俺が横浜の何でも教える趣味の学校で、ギター教師のアルバイトをしていた時のことだった。俺が好きになった彼女はね、そこに生花を習いに来てたんだ。会社の友達と三人でね。会社は、横浜の造船会社。電話番号?ウン、もう忘れちまったな。俺より三つ年上だったっていうのは後から聞いたことなんだけど、髪の長い、小さな女(ひと)だったな。もう、俺から見たら花の都会のお嬢さんってな感じでさ、一目見た瞬間に、「あっ」ってなっちまって、熱かった。それからはもう、寝ても覚めても、彼女のことばかり、胸が痛い。それで、暮れもおしつまったある晩、彼女達が帰って行くのを一人追いかけた。かなり勇気がいったな。笑われるんじゃないか、なんて。イヤ、笑われたら笑われたで良い! ウン本当は、まず、手紙書こうとしたんだ、でも、住所知らないし、それで追いかけた。もっとも、その時、手紙渡せば良かったんだけど。呼びかけたら、彼女と一緒にいた友達が、嫉妬まじりに嫌な顔して見せ、じゃあ、なんて先に帰って行った。
「あのう、好きなんです。それで、手紙書きたい。良かったら住所教えて下さい」
 彼女、少し驚いてたなあ。でも、その後で微笑んでみせて、住所と、電話番号教えてくれた。駅までの短い坂道、少し歩いた。
「じゃあ」
 後姿、見送った。で、よく考えてみたら、あれっ、俺、好きだって言ったんだな。それで住所を教えてくれたっつうことほ、えええい。やった、ウワワワワワワーッ。
 あれが、きっと天にも昇るうれしさって奴なんだな。バイトを終えてな、一人帰る電車の中、そこにいる人達全部に今夜のこと教えたくてしょうがなくてさ。でも……、教えたら、口に出したら、言葉にしたら、今の、この俺らのしあわせ、逃げていっちまいそうで、恐くて黙ってた。あの時、俺はしあわせのそうてっぺんにいたんだなあ。
 それで、俺は、正月を田舎で過ごそうと、年末の夜行列車で帰って行ったわけだ。彼女に年賀状と手紙書いた。あっそれから、大晦日の晩というか、元旦というか、午前0時に彼女ん家に電話した。こっちは雪が降ってるって言ったら、びっくりしてたな。早く帰って来てって、今、マフラー編んでるとこって言ってた。
 あせるように東京に帰って行った。おふくろ、いぶかしそうだった。お前、東京に良いことでもあんのか、なんて、そんなんじゃないよなんて、俺、力んだりして。
 初めてのデート。横浜。喫茶店に入った。ウン五番街のとこにあるやつ。砂糖を入れてあげた。俺、女の人と喫茶店に入ったの初めてだったから、もう上がりまくっちまって、
 コーヒーカップにたどり着くまでに砂糖がみんなこぼれちゃうんだょ。コーヒーカップ持つ手も震えてたなあ。俺、恥ずかしくて顔もろくに見れなくてな。でも、本当に可愛いなあって思った。こんな俺なんかとこうしていて良いんだろうかなんて思った。これは、もしかすると一つの罪悪ではなかろうかなんてね。テーブルの脇に小さな噴水があって、硬貨がたくさん底の万に沈んでいる。きっといろんなカップルが、どっか外国の泉みたいに、投げ入れていたんだな。日本人なんだなあって思った。結局、俺達も入れたけど。それから、高校生のデートコースみたいに、映画を観た。あっあっ、忘れてた。その前に、マフラーをもらったんだ。マフラーを。あまり、色彩感覚のすぐれた人ではなかったみたいで、いや、着ているものなんて、そりゃもう花の都会のお嬢さんですよ、あか抜けてる。でもマフラーはちょっとな。でも、嬉しかった。大事にするよって言った。
 それで映画なんだけど、アラソ・ドロンが出ていたな。確か、「リスボソ特急」っていう映画で、半分で出て来た。映画なんて見ちゃいないんだもの。暗がりの中で、初めて彼女の手、弱々しく、こわごわ、あいまいにぎこちなく握った。胸、ドキドキしたな。外に出ると夜になってた。腹がへってたけど、食事する勇気なく、もう一度、喫茶店に入った。
「お二人様ですか?」
 ウェイターが聞いた。地下の方に案内された。そこは、薄暗く、椅子は、汽車の座席というか、観光パスの座席というか、みんな一方行向いて並んでいる。二人座った。まわりをちょっと見回してみた。あ然。俺達の隣で、中年のおじさんと化粧の濃い若い女がいやらしくキスをしていた。あっ、眼をふせた。イカソイカン。でも、落ち着いてゆっくりまわりをみてみたら、いろんなカップルが、キスというか、それ以上のワイセツ行為にふけっているんだ、こんな所で。もう一度さっきの中年を見た。中年が、厚化粧が俺達を見た。その二人の眼が、俺達をさしながら、からかうように、挑発するように、それで余計興奮したようにうるんで、また、汚いキスを交した。
 俺は、吐き気がした。ウェイターがオーダーを取りに来た。俺は彼女の手を取って
「出よう!」
 表に出た。そのまま近くの橋まで駆けた。
「……」
「……」
 間がもたなくて、タバコに火を付けた。
「ああ、びっくりした。な、な、何だ、あれ! いやらしいな」
 俺、全く、知らなかったんだよ。同伴喫茶ってのは名前は知ってたよ。でも、中で、あんなことするなんて、しても良いなんて、今思えば、ちょっと残念だった気もするけど、でも、そういえば、表にちゃんと書いてあったな。ウソ、彼女、多分知っていたんだな、都会の子だから。知ってたから、入る時、ちょっと躊躇していたんだな。俺、知らないから、グイグイと彼女の手取って、地下へ降りて行った。彼女、何故かしら顔ふせていたもんな、入る時から、出る時まで。
 でも、あんな光景見ちまって、甘い気分、こわれた。俺、しょげたな。本当は………、俺夢みてたんだ。彼女との甘いキスシーソをな。当分出来そうにないなあって思ったもの。結局、夢で終わったもんな。あの頃、俺、まだウブだったな。笑うな!まじめだ!

 次の日も、次の次も、そのまた次の日も会った。一人でいられない。会っていろんな話ししたよ。故郷のこととか、家族のこととか、子供の頃のこととか、これからやりたいこととか。俺、音楽やりたいって言ったな。彼女少し、不安そうな顔したっけ、その話しした時。3つ年上だって知ったのもその頃だな。俺、同い年ぐらいだと思ってたけど、彼女、悲しそうな顔して、話してくれた。関係ないよ、そんなこと、だって俺、こんなに君のこと好きなんだもの。
 休みの日にほ、横浜の公園めぐりをしたな。山下公園、港の見える丘公園、本牧公園、お金無いから、そんなとこが良いんだ。歩けるだけ歩いた。別になんにも話がなくても、いっしょにいるってだけで良いんだ。写真も少しとったけどな……。江ノ島にも行った鎌倉も、その時初めて。
 江ノ電を途中で降りて七里ヶ浜に行った。まだ風が冷たくて、肩抱いて歩いたな。その日は朝から、彼女の様子おかしくて、ふさぎがちで、俺、恐くて、どうしたんだって聞けなかったんだけど、彼女、海見て泣いてる。
「………。どうしたの?」
 話を聞いたら、彼女、叔父になぐられてきたんだって。その日の朝、家を出る時に。
「ケンカでもしたのか」って、俺はそんなことくらいみたいな気持ちで軽く言ったんだ。
実はずっと親父に言われていたんだよな。彼女、俺と付き合ってること言ったら反対されたんだよ。それずっと俺に黙っていたんだ。それであわてて親が縁談もってきて、近々見合いさせられるって言うんだ。俺、フーンなんて言ったけど、心の中では、怒りと驚きと不安とでグチャグチャ、うろたえちまってさ。
「今まで何で黙っていたんだよ!」
 って。でも、彼女の気持ちわかるし、いじらしくてな。だけど頭が混乱してるから、
「見合いすんのか?」
「だって………」
 彼女、また泣き出しちまうし、俺、困った。帰りの電車、二人とも口きかない。それでも、手だけは握ってて、いくら強く握っても握っても空しくて。彼女、今日は家に帰りたくないなんて言って、俺、その頃、姉貴といっしょに住んでて、アパートには連れて行けないし、ホテルなんて思い浮かばないんだ全然。それで、大丈夫だよ、きっとわかってもらえる、なんて頼りない言葉言って彼女をなぐさめるというか自分をなぐさめるというか、非常に情けない男らしくないことで、彼女とその日別れた。あの夜、彼女俺のものにしておけば良かったな。
 その晩、俺は、眠れなくて、夜中に部屋を脱け出して、アパートのそばにある小さな公
園の水銀灯の下で震えてた。俺、どうしたら良いんだろう、どうしたら良いんだろう。彼女のこと考えると胸が苦しくて苦しくて、涙がどんどんあふれてくる。彼女のこと好きだ、誰が何と言っても好きだ。好きだけじゃいけないのか。ほっといてくれよ。俺達だけのことなのに。そっと見守っていて欲しい。そんな、権利−干渉する権利あるのかよ。
確かに若い、若いよ。結婚?結婚ってなんだ。俺には今、確かに考えられない、でも、いずれほ……。今、結論出さなきゃいけないのか。だって俺、十八だぞ。まだ彼女と会って、付き合って、三月だぞ。でも彼女を好きだ。愛してるってことわからない、彼女のこと全部知らない。俺のこと全部知って欲しい。好きだってどういうことだ。でも一生そうなのか、そういう気持ちでいられるか自信ない。今のことしかわからない。しあわせにできるだろうか?しあわせってなんだ。俺にはやりたいことがある。いろんなこと試してみたい。せっかく高い金出してもらって大学に入った。大学やめなきゃならない、親父、おふくろごめん。でも彼女泣かせるわけにいかない、俺決めた。結嬉するよ、彼女と。
 次の日、彼女に会った。俺、言った。結婚する、結婚しよう、だから見合いやめてくれ。
彼女、嬉しそうだった。俺言った後、少し不安になった。出来るか? でも決めたんだ。
その夜、初めて彼女の家まで送って行った。
「じゃあ、ここで」って言って彼女の家の前で別れようとしたら、バス停まで、俺のこと送るってきかない。月明かりの下で、なかなかさよならが出来なかった。最終のバスがやってきて、止まった。

「じゃあ、ここで、おとうさんにあのこと言ってくれ、さよなら」
 ガラあきのバス。一番後ろの大きなガラス窓。彼女が手を振るのが見えた。それが最後だった。
 二日ばかりして、今夜、彼女の会社に電話して会って、どうなったかって聞こうと思っていたその日の朝、俺の部屋に一通の速達が届いた。彼女の親父からだった。交際やめてほしいという内容だった。君も前途ある有望な青年、家の娘も今、縁談が進んでいるところ、娘も最知しておるので、以後、交際を絶って欲しいとある。俺は、一瞬、何のことだかわからなかった。何だこれは、一体。その後で、怒りが湧いてきた。いい加減にしろ。そんなことってあるかよ。手紙のおしまいの方に彼女のサインがあった。何だよ。これは何だ。こんなもんだったのか、俺達って、こんな、こわれやすい、安っぽい、そんなものだったのかよ。
俺、ピエロだ、まるでピエロみたいじゃないか。さんざん、泣いたり怒ったりして踊らされてただけじゃないか! バカやろう。
……………。
 その後で、その後で、悲しくなった。
わかったんだ。彼女、もしかしたら、俺の為を思って、泣く泣くサインしたんじゃないか。だとしたら、行かなくちゃ、行って、彼女に会わなくっちゃ。このままじゃだめになる。全て、終わってしまうんだ。
…………。

 でも、行けなかった。動けなかった。
足が動かなかった。俺、思ったんだ、その時。このまま、彼女のところに行かなかったら、大学をやめずにすむ、親、泣かせずにすむ。結婚ってピンと来ない。しあわせにできる自信ない。若過ぎるって知ってる。俺、音楽やりたい。いろんなことしてみたい。それにそれに………。
 汚い。汚いって思った。最低だって思った。でも、足が動かなかった………。それっきりだ。それで終わったんだ。今、考えてみると、理由なんて、理由になってないんだ。互いに確かめ合うもの、言葉じゃなくて、もっと深いもの、何ていったら良いのかわからないけど、もしかしたら、それは体なのかもしれない。とにかく、今でも、思い出す度に自分に腹がたつし、心が苦しくなるんだ。でも、あの時、彼女んところに行ってれば、俺、今こんなことしてないよな。彼女、どうしてるかな……。

見送ることも 見送られるのも
きらいだから もうここで良いよ


かりそめの約束はしたくない
嘘になるから
「信じている 信じてる」
君はそう云ってくれたけれど

例えば 君が死にかけてる
その時でも
のんだくれているのかもしれない
君 それでも悔まないか


マッチをすって 最後の一本を
言葉はいらない それが答え
マッチをすって 灯りともして
その時 初めて云える
「三六五日 俺だけを思っていれば良いさ」


俺も君も一人
いつか別れて星になる
信じること きっとそれは
後で 後で泣いたりしないこと


マッチをすって 最後の一本を
言葉はいらない それが答え

マッチをすって 灯りともして
君の眼を その唇を
三六五日 焼きつけておきたい 君が好きだ


マッチをすって 最後の一本を
言葉はいらない それが答え
マッチをすって 最後の一本を
言葉は今いらない

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