎晩通ってよく泊まりました。僕も同じ道を歩むのかなあと思ったものです。
先生もそこにいつか入院してお世話になるから頼むぞ。屋上で楽器の練習したり、患者でコーラス部作ったり、目が見えてたら一日中絵を描いてるから、大目に見て便宜をはかってよ。などとさっそくお願いしておきました。
そのうちに誰かれの区別がつかなくなるだろうが、見捨てずに。死んじゃって病院を出るときは見送りに来てよ、ここまで言うとめでたさが半減するので、ほんとに入院したら頼むことにしよう。来るべき老後の展望の開ける話?でした。

ごあいさつ
2006.3.11
2月末から3月初めにかけて、あいついで僕にとっての2大イベントがあいつぎました。ひとつは長女の結婚式、もうひとつは担当する学年の子達の卒業式です。結婚式の方は娘たちがすべて準備して、「花嫁の父」として当日参加みたいなものでしたが、たのもしく成長したものだと感心することばかりで、喜色満面の一日でした。もうひとつの卒業式も、3年間、252人の生徒たちとの生活でしたから、「無事」高校卒業までこぎつけたことで、大きな荷物を運び終えた安心感が残ります。自分のこどもと話す時間より、生徒とあれこれ接していることの方が多かったのではないかとか、仕事と家庭とのことなどなどいろいろ考えながらのここ数日でした。


うれしいことついでにもうひとつ。
我が校の卒業式から1週間ほどして、4人のスーツ姿の元生徒が学校をたずねてきてくれました。
彼らは1年生や2年生の時進級できなくて、他の通信制などの学校に移っていった子達でした。
留年が決まって、親と本人といっしょに長い時間話したことなど今でもはっきりと覚えています。
そうした生徒がたくさん出てしまい、責任者としてはつらい思いがいろいろとありました。
無事順調に卒業できた者はいいとして、退学していった子や他に移っていった子らのことは気がかりでした。
4人はその日編入先の高校の卒業式があり、もらったばかりの卒業証書を元の学校に見せにきてくれたのです。
うれしそうに職員室で元担任の先生にあいさつする姿は実に頼もしく、立派でした。
僕にとってはもうひとつの重荷がとれた、さわやかな一日でした。

ごあいさつ
2006.4.13

桜が咲く頃になると、なんだか気分がうきうきしだすのは、国民性なのか職業的習性なのか、最近はぼくらはそういう動物なのだと考えるようになってきた。
四季折々の気候と風土がこうした人間を育てたのかと、和辻哲郎の「風土」ではないが、そんなことをあらためて思ってしまいます。
ああ、春が来た。山に来た、里に来た、野にも来た。
その春休み、部署が変わって3月末から無類の忙しさに突入し、休み無しの12時間労働を2週間も続けてさすがに疲労困憊、ワーキングアニマルになって無茶を重ねております。
今回のものはもちろんそれ以前に描いたもので、こんな事態になるとはいざ知らずゆったりしてた時のものです。
それでもあまり落ち込まないのは、やっぱり新しい生徒たちとの授業が始まって、職業的習性がむくむくと出てきたのか、仕事があるだけありがたいというベテランの境地か、それとも僕はそもそもそういう動物なのか、ともかくこれくらいにして明日にそなえ寝なければなりません。


2006.5.13
新緑の季節になるとほんとにうれしくなってくる。リーフグリーンという色がそのまま使える。僕の絵は小さいので、絵の具の量はほんの少し。何年か前に買ったその絵の具がとうとうフィニッシュを迎えた。一本200円足らずのチューブ。ささやかな充実感。新しいのを買いにいこう。
そんな緑をながめながら自転車を走らせたり、山を歩くのは春ならではのうれしさ。仕事に追われる時間が多くなればなるほど、そんな時間が貴重になってきた。めったにない休みの日に青空がのぞめれば、まずは気合を入れて洗濯、片付いたら近くの山へ足を伸ばす。駅前で弁当を買って、1時間もあれば山の中。いつもの岩の上で海をながめながらふもとの茶店で買ったビールをのんで、しばし昼寝。なんともささやかな幸せ。

今の学校ではずっと世界史を担当していたのだが、今年度から数年ぶりで日本史を担当することになった。
「先生、日本史も教えられるんですか?」と生徒。
「何を言ってんだ。僕は生まれも育ちも日本史だよ」などとわけのわからない言い訳をして、長年培ったノウハウで授業にのぞむ。

幕末の京都のことをこないだの授業ではこんな調子で表現した。
尊皇攘夷の若いテロリストが全国から京都に集まったんだ。
みんな腕の立つ、命知らずの連中で、治安当局も剣道の達人みたいな浪人をかき集めて(新撰組)日夜町中でゲリラ戦だ。
外国のあの手この手の圧力に、幕府も右往左往、賠償金は要求されるし、経済は混乱するし、「改革」を叫んでもなぁ・・・・・・・
京都の御所では、過激派長州藩と攻防戦。各藩あい乱れてセパ交流戦みたいなもんだ。どこが首位なのかよくわからん。
10年前ならこんなたとえ方にはならなかった。いろいろ工夫はしてるのだが・・・・・。

さて授業をやってるうちにハタと困ってしまった。
生徒の持っている「常識」の壁につきあたってしまうのだ。
つまり高校生が少しは見聞きして知っている知識があまりにも少ないので、それらを使って説明ができないのだ。
10年前と同じように説明しようとすると、以前の10倍も基礎的な常識を解説しないと話が進まないのだ。
聞いているうちに生徒もいったい何のことの説明のための説明なのかわからなくなるのかもしれない。
いろんな事柄をつなげて考えるのが歴史なのに、つなぐものが何もないとこちらはあがったりなのだ。
若いうちはなかなか歴史的なことに関心がいかんだろうが、少しでもこの際「常識増やそう」と言ってはいるけれど。
通商条約の「通商」って「=貿易のこと」とノートに書いておこう、とか「そもそもなんで輸入品に税金をかけるのでしょうね?」とか、
笑ってられないのです。かくして幕府はいつまでたっても倒れないのです。

06.9.10
4ヶ月ぶりの更新になりました。この夏合唱団の仲間とバルト三国、エストニア・ラトビア・リトアニアへの演奏旅行に行ってきました。コーラスの国とでもいうべき合唱大国です。ヨーロッパの辺境のようなイメージを持っていましたが、訪れる街はいずれも歴史の重みを感じさせる風格のあるところばかりでした。ヨーロッパの有名な観光都市と比べればメジャーではないので、落ち着いた雰囲気を持っています。エストニアの首都タリン、ラトビアのリガ、リトアニアのカウナス、ヴィリニュスなどです。またストックホルムやヘルシンキにも立ち寄ることができました。またしばらくは時間を見つけて順次小さな絵にしてゆこうと思います。


2006.10.10
気がつけばこのHPを初めてまる7年が過ぎ、8年目に突入ということになった。振り返ってもあっという間のことで、何をやってきたのか自分でもよくわからないというところだ。
この数年の間にも、パソコンやホームページの環境も日進月歩、どんどん変わってゆき、ブログやミクシーなどおよそ僕にはついていけないような事態に進化していってるようだ。
夜な夜なコツコツ描いて、たまったらこのページにアップする。ただそれだけのシンプルさでいつまで続くやら。
7月に中国遼寧省大連・瀋陽に数日行ってきました。その時の分も少しずつ絵にしはじめました。この数ヶ月は古い町並みの残ったバルトの国々と今すぐにでも消え行く運命にある大連の古い町並みとを、交互にとりくむことになりそうです。

        2006.11.10
この数ヶ月尋常でない量の仕事をかかえ、休みなしに奔走しているうちに、プロバイダーの継続手続きを怠っていて、このホームページの多くの記事が消えて修復不能になっちゃいました。
別に書き溜めるつもりもなかったからかまわないのですが、絵の画像は残っているので、一からやり直しです。
というわけで過去の作品のページは順次直してゆきますが、今の時点では多くがリンクできない状態になってます。
災害にでもあってなにもかも失しなったようなものですが、自業自得の致すところですし、命を失ったわけでもなんでもないので、またコツコツやるかと本人はさっぱりしたものです。ご心配なく。
絵を描き始めたころは、まめに作品の所在を記録していたのですが、長くやってるうちにどこに何があるのか、はたしてこのホームページ上から消えているのかどうなのかも、わからなくなってきてるようです。「ようです」としか言い様がないのです。
絵も本も楽譜もCDも同様のパターンになって、整理不能になってきてます。もっともこれは今に始まったことでないのは明白ですが。
ともかくいくつかの作品を足してとりあえず更新、更新。

2006.12.10
 この1ヶ月間、前月に消滅してしまったホームページデータの修復にとりくんできました。
なんとかこれまでに載せていたものは拾い集めて、復旧してみました。でも文章はほとんどが失われていて、絵の方もいくつかはなくなっているのでしょうが、これだけ増えてくると定かではありません。
 これまでの作品を点検してみると、少々熟練してきたからか、以前描いたものの中にはできの悪い作品も多く、時間をかけて描き直さないといけないなと思いました。
 この1ヶ月、土日などはできるだけ休みをとらねばとしてきたのですが、休みの日にはほとんど家にひきこもって外へ出ない人になってしまいました。おかげで筆は進んだのですが、また秋の紅葉のシーズンをパスしてしまいました。また年末にむけて忙しくなります。

2007.1.1
 あけましておめでとうございます
 昨年来の忙しさから少しは解放されて、のんびりした正月を送っています。
 最近長生きに対する執着心がようやく芽生え始め、やり残したこと、まだ手をつけてないことに挑戦してゆjかねばと思う次第です。
 昨年末楽譜の浄書ソフトを購入しました。作曲や編曲のためのツールなのですが、その能力には眼をまるくしています。
今までは長時間かけてやってたことがなんなくできて、科学技術の進歩はこうでないといけないと感激しています。
 それならというので、日頃通勤路の自転車で歌ってる鼻歌を改造して、チェロやギターのエチュードか無言歌にして、作品を残してゆこう。
自分でも無作為の盗作のような気もするのですが、絵といっしょで脳によぎったアイデアを形にしてみて究極の自己満足。
 かくして音楽の基礎勉強もいちからやり直して、今年はオーケストラにも復帰して・・・と少々夢膨らむ2007年のスタートです

 
本年もよろしくお願いします

 2007.1.10
この正月はほとんど外に出ずに、家にこもって描いてたので、過去最高の(できではなくて枚数)新作になりました。いったん彩色をはじめてから中断しているものも5、6枚あります。もっと時間が欲しいところで新学期の開幕です。また忙しい日々が始まります。
正月に一大決心をして、近くの書店で「当用日記」なるものをとうとう買ってしまいました。買っても続くわけがない、むだだ、かりにつけても何になるのか、3年用にして途中で死んだらもったいない、などなど。なにしろ50年にわたる実績がもの語ってるのです、日記など三日と続いたことがないのですから。
あれこれつまらぬことで迷うのが、心と身体に一番悪そうだ。もし続かなくても、自分はやっぱりその程度の人間だったと再確認すればいいのだし。というわけで今年はどんなにつまらぬ一日であっても日記に書くことにしました。何か書くことは無いのかと迷うことのないように願うばかりです。

2007.2.10
同じ合唱団仲間の定年退職のお祝いに、かつて演奏旅行にいったプラハのこの絵を描きました。僕としては初めて、お店でマットを切って額装してもらいました。
はい、できあがりましたと完成品をみせてもらう時に、なんか花嫁衣装ができた時見たいですねと言ったら、みなさんよくそうおっしゃいますとのことでした。拙いとはいえ、結構時間と手間をかけたものですからどの絵もそれなりに愛着があります。自分の手を離れてゆきますので、たしかにそんな感じかもしれません。
お世辞ながらも絵を少しほめてもらったので、気分も爽快。またいいのができたら額を作ってみたいものです。今まで費用がかかるのと、専門店に持ち込んだ時「こんな程度の絵に額を作るんですか」なんて思われそうで、避けておりました。なかなか生来の貧乏人根性が抜けません。なにせ「美術をやってる人」には畏怖の念があるのですから。


2007.3.11
大学時代の合唱団仲間と房総半島をたずねました。学生時代に演奏した合唱組曲にうたわれたゆかりの場所を訪れてみようというわけです。もちろんアカデミックな探究心からではなく、それにかこつけたミニ同窓会なのですが。行った先は外房の太海町。僕にとっては初めての房総の海岸で、春のぽかぽかしたあたたかさ、太平洋の大きな波、気心しれた仲間との旅は実に楽しいものでした。今回はそんな海のスケッチのハガキ絵を何枚か描いてみました。

2007.4.14
またまた年度末と初めの忙しさの中で、忙殺されておりました。せっかくの青春18切符もパスで春休みが過ぎてゆきました。気がつくと桜が咲いていて、あたりの緑も色が変わってました。こうなると芸術も趣味もあったもんではありません。なのに病気にならないのが不思議です。たぶん毎日、休みなしで走ってる自転車のせいでしょう。なにせ片道14kmも走ってるのですから。河川敷の自転車道路を走ってるので、気分は爽快なのです。愛車も手入れもしないのに、故障もパンクもせずよくがんばってくれてます。1日24時間のうち、1.5時間は自転車に乗ってることになります。自転車マニアでもなんでもなく、ただ職場の往復のためだけなのですが。というわけで、仕事以外は通勤の自転車の話題だけ。プラハのハガキ絵3枚のみかろうじて描いただけの春休みでした。


2007.5.12
 私が高校教員になったのは、1977年のことでしたから、実に30年がたったことになります。
教員になった時の自己紹介で、「憲法・教育基本法30年の年にふさわしい先生になります」なんて言った事を覚えてますから、日本国憲法も60年。 安倍内閣が憲法改正を実現させようと邁進しようとすすめていますが、どうもうさんくさい、あやうい感じがします。歴史の勉強をすればするほど疑い深くなる。いつも生徒にいうことですが。
 いよいよ仕事の面でもフィナーレが近づいてきましたか。その割には満足のいく仕事ができないままで、年月のみ重ねてきたようで多少自責の念があります。
今年もたくさんの生徒達が入学してきました。楽しい学校生活を送ってもらいたいものです。自分にできるのはほんのちょっとの手助けだけですが。


先月半ばに中間考査があり、部活もしばらく休みになって少し余裕ができました。絵を描く程度の余力が残っていて、コツコツやっていると新しい作品が5.6枚できました。
この表紙の絵は3年くらい前に下書きしていたもので、今回やっと着彩にとりかかったものです。


2007.6.30
部活の定期演奏会もなんとか無事終わり、仕事がひと段落。しばらくのテスト前休み。ずっと放置していたので、ようやく病院でも行くかと何年かぶりに病院へ。心はひとつもときめかないのに、心臓がドキドキ。もう3年くらい。検査をするといつも血圧よし、心電図異常なし、血液ノープロブレム、となるので何度か診察には行ったが、最後はお疲れですねで終了。ここ数ヶ月そんなに重労働してないのにあまりにも疲労度がひどいので、今度こそ病気だろうと意を決して大病院へ。各種の検査分析は2週間後なのだが、病院へ行くのに久しぶりに学校を休んだせいか、実に心はおだやか、待たされても読書しながらゆったり過ごす。そのせいか症状が表れない、検査結果はきっとシロだろう。やっぱり気疲れってところか。むしろ検査中「**って言われたことないですか?」なんて聞かれたことのほうが気になりだした。
今のうちに絵をたくさん描いておくことにしよう。

2007.8.10
ようやく夏休みらしい時期がやってきました。今年は校舎工事の関係で、部活も長めの夏休み。
7月末に中華民国台南市で「アジアカンタート」という合唱祭のようなものがあり、縁あって参加してきました。
現地では第九のコンサートを2晩行ない、地元のオーケストラ、指揮者、合唱団などといっしょに歌ってきました。
いつも第九を歌うと、もうこりごりだ、体力の限界だ、などと思うのですが、なんとかやってきました。作曲から200年もたって、地球の裏側のアジアの一角で演奏中とは、ベートーベンもびっくりのことだろう、とオケのリハーサルを聴きながら思いましたね。
さて戦争と平和を考える夏。テレビなどでもすぐれたドキュメンタリーなどがたくさん放映されている。メールアドレスに1945.8.15を組み入れてるので、「戦争を忘れるな」のつもりなのに、誕生日と間違われる。僕は団塊の世代ではありません、と年齢のアピールで終わっていてはなさけない。どのように教えてゆけばいいのか、ボーとしているとあっという間に定年退職になってしまう。いそがねば。

2007年9月10日
ようやくあの夏の暑さが多少おさまる様な感じがしてきましたが、いかがお過ごしですか。暑さにめげてほとんど何も手につきませんでした。休みの時は扇風機を前にして、横になって、ひたすら読書、疲れたらそのまま休憩。つまりはずっと休憩でした。近くに大型古書店ができて、つい適当に選んで買い込んでしまいます。中にはそんな値段では本がかわいそうだろうというようなものも見受けられます。99円とかで買ってきた本を1週間ほど楽しむというようなこともありますので、そうした時はお金を拾ったような気分になりますが、それなら定価でもよかったわけです。
交通費や食費に比べると、1冊の信頼に足る本の値段は安いものだと思いますが、貧乏な自分としてはその1冊の購入を決断するのにもかなりの時間がかかるのです。挙句の果てに部屋は本だらけ。でもその古書店に自分の本はもっていけませんね。

2007.10.16
 先日虫歯が突然猛威を振るい、顔面を直撃しました。運悪く金曜の午後だったので、医者にも駆け込めず、バッファリンを連続服用して土日の部活の練習をこなしていました。生徒には「歯痛で薬物乱用、意識朦朧」などと説明していましたが、「何か悪いものでも食べたんですか?吐いたのにバッファリン飲んで治るんですか?」とたずねられ、笑うにも笑えない。月曜日までがまんして歯医者にかけこみました。さすが歯医者さん、30分の治療で痛みが消えたのです。
 思えば1年前治療に通っていたのに、仕事が無類の忙しさになり、予約をとっても行けず、、何本の虫歯治療を放置してしまったツケが回ってきたのです。つまりバチが当たったってところでしょう。
 さてこれからもいろんな人生のバチが台風のように襲来して、体当たりしてくるのでしょうね。コースがそれるといいのですが、直撃して痛い目にあう。駆け込む医者もなく、医療費に先立つ金も無し、ひとりじっとがまんの日々。予防第一、早期発見、早期治療。人生再点検、人生ドッグ、ああ安らかに暮らしたい。


先日のこと。朝通勤の途中、自転車で交差点を横切ろうとした時、止まっていたワゴン車の運転手が僕に向かって声をかけてきた。
ひげ面で作業服のその人はさかんにこちらに手を振っている。
あんな年格好の知り合いがいただろうかと近づいてみると、彼は「先生、Kです。」という。
名前を言われてすぐに思い出した。僕が大学を出て夜間高校の教員になり、はじめて担任をした時の生徒だった。
「いくつになったん?」と歳を聞いたら「46ですわ。一回結婚したんですけど離婚して、今はシングルですねん。シングルは気楽ですわ。」
「46ですか、そうですか、なつかしいねえ」といったところで信号が変わった。
「今は何してるん?」
「電気工事やってます。」
「そうですか、じゃ元気で。」
「先生も。」といって別れた。
同乗の同僚らしき人が僕にむかって会釈された。
彼の先輩の方のように見受けられたので、思わず「(彼のこと)よろしくお願い・・・・」といいかけて、あわてて止めた。
いくら元生徒とはいえ、46歳の人の保護者のような振る舞いは失礼だろう。
でもその方は温厚そうな人だったので、なぜかほっとした。
うれしかったので、今日の授業でどんな風にこのことを話してやろうか、などとあれこれ考えながら自転車を走らせた。

2007.12.5
少々時間のあるときに、久しぶりに動物園と水族館に足を運びました。子ども達が小さかった頃はよく行ったものでしたが、ほんとに久しぶりです。動物達の姿もあらためてみると、その形や色、表情など新たな発見がたくさんあります。またそれぞれの動物や魚達の解説が実にていねいにわかりやすくされていることに驚きました。今までまともに読んだこともなかったのですが、つまりは工夫されているということが、この歳になってはじめてわかるようになったのかということです。水族館では、水槽の舞台裏が見えるようにしてあるところもありました。所狭しと配管され足場が組まれていて、魚達を育てているようすがよくわかるのです。子供のときにかえったようにワクワクした、と思いました。でも子供の頃はそんなに感激などしたのでしょうか。忘れました。要は知りたいと思う意欲や姿勢が大事なのでしょう、何事においても。



神戸で「ブラジル移民の歴史展」というのをやっていた。
場所は元の「国立神戸移民収容所」であった建物。
かつて全国から集まってここに1週間ほど入所して、ブラジルへ移民として旅立っていった所だ。

30年前夜間高校の教員になって、はじめて担任として一年生のクラスを持つことになった。
そこに3人のブラジルから帰国した姉妹が入学することになった。
夜間中学を経て、ふたつ違いの3人姉妹がいっしょに僕のクラスに入ってきたのだ。
彼女らはあまり日本語を話せないという。
どんな事情かは定かではなかったのだが、ともかく彼女らと卒業までの4年間担任として接することになった。
今から考えると若かった自分がどれだけ彼女らの力になってあげれたのかは、はなはだ疑問なのだけれど、自分としては精一杯はやってたと思う。
彼女達は仕事にも勉強にも一生懸命だった。言葉の壁がなかったらもっといろんな職業にもつけただろうが、在学中その希望を僕の方からは聞きだすことはできなかった。当時「帰国子女の教育」などという言葉が少しはでていたが、それは海外駐在勤務の子弟のためのものでしかなかった。
また彼女らは3人とも家族や友達を大切にする広くてやさしい気持ちを持っていた。この点が、大家族で助け合ってるためなのか、ブラジル社会で育ったせいなのか、僕にはいつも感心させられるところだった。
手元にある卒業時のクラス文集にこんな一節がある。「・・・きょうは学校を休もうかと悩んだ日もたくさんありました。その度に先生方にすまない気持ちが強かった。いっしょう懸命教えてくれるのになぜ私も一生懸命に学ぼうとしないのだろうか、と何回もお姉さんと相談しました。・・・」「学ぶということはとても大事と思います。でもその大切さが分からない人がいっぱいいます。とても残念に思います。日本にきて一番いやだなと思ったのは夜学に対する差別、これだけは本当にびっくりしました。働きながらなんとかして勉強したい。なぜこんなに素晴らしいことに人々は気がつかないのでしょうか、不思議でたまりません。・・・」
それから四半世紀、自分の教員としての反省も含めて、今の日本の学校や社会の在り方も考えてねばならない。
そのころ南米移民の歴史を調べてみたいと考えていた我が初志の行方も探さねばならない。

2008.1.1
あけましておめでとうございます
I HAVE A DREAM 
大した夢ではございません。楽しくて、生徒が勉強してよかったと思えるような授業ができるようになりたいだけです。この新卒の先生のような夢は、勤続30年の「ベテラン」には何を今さらというようなものに思われますが、これがわが職業の永遠のテーマです。少なくとも僕にとっては、です。
今学校には雑務が満ちみちていまして、この2年間、雑務の大海をなんとか泳いできました。海の向こうにはまた海が続いていまして、授業どころでなくなっているのが現実です。肝心のことが後回しになっています。
定年まであと5年、残り少なくなってきました。年末にはとうとう眼鏡を新調、読書力を増強、視界も広がって絶好調。そうはなかなかいきませんが、ベテラン力を発揮してがんばります。


2008.3.20
勤続30年の特別休暇というので、18切符で九州に行ってきました。ふだん年休などをほとんどとることがないので、意を決しないと3日連続の休みなど、とれません。フェリーで門司まで行って、あとは時刻表を持たない列車旅行です。豊後高田・杵築・日田・筑後吉井などを歩いてきました。いずれも古い町並みが残っているところです。あいにくの雨にたたられて、リュックに入れたスケッチブックと画材は結局使わずでした。途中久留米のブリジストン美術館、直方の石炭博物館などにも足をのばしました。
できるかぎり仕事のことは考えないようにして過ごしたので、気ままなのんびりした貧乏旅行になりました。あと2回分18切符が残っているので、さて今度はどこに行こうかと物色を始めています。

2008.6.1
5月の連休明けに、大阪で開かれた、水彩画家ならさき清春さんの講習会に参加してきました。ならさきさんはずっと以前からこの人のような絵が描けたらいいなぁと思ってた画家です。これまで専門家の指導を受けるのも、そもそも自分以外の人が絵を描くのを見たこともなかったのですから、まったく初めての経験でした。音楽でもなんでもそうですが、やはり一流のすぐれた人たちは、技術的にもはるかに先を進んでおられると思いました。数時間もかけて一気に描くことも初めてでしたし、たくさん収穫のあった一日でした。久しぶりに休みをとって参加したのですが、絵を描きたいなぁという意欲が出てきて、もう少しいいものが描けるかもしれないという期待感もちょっとあって、以後いつもより多めに机に向かっております。ただ積み重なる仕事を前にすると、そろそろ見えてきた定年よ、早くいらっしゃい、というような気分にもなりますね。

2008.7.7
6月の半ばに大きな演奏会が続いたので、その後しばらくはその疲れを癒す毎日となった。つまりバテていたのである。
休日の部活を休みにして試験休みも加わり、土日連休が3回も続いた。土日は休日だったのだ。本を読んだり、絵を描いたり、そうじしたりする休日が1週間に2日もあることを忘れていた。
地元のミニコミ誌が作った「北摂里山ガイドブック」を手に、家から1時間程度で行ける郊外の農村に足を運んだ。この絵もその時のもので、このような絵も描ける様な気がしてきた。実は同じ場所に2回行ったのだが、これを描いてから再度通過したら実際の風景はこの絵とはかなり違っていた。きっと描いてるうちにイメージが変わっていったのでしょう。まあそれもまたいいだろうと思うようになってきました。
というわけで、学期末の大混乱の一歩手前までは少しゆったり過ごしました。が・・・。


2008.8.21
夏休みに入って突然パソコンの具合が悪くなりました。これは良からぬウィルスに感染かと対策ソフトを買ったりしたものの、薬効通じず万事休す。HPのデータが消失かと絶望していました。いっそうのこと、HPをゼロから始めるか、そんなエネルギーもなし。とりあえずマウスの掃除してみたらとの友人のアドバイスで、やってみたがこれもだめ。ほこりは出てきたがクリックがきかない。自ら電源も切れない始末だ。絵と写真のデータもみんな過去のものとなるのかとこの世のはかなさを自覚するばかりだった。ところがだめもとでためしに他のマウスをくっつけててみたら、なんと元に戻った。つまりマウスが故障していただけだったのだ。これでいっぺんに運勢が開けたような気になった。退院してインターネットに職場復帰といった気分。この程度の人生の浮き沈みでこの夏は終わる。

2008.9.20
この夏信州へ行った帰り道、中仙道の旧宿場町奈良井の民宿に泊まりました。絵を描いてみるために宿泊したのは初めての体験です。朝起きて朝靄と山の空気は、泊まらないと味わえないものだと思いました。いつもは写真をとりながら小走りに歩き回るというようなことばかりなので、スケッチブックに鉛筆を入れるだけでも僕にとってはほんとに楽しい時間でした。
これがぜいたくなのか、はたまたささやかな庶民の楽しみなのか、単なる道楽なのか、「ビミョー」なところですかな。チャレンジする絵のサイズも大きくなってまた描く楽しみが倍増してきました。もっとキレイに描きたいし、いろんな描き方を試してみたいし、際限なく欲が広がります。練習あるのみか。

2008.10.21
絵を描き始めた頃から、ものの影はいったい何色なのかといつも不思議に思っておりました。毎朝自転車を走らせながら、考えていても堂々巡り。ちょうど本屋さんに科学雑誌ニュートンの光の特集を見つけ、とうとう買ってしまった。ついでに色彩の科学関係の新書も買い込んで、にわか科学者ごっこ。ニュートンからゲーテ、光や色とは何かをめぐる長い歴史。どこかで聞いた話だなと記憶をたどると、高校物理でそういえば習ったはず。大学受験科目でもあったはずなのにこのありさま。以前知り合いのドイツ人に「ほんとに大学で2年もドイツ語勉強したのですか?」と冷やかされたのを思い出した。いやとうとうあの物理の知識が必要となる時が来たのだ、と前向きに仕切りなおして、謙虚な気持ちでちょっとづつ読み進めている。中身はとんとわからないが、その知識がどんな意味を持ってるかだけはわかりそう。

2009.1.1
明けましておめでとうございます。
冬休みに入ったとたん、右肩から右腕にかけての痛みでとことん参ってしまい、年賀状書きはおろかほぼ寝たきり老人状態になってしまいました。痛みの軽いうちは「右肩下がりの人生だな」と冗談にしてたのですが、この8年ぶりの嵐にただただ耐え忍ぶばかりです。
昨年から絵を描く時間と手間がふえ、サイズの大きなものも描くこともでてきて、絵の幅がでてきたように自分ではおもいます。もっと練習して自分らしいものが描けるようにならねばと思います。
学校の先生も定年まであと4年ばかりになりました。雑務に追われているだけで、いい仕事ができてないのは明らかで、なんとも恥ずかしく生徒にも申し訳ないので、本職の方で起死回生の踏ん張りをと決意を新たにしているところです。社会全体も教育の現場も大きく変わっていって、いろんな問題をかかえています。最後のご奉公、思ったことは語らねば。考えたことは実行せねば。ブログでも立ち上げるか。
それにしても肩が痛い。日頃健康すぎて、ちょっとのことですぐめげる。このままではどこにもゆかずに読書のみの冬休みになりそうです。まあそれもいいか。本年もよろしく。


2009.2.7
年末以来の「五十肩」がようやく峠を越え、痛みが治まってきました。結局右手が使えず、年賀状はただの1枚もかけないまま正月が過ぎてしまいました。1月下旬のクラブのコンサートは生徒の助けもあってなんとか出演しましたが、「力強い指揮」にはならなかったです。授業の方はこれまた黒板に字がまともに書けず、いかにも痛々しそうな姿勢でやってますので、これまた生徒達に迷惑をかけました。仕事以外は横になってるような3週間だったので、やれることは本を読むくらい。おかげで日頃読めそうにない長編のものも読むきっかけができました。刑務所に服役中の思想犯なんて気分でしょうか。身体の痛みは拷問のあとか。痛みがだんだんマシになってくると、さながら釈放された気分でまた仕事に精を出し始める。今は文書づくりの多い部署なので、またパソコンに向かう、どうもこれが病の元凶と思われるのに。かくしてまたムショに戻ることに。でも拷問だけはかんべんして。
以上現況報告と年賀状失礼の言い訳でした。


2009.5.7
 部活の定期演奏会があったため、ゴールデンウィークも1日の休みもなく過ぎてしまいました。3月末にできていたこのHPの更新も、またいつもの年度初めの忙しさの中でなんと5月にまでなってしまいました。おまけに教員組合の仕事も引き受けることになり、よりいっそうハードな1年になりそうです。体力、知力、視力に聴力、およそ力のつくものは衰えるばかりなのに、やらねばならないことは山積みです。
今年度は6年ぶりに高校1年生の授業を持つことになりました。やはり高校生でも1年生はまだ中学生っぽいので、面白いことがたくさんあります。こちらも勢いあまってついはしゃいでしまいます。楽しく勉強できるようにあれこれ授業を工夫することは実にこれまた楽しいことで、このことに本来専念したいところです。
 仕事ができているだけでも、生徒達といっしょに音楽をやれているのも、ありがたいというべきことですから、まあ精一杯がんばることにしましょう。

2009年8月13日
 残暑お見舞い申し上げます。
 8月半ばになってようやく夏休みらしい余裕が出てきました。今年は遠出の予定もなく、ひたすら身体と精神を休めることに専念することにしました。要はお金もなく、自宅でたまった本を読んで絵を描いて過ごすだけなのですが、なんだかそうすることが妙にはまってる感じです。外は暑いから出る気がしないということでもあります。休みの日は朝ゆっくり寝ておきたいという、これまではあまり考えたことのないような行動に出ています。
 そんなわけでとうとうこのHPの更新と整理に着手し始めました。毎月のはずが毎学期の通知表みたい。よくよく考えるにもうすぐ満10年。たまりにたまって絵のファイル数も数えられないありさま。自宅の本もそうなのだけど、いろいろ思うところがあって捨てるに捨てられず、整理の苦手なコレクターみたいなものです。
どんな工夫をすればいいのか、あと1週間程の余裕の日々の間に考えて10周年を迎えることにしましょう。

 今回から「今月の新しい作品のページ」を作りました。 

             2009.9.23
 9月初旬、いつものように自転車で学校をめざしていたら、途中の桜の木の葉が3枚黄色くなっているのに気がついた。もう秋の準備かと眺めているうちに、日ごとにその数は増していった。今までそんなかんたんなことにも気づいたことはなく、何も思うところがなかったのだろう。
雑木林の中に入ってスケッチでもと周囲を眺めていたら、なんといろんな枝や葉、草、虫があることに驚いてしまった。僕はほとんどそれらについての知識も何もないのでただ驚くだけである。ああ、なさけななや、いたずらに歳を重ねているだけか、などと嘆いてみたが。いけない、いけない、自分に腹を立てては何も始まらない。これはこの頃心がけている第一のこと。気がつくようになっただけでも成長だ。そう考えよう。
 今年は新型インフルエンザの休校の関係で、夏休みが短く2学期が早く始まった。気候も大きく変化しているし、我々の生活スタイルの季節感も動いている。9月の連休もあっという間に過ぎてしまった。秋を楽しむ余裕がないまま、今年も時間が過ぎてゆくような予感がしてきた。


2009.10.10
おかげさまで10周年。なんか近くのスーパーみたいですが、このホームページを始めてからちょうど10年経ちました。この欄に載せるあいさつも、スタートから10年分を読んでみると、さながら自分の日記のようでもあります。
 前半の5年間はオーケストラにも参加しながらで余裕も少しはありましたが、後半の5年間は授業外の仕事と部活動の指導に追われてかなりのオーバーワークとなりました。そんな中、曲がりなりにも絵を描くことを10年も続けてきたのですから、上達の度合いはさておき、まあ自分で自分をほめてあげましょう。
 やみくもになんでもかんでも載せてきたので、恥ずかしい限りですが、これまでの分の整理と10年分のベストセレクションでもやってみようかと思っています。
 10月の3連休、部活もテスト前のお休みで久々の休日。今日は朝から一日自宅で絵を描いていました。終身日曜画家、はやくそうなりたいなぁ。


2009.11.10
 おかげさまで10周年、などと言っていたらもう1ヶ月たってしまった。秋の訪れとともに木々が毎日変化してゆくのを感じるのが実に楽しい。これをどのようにしたら絵に描けるのか、あれこれ考えるのが楽しい。いろいろと気持ちを新たにすることが多い。けっこうなことだ。もちろんほぼ同量の仕事その他のつまらないしんどさもあるので、妙なバランスが保たれている。まあそう考えておこう。
 職場で机をとなりあう人が、このホームページからダウンロードして、絵を何十枚かパソコンの画面にスライドショーにしてくれている。電気店の宣伝のモニターみたいにずっと絵が写されるのだが、液晶の品質がよく画面が大きいせいか、絵がきれいによく見える。なかなかいいなぁ、なんてまたまた自画自賛。懲りないなぁ。
 人生の転機がなかなか到来せず、迎えることもなく、波乱万丈大して変わることなく、なんかただちょっとずつ衰弱してるだけで、こんなのでいいのかなと思うこともしきり。そういえば自転車の後輪もパンクではないようだが、2.3日すると空気が減ってそのたびに空気入れを踏んでしのいでいる。ああ華麗なる自転車人生


2009.12.15
 1年生の現代社会という科目の授業で、「12月8日という日」のお話しをしたら、すかさず誰かがタレントのだれかの誕生日だとかいうので、先生は11日生まれだけどなぁと返していた。
 11日になってよそのクラスの授業に行ったら、教室に入るなり「誕生日おめでとう!」と生徒達が声をかけてくれて拍手が来た。いつも元気でにぎやかなクラスなのでお祭り騒ぎが好きなのだ。次のクラスに行ったら、同じことになってハッピーバースディだ。このクラスは盛り上がらないので有名なクラスだったので、さすがに驚いた。 放課後吹奏楽の合奏練習に行ったら部員達がみんなで演奏してくれた。
 いいとこあるじゃないか、と職員室で話題になった。子どもたちって、お年寄りの先生がかわいくなるのか、やさしくなるそうだ。そんなとこがこの日の結論で、なにせこんなことは教員になって初めてのことだし、ほのかにうれしいことなので、帰りに自分の誕生日プレゼントに何か思い切って買おうかと思ったが、夜遅くなってしまったので後日に持ち越し。57回目の誕生日。

2010年1月1日
あけましておめでとうございます。
韓国併合100年、平城京1300年、安保闘争50年と日本史の話題には事欠かない。でも私の目下の大問題は定年までのあと3年をどう過ごすか、がである。
 大晦日の新聞に「今年亡くなられた方々」の紹介記事があった。その中に金大中元大統領がいる。彼の最後の講演は「行動する良心たれ」(世界11月号)というものだった。彼は言います。「人は誰であれ心の中に良心があります。しかし、それが正しいと知りながらも行動するのは怖いから、煩わしいから、損をするからと自分の良心を押さえつけたり逃げてしまうこともあります。そのような態度によって、正義感から立ち上がった人々は苦難にさらされている。にもかかわらず我々は義によって立ち上がり闘った人々の達成した民主主義を享受している。これは果たして良心にふさわしいことだろうか」と。
 歳を経るにつれ、だんだんわかってきた。仕事やさまざまな行動は、思想や正義からではなく、おかれた立場やこれまでのいきさつから仕方なく決定され実行されることが多い。平和や民主主義の中で曲りなりにも自分は毎日を送ってきた。自分の与えられた仕事や残りの人生に、きわめて微力ではあるのだが活かさねばと思うのである。行動する良心。


2010.3.14
考えることは多いのにまとまらない、話したいことがたくさんあるのに呂律が回らない。数多く描いているのにうまくできない。あっという間に春がきた。
ある人が茨木のり子さんの「よりかからず」という詩を紹介してくれた。

もはや できあいの思想にはよりかかりたくない
もはや できあいの宗教にはよりかかりたくない
もはや できあいの学問にはよりかかりたくない
もはや いかなる権威にもよりかかりたくない
ながく生きて心底学んだのはそれぐらい
自分の耳目 自分の二本足のみで立っていて 
なに不都合なことやある
 
よりかかるとすればそれは椅子の背もたれだけ


2010.8.10
  (2010.6.20更新予定だった)
 4月から久しぶりに1年生の担任になった。8年ぶりの出場なんてワールドカップみたいだが、まわりのクラス担任がみんな若い先生たちの中、ひとり水戸黄門が奮闘しているような調子だ。あと3年、生徒達とともに卒業という構想なのだ。
 先日クラスの生徒達が自分達のクラススローガンを作って、「41人41色」というのを決めたのだが、彼らは担任のぼくも41人目に入れてくれた。こんなことでもちょっぴりうれしいのだから、家庭状況や病気などいろんなことをかかえながらも、がんばってる子ども達と接していると自分も張り切らねばと思うし、なにより仕事が楽しいことだ。
「これが私の生きる道」
変化球オンリーのピッチャーが戦力外通告を受けるまでがんばります。「三振とるぞ!」
というわけで4月から忙しくしているうちに、3ヶ月も更新が途絶えてしまった。
(そうこうしているうちに又2ヶ月が過ぎて8月になってしまった。ようやく夏休み)

2010.10.24
 毎日をあわただしく追われるように生活しているうちに、夏になり秋になってしまった。やたら忙しくたくさんの仕事を抱えているので、クラスやクラブの生徒達のことや授業に十分な時間がかけられないのが最大の問題で、ましてや絵を描くことなどが後方に退くのは致しかたないだろう。
 ありがたいことに(と思うようになったが)、いい生徒たちにめぐまれ(生徒はいつもいいんだが)、同僚達にも助けてもらって、楽しく仕事をやらせてもらっている。でも社会も生徒達もどんどん変わるし、自分では理解できないようなこともどんどん起こる。これも「ありがたいこと」に悩みは尽きない。
 今年度も半分が過ぎてしまった。光陰矢のごとしである。その速度に自分がついて行けず、ただただ茫然としているだけかもしれない。語るべきこと、論じるべきこと、多々あるのに叶わない。さて如何。今年もまた稔りの秋をスルーして落葉の季節か。

2011.1.1 元旦
 あけましておめでとうございます
 毎日が「師走」であった12月、とうとう年が明けるまで部屋の掃除と整理をしてました。紅白歌合戦をラジオで聞きながら、近年のヒット曲をまったく知らないことに深く反省しつつである。先日久しぶりにTVを見て、「いきものがかり」が「生き物語」でないことに、そして映画のタイトルなどではなくてグループの名前であることを発見した。余裕なく仕事に多忙であった「失われた4年間」を取り戻すべく立ち向かったのに、1910年は同様のことを繰り返した。
 本屋で大学の先輩が出版された本が目に留まり、学生の頃からずっと研究を続けておられることに頭が下がるおもいがした。自分もコツコツがんばらねば、と奮起はするもの、どうみても身も心もメモリーの少ないパソコンみたいなものだ。動きが鈍いし、時々停止する。
 幸い掃除が終わり、睡眠前のひと時、宿敵パソコン囲碁ソフトと対局、久々の一勝を挙げた。今年は何だかやれるのではと期待に胸を膨らませながらの新年のスタート。シンプルライフをめざすシンプル千万な動機。今年こそ。



2011.8.6
 よくぞ仕事ばっかりの生活が続くもんだと、自分でもあきれるばかりだ。きっとこれまでの若い頃と同様のことをしようとするのだが、まったく精神力と体力がスピードについてゆけないのだろう。この4月からも2年生の担任の先生にしてもらって張り切ってはいるのだが、部活や労働組合の仕事も重なって仕事と会わせ三重苦になっている。子どもの頃「苦あれば楽あり」というのがそろばん塾の先生の口癖であったが、たまの休みの日も家でぐったりしていることが増えて、出かけることが減った。楽ではあるが。
 そんなわけで絵の方も、これまで夜中に描いてたことも多かったのに、いつのまにか早く寝て、早く起きる生活なってあまり描けなくなってしまった。気がつけばこのページもいつまでも正月の挨拶のまま。なんとかせねばと奮起して更新作業に入ったのが5月の連休明け、新緑の季節。仕事があって、健康であって、何が不満ぞ、と自分自身に言い聞かせてもう一歩の努力を休憩しながら進めようとしているところです。
そうこうしているうちに夏が来て、ようやく土日に休みがやってきた。「夏が来れば思い出す、日本は週休2日です♪」


2011.9.18
 1週間ほど前、自宅前の桜の木に数枚の黄色い葉を見つけました。小さい秋見つけた心境です。若い頃にはまったく気づくこともなかったでしょうし、見つけていても何も思うところがなかったでしょうね。真夏のせみが鳴いているころにその木を描こうと準備をしていたのに、描きだしたら出来上がった頃にはきっと全然違うものになりそうです。
 この夏休みに友人達とブルガリア、ルーマニアに行ってきました。一般のツアー旅行に混じってですが、コーラス仲間で行ったので少し歌ったりもしながらヨーロッパの田舎へ、という旅行でした。走り描きよろしく奮戦してきましたが、やはり絵を描くには時間がなくいつかゆっくりと時間をかけて旅したいものだと思います。
 2学期が始まり、またあわただしい日々が戻ってきました。クラスの生徒達も少しは大人に近づいて2年生の後半を迎えます。彼らは自分の進路をそろそろ真剣に考え出します。僕も僕自身のことを考え始めます。いっしょに「悩み」ます。この子たちとの学校生活もあと1年半、そんな秋がやって来ました。


2011.10.10
 これを書こうとしてはっと気がついた。創業12年である。ネットの環境はどんどん変わり、今どき12年前の形をそのままにしてやっている人も少なくなったと思われるが、絵を描くのも精一杯で、とてもこのページのリニューアルを構想することなどできないところです。それでも止めていないので、それだけでも自分としては立派なもんだと言い聞かしています。
 今の自転車の走行距離が6000kmをこえました。約1年半でここまできました。ほとんど通勤なのでこれもなかなかのものだと自分をほめています。たまに非番の日曜日、チェーンなどの掃除をするのもなかなか楽しいものです。大切にしていると愛着もでてきて、ずっと走っていたくなるというもんです。
 定年まであと1年半をきりました。それをどのように過ごすのかが目下の大問題。悔いの残らないよう、思いついたことは恥ずかしくてもなんでもやってみよう、できなくてもはずれてもすべっても。そう考えてます。失敗しても気楽です。なにせトシですから。

2011年11月27日
 9月に耐震工事の関係で仮設校舎に引っ越した。
仮設とはいえ新しいHR教室なので、毎日「担任から」として後の黒板に今日の一言のようなものを張り出した。
毎日書き換えても半年分くらいアイデァが出てくるだろう、ベテランなのだから、などと高をくくって始めた。
名言集や詩の一節、歌詞、自分の失敗談などその時の気分と直感で、そこらにある紙にマジックで書いている。
今日のは面白かった、とか反響はほとんどない、がそれで十分。僕としてはそんな高級なことを期待していない。
変な先生が変わったことをやってる、それでいい。学校へ来れば昨日と少し違う、それだけだ。
 小さな本棚を置くスペースができたので、家から画集を持ってきていくつか並べた。
僕の感覚で生徒らが見てもきれい、おもしろいと思うだろうものだけだ。大事にしている本だ。
学校は忙しい、教師はもちろん、生徒もだ。余裕がない。画集などみてる時間などありませーん。
それでもいい。置いてあることにちょっとだけ意味がある。
 ある生徒が冗談にこう言った。「先生、持って行かれてブックオフでも売られたらどうします?」
 こう答えておいた。「そんなことが起こるようだったら、僕は学校の先生を辞める時だなぁー」
そんなことにならなくてももうすぐ辞めるのですがね。

2011年12月11日
ふと気がついた。誕生日だ、自分の。
昨日は組合の年金退職金学習会。否応無しに生き方を探らねばならぬ。どう選択するのですか。まあ何も考えずに生きてきたこと、この上ない。
 この頃異様なスピードで読書に励んでいる。眼が疲れたら小休止。読めなくなったら睡眠。
世の中にはほんとに頭の良い人がたくさんいる。よく調べよく考えよく表現する。ほんとに感心するばかりだ。それにひきかえ自分ときたら・・・などと思うが、落ち込まない。それより知らないことを見つけたことを幸運と思うことにしている。相変わらず読書の直接の動機は生徒に話したいから。ジャンルは広がるばかり。このことはあの子に、こいつはあいつに、これはみんなに。「面白いな、なるほどなぁって思うこと、いっぱいあるぞ」
 なんの根拠もないが、70歳まで生きると想定してものを考えることにした。フィニッシュまであまり時間がないので、また思いついたことはすぐ忘れるので、最後の生き残り戦略として、考えたことは覚えているうちに実行に移さねばと決心した。59歳、がけっぷちの決意表明か。

2012年1月1日
明けましておめでとうございます
 年末に腰を痛め、寝返りができず、おまけに風邪をこじらせ、セキをするたびに海老が踊るがごとくとなってました。3年前の年末の「五十肩」を思い出し、ひたすら寝て病の去るのを待っていました。さすがにベテラン。少しはましになったようなので年賀状を書き始めたところ、年が明けてしまいました。
痛みがちょっとやわらぐと、すごく元気になったように錯覚します。元気ややる気は相対的なもののようですね。そこで今年の年賀状にはまたこの1年のがんばる決意のようなものを書いてしまいました。いわく
・・・・ 今年は辰年、60歳を迎えることになる。生徒や若い世代の人たちが、豊かな暮らしと働きがいのある社会にちょっとでも近づけるよう、残りの与えられた時間を精一杯努力してゆくつもりです。・・・
 あの「公約」はどこへいったんだ、とならぬよう、老体にムチを打ちつつアメを食べ、腰をかばいつ背伸びして、睡眠とりつつ徹夜して、ともかくやってみます。本年もどうぞよろしくお願いします。


2012年1月15日
 年末以来の腰痛も少しはましになって、新学期が始まったのでまた同じように仕事しています。
 1月16日からならざき清春大阪講座の面々による作品展が大阪の中ノ島公会堂ギャラリーで始まります。僕も2枚出しています。出すことは早くから決まっていたのに、結局正月休みでと思っていたところ、腰痛の嵐。なんとか途中まで描いてたものを仕上げて、額装したものの、世間の人にみてもらえるようなものかはなはだ自信はないのですが。よくよく考えるにこうして恥ずかしくもなくいつも公開してますし、音楽でも最高の演奏なんて一度もなく、終わったら後悔ばかりですから、と気を取り直して、よかったら見てください。他の方は大変お上手な方ばかりですので、損はないと思います。
2012年8月27日
 さすがに歳をとったのだと思うことが多い。夏休みに入ってもほとんど休み無しで何らかの仕事をやってるとはいえ、それでも夏休みなんだから少しは心おだやかに過ごしているはずなのだが。帰宅後の疲れがひどくすぐに眠ってしまう。眠るのが楽しみになってるようじゃ、読書も絵もみんな一時休止。それが高じてこのページも行き倒れ。不屈の闘志で立ち上がれ,!とまぁ、そんなにリキむことでもないのですが、この様子では引退後の生活がままならぬこと必至。「自由をとるか、貧困をとるか」このハムレット的大問題を前に、まずは体力と気力だけは確保しなければ。
 クラスの生徒達もこれから受験のシーズンへ、彼らにとっても人生の一大イベント。明るく元気にみんなで突入! ぼくもいっしょに突入! 「先生!だいじょうぶですか、心配しないで下さい、生徒がついてますから」?

2012年10月14日
 とうとう退職するまで半年をきった。このことは生徒にも周知の事実なので、先日の体育大会でもクラスの寄せ書き的なところには、3年生で自分達も最後だが、「人生最後の体育大会、がんばってください」などと励まされている。素敵な若い人たちといっしょに過ごしている時間はまことに楽しい幸せな時間だ。
 入試や就職試験などにチャレンジしてゆく時期なので、最大限生徒たちと話す時間を確保しようとしているが、なかなか思うようにはできない。生徒達も彼らなりにいろんな問題をかかえている。学費や試験料など経済的なことも重くのしかかる。学校を出たとたんローンの返済が待っているようなことでは、やはりどこかおかしいだろう。
 学校や社会が抱えている問題が何にも解決されないまま離れてゆくのはなんとも気がかりではあるが、時間切れまでいっぱい頭と身体を使ってゆきたいものだ。

2013年4月22日
 定年退職しました。3年前から担任の先生として「生徒とともに卒業」なんて言ってましたが、とうとうそうなりました。生徒から還暦祝いや卒業証書をもらったり、職場やOB達にも祝ってもらったりうれしいことの連続で36年の教員生活を終われたことを幸せに思っています。
 3年スケジュール帳を2010年4月から使ってきました。この4月から新しいのに買い換えました。新たな3年日記の始まりです。再任用などは当面しないでしばらく休憩することにしました。少しは生活を変えないといけないと思ったからです。仕事は楽しくやりがいのあることばかりでしたが、あまりにも忙しすぎたと思います。家のこともほったらかしでした。
 オーケストラや合唱団に復帰したり、地元のブラスバンドを手伝ったり、絵の練習をしたり、ていねいにやってみたいことはたくさんあります。家事に勤しみながら、これまで思いついても実行できなかったことをやってみるつもりです。
 生徒達の期待に応えて、のびのびと自由に生きる。生徒達の心配にそなえてボケないで過ごす。まあそんなところでしょうか。

2013年9月10日
 退職して半年がたった。仕事から離れてみて、自由な時間を過ごせることが貴重なことだとあらためて思った。語る場がなくなった時、読書や勉強ができるだろうかとか心配だったが、杞憂だった。考える時間が増えたのでスピードこそは落ちたが、学んでみたいことは山積みだ。とくに保育園の経営や活動を援助するために、まったく違うジャンルの勉強が必要になった。高校生から就学前へひとっとび。一からやるのどんなことでも楽しい。
 音楽の方もまだ手が動くので、せっせとチェロの練習に励んでいる。練習時間が増えたので少しはましになった、と思う。かつて隣人の家庭カラオケ演歌が聞こえる時がよくあったが、近所にどう聞こえているのか、本質的にはいっしょなのだから。絵の方はあまり進んでる感じがしない。やはり基礎的な力のなさゆえのことだと思う。さてどうやって打開するか。練習あるのみには違いないのだが。
 ネット環境がどんどん進化し変わっているのに、ホームページはガラパゴス状態。それはそれでもいいけど、自分の生活スタイルにも合わせないといけない、などと思って目下思案中。
         
2014年1月1日
 明けましておめでとうございます。
 昨3月に36年間の教員生活を終え、定年退職して以来、自由な時間の過ごし方、たいそうにいえば生き方を探ってきました。仕事を離れてはじめて見えてくる、市民としての生活や社会の現実もありました。やってみたいこと、やらねばならないこと、まだまだたくさんあってどこまでもいっても尽きないとも思いました。
 能力や時間には限りがあるのは明らかですから、「年寄」らしくバランスをとりながら、絵画や音楽、歴史の勉強を進めていきたいですね。また保育園や子育て支援の活動も、楽しくやってゆきたいと思っています。
 本年もどうぞよろしくお願いします。


2014年2月19日
 仕事から離れてみて、遅まきながら自分が一市民であることに気がついた。保育園や子育て支援運動に関わりだしてから、あちこちいろんな人に会ったり、町を歩き出してみて、知らなかったこと、気がつかなかったことがいっぱいあることがよくわかった。先日も身近に障害者支援の施設や作業所があることに気づいた。今まで見えてなかったのだと思う。子育てをめぐってもさまざまな困難や問題があることも、ましてや高齢者の介護や生活そのものも。今日は地域の支援活動の教えを請おうと若い担当者に会った。みんな真摯にこつこつと取り組んでおられる。社会福祉に携わっている人たちはみんなえらいと思う。あわせてうれしいことに、そのひとりは20年も前の自分の高校の生徒だった
。つくづく大切なのは人のつながりだなぁと思う。そんなことが少しわかっただけでも、歳とった甲斐があるものですね。