ベネズエラ…何が起きたのか?

 2002年7月

この文章は,2002年度の北海道AALA総会で,国際情勢の話として発表したものです.

 

はじめに

 それは衝撃的映像から始まる

 4月11日夜のテレビを見ていた人は,ぎょっとしたに違いない.歩道橋の影に隠れた人たちがかわるがわるに飛び出しては銃を発射している場面だ.その画面にあわせて死者十五人のアナウンスが重なる.

 撃っているのは「独裁者」チャベス大統領を支持する人たち,その先にいる群衆は「民主主義を求める」数十万のデモ隊だ.

 しかし,多少なりとも中南米について知識を持っている私にとって,それは奇妙な光景だった.どうしてこのような絶好の場所から,絶好の瞬間が,鮮明な画像で撮影できたのだろうか? そもそもチャベス支持者は弾圧される側の人たちであって,弾圧する側の人たちではないはずだが…

 それは瀋陽の日本大使館に駆け込む北朝鮮亡命者を捕らえた,あの鮮明な画面を目にしたときの印象とあまりにも酷似していた.あまりにも鮮明なゆえに,どこかうさんくささを漂わせる画面であった.

 外信・報道は反チャベス一色

 その後の外信報道は,虐殺糾弾の記事で埋まった.そしてそれはチャベス大統領の糾弾へと収斂されていった.あまりにも鮮明な映像を前にして,事件そのものに疑問をさしはさむ声は,どこからも聞かれなかった.

 翌日のニュースはさらに衝撃的だった.チャベスが大統領を辞任し,軍事評議会が作られた.まさに軍事クーデターそのものだ.そして臨時大統領に就任したのは,チャベスを相手にたたかってきた財界人の代表だった.アメリカ政府は,たたちに民主主義の回復を喜ぶ声明を発表した.

 そこでも判断を躊躇させたのは,やはりあの鮮明な映像だった.あの映像さえなければ,世界の世論は,決してこのようなクーデターを歓迎しなかっただろう.

 そのまま事態が推移すれば,アフガンと同じように「民主主義の回復」を印象付けるような映像が次々に流され,いつのまにかクーデターが合法化され,チャベスは極悪非道な独裁者として世界中に印象付けられていただろう.

 臨時大統領の辞任とチャベスの復帰

 それから2日たった14日,事態は急転直下した.突如,新大統領が辞任し,チャベスが政権に復帰したのだ.あの大統領宮殿前の広場を埋め尽くした数十万の群集は,一体どこに行ったのだろう.チャベスを政権に押し戻した別の群衆はどこから現われたのだろう.

 それらは,ほとんどニュースにはならなかった.チャベスが,復帰にあたり何を訴え,どんな真相を明らかにしたのかは,分からないままに終わった.

 結局我々の脳裏に焼きついたのは「群集に向かって」発砲するチャベス派の連中のイメージのみである.無知な貧民をだましこんだ独裁者が,またも政権に戻ってしまった,という印象だけが,視聴者のなかに残ってしまったのではないだろうか?

 その後の「報道」で明らかになったこと

 それはクーデターであった

 それらは日本ではほとんど報道されなかったこと

 しかし真相は,テレビで映されたのとはまったく違っている.ネガフィルムのように白黒が逆になっている.テレビで善人のように写っていたのが,実は悪い奴らであり,テレビで極悪非道の虐殺者のように写っていた人たちこそが,実は我々と同じ人たちであり,良い人たちだったのだ.

 そこからは二つの怖ろしさが浮かび上がる.ひとつは善人の振りをして我々に襲いかかる極悪人がいるということである.そしてもうひとつは,一夜にして我々をだましこむ力を,マスメディアというものが持っているということである.

 それは間違いなくクーデターであった.事態の重大さを憂慮した軍指導部がチャベスに辞任を迫り,チャベスがこれに応じた,という宣伝はまったくの嘘だった.チャベスは最後まで辞任を拒否し,捕らえられ,連行され,拷問を受け,カリブ海上の孤島の監獄に幽閉されたのだ.

 米国の下に組織された陰謀であった

 それはチャベス派による虐殺ではなく,反チャベス派による陰謀だった.最初に銃を撃ったのはビルの屋上に待ち構えた狙撃犯であり,その実態は地方から何者かにより動員された現職警察官であり,反動層から資金援助を受けた「極左暴力集団」であった.虐殺された犠牲者は,豊かな反チャベス派のデモ参加者ではなく,貧しい身なりのチャベス支持者たちだった.

 映像を思い出して欲しい.チャベス派の銃口が上方を向いていることに気づくであろう.歩道橋の位置で大統領官邸の防衛にあたっていた民衆に,斜め上方から一斉に狙撃がおこなわれたのだ.チャベス派は,ビルの屋上に届くような小銃ではなく,持ち合わせた短銃でかろうじて対抗しているのだ.

 1973年のチリ・クーデターの再現を狙ったものだった

 この一連の陰謀,市場をかく乱して政府への支持を落とし,マスメディアで徹底した反政府宣伝を行い,資本家ストで世情を世情を不安に陥れ,最後にでっち上げの陰謀で軍部を動かす,この筋書きは30年前にチリでやった手口と瓜二つだ.もっと言えば,40年前,カストロを打倒するために作り上げた「マングース作戦」の筋書きそのものだ.もっと言えば,50年前,アメリカの果物会社が独占していた土地を農民に分配しようとしたグアテマラの政権を,クーデターで倒したときの作戦とそっくり同じだ.

それは「有事」のイメージとぴったり重なる

 この事件は,我々がいまたたかっている「有事」体制とぴったり重なる.「有事」はある日突然やってくる.一夜のうちに事件がでっち上げられ,マスメディアがヒステリックな反共攻撃を開始する.瀋陽事件を見れば,そのことは明らかである.嘘がホントウに,真実が嘘に見えるようになる.

 非常事態が宣言され,反共武装集団(たいていは私服の現職警察官)のテロがバッキョし,反対派(我々のこと)やホームレス狩りがはじまる.その前には拷問と失踪が待ち構えている.赤旗や朝日,道新などは発禁となり,読売・産経・日テレ・フジなどの右翼系マスコミが,危機をあおりたて,石原慎太郎を褒め称え,自民党政府への支持を強要する.

 憲法を頂点とする民主主義的な法体制は,「民主主義の名の下に」無力化される.米国への限りなき忠誠がうたわれ,ブッシュの「悪の枢軸」論がそのまま日本の政策となる.日本の港がすべて米軍の軍港と化し,日米連合艦隊が,北朝鮮の海岸線を埋め尽くし,台湾海峡への挑発をくりかえす.

 圧倒的なマスメディアに対すれば,我々の力は蟷螂の斧に過ぎない.しかしこのページでとりあえず真実の経過を報告することは,まったくの無駄ではないだろう.この文章を読んでくださった方が,ひと回り,ふた回り,真実を広げることに力を貸していただければ幸いである.

 

 チャベスとはどんな人物か

 92年の反乱と新政党の樹立

 ウーゴ・チャベス.元空挺部隊将校.たしかまだ43歳のはずである.曽祖父が農民反乱を指導,獄死したことを誇りに思っている.生まれながらの反逆者といえる.

 西側報道ではチャベスは独裁的傾向を持つ,民族主義的傾向を持つ,左翼的傾向を持つ人物とされている.それらのレッテルはあながち外れているとは云えない.カストロもそうだった.

 20年前に,彼を先頭とする国軍内の若者たちは「ボリーバル革命運動」(MBR-200)を結成した.ボリーバルは,19世紀初めの民族独立の英雄である.それは軍隊ばかりでなく国の政治の改革を目指す秘密組織だった.この組織は,1992年,二度にわたりクーデターを試みたが,失敗に終わった.

 このクーデターは,2.26事件の青年将校たちと選ぶところはなく,到底支持できるものではない.ただ,事件に関与したとして逮捕された将校が二百名に及んだことは,並々ならぬ影響力と言ってよいだろう.

 その後恩赦を受け,出獄したチャベスは,政治組織「第五共和制運動」を結成し議会への進出を狙うようになる.98年の大統領選挙に立候補したチャベスは,政治革新と腐敗の一掃を唱えた.そして一種のブームに乗り大勝をおさめた.

 チャベス政権成立と米国との対立

米国型民主制度の拒否と,新たな議会の確立

 大統領に当選したチャベスは次のように語った.「産業政策の原則は人にやさしいということである.石油一辺倒のモノカルチャー経済により農業は荒廃し,他産業も立ち後れた.貧困により子供が飢え死にする情況は変更されなくてはならない」

 チャベスは,ただちに憲法改正にとりかかった.同時に,軍人7000人および公務員7万人,一般市民20万人を動員する「ボリバル2000計画」キャンペーンを実施した.

 教育予算が二倍化され,百万人以上の児童があらたに教育を受けることができるようになる.給食は無料化された.乳児死亡率は21%から17%に減少した.公共投資は42%増加され,道路の建設・修復工事や学校・病院建設などをおこなった.失業率は18%から13%に減少した.

 チャベスの人気はさらに高まり,一時は90%を記録した.

腐敗官僚の追放と,貧困者のためのさまざまな施策,自由主義経済への批判

 2001年,新憲法が制定され,国会が与党の圧倒的優位の下に置かれたことで,チャベスの政策は一段と鮮明になった.かねてから腐敗をうわさされていた国営石油会社総裁のグアイカイプロ・ラメダが罷免された.後任には左翼系といわれる実業家が就任.米国をバックとする軍や経済界の保守派と,政府との緊張が一気に高まった.

 石油会社の運営権を握ろうとしたチャベスの狙いは,OPEC首脳会議で明らかになった.石油価格の高騰に関して,「その根本的原因は、供給と需要のアンバランスにあるのではなく、石油市場での投機活動と石油消費国の定めた高額な燃料税収にある」とし,自主調整をつらぬくとの態度を明らかにしたのである.

 おそらく決定的に米国を怒らせたのは,1951年以来の米国との相互軍事援助協定を延長しないと声明したことであろう.日本で言えば安保条約の廃棄通告である.9月初め,チャベスは国防省本部からアメリカの軍事代表団が退去するよう要請した.

批判から破壊へ:米国の対応

 米国の対応は初めから冷ややかであった.というより選挙のときからチャベス当選阻止に向け動いていた.しかし当選後は,民主主義的手続きにより選ばれた大統領と認め,クーデター事件以来つけられていた「歓迎されざる人物」のレッテルをはがした.

 その後,チャベスの改革が本格化するにつれ,米国の対応も厳しいものとなった.

 最終的な決裂は2001年11月にやってきた.チャベスは,全部で49件からなる経済規制法案を一気に成立させた.このなかでとりわけ問題になったのは,土地法と炭化水素法である.土地法では,遊休農地を政府が接収し再割り当てすることになった.また炭化水素法では,外国石油企業の税金を17%から30%に引き上げ,ロイヤリティの30%を政府が受け取ることとなった.

 ついに経済団体や地方大地主を相手に,真正面から立ち向かうことになったのである.

本格的な反政府策動の開始

 海外資本の引き揚げが相次ぎ,大資本家と地主達は怒り狂った.12月,彼らはベネズエラ労働総同盟(CTV)の右翼幹部をたきつけストライキを開始した.事実上,資本家丸抱えのストであり,ロックアウトと呼ぶほうが適切だった.

 かつての左翼ゲリラバンデラ・ロハは完全に変質し資本家の別動隊となり,「左から」チャベス政権を非難し,妄動を繰り返した.

 チャベス与党のMVRは,青年行動隊として「ボリーバル主義サークル」(Circulos Bolivarianos)を結成し,右翼の暴力に対抗した.左右両派の対立は,次第に暴力的色彩を帯びるようになった.

 一説によれば,ロハス退役将軍を指導者とする軍の極右派は,2月クーデターの計画を練っていたという.しかしそれはブッシュ政権が時期尚早としてブレーキをかけたことで未遂に終わったとされている.いずれにせよ,今年初めには米国トップとベネズエラ国内右翼層は,クーデターやむなしの意見で固まっていたと見てよいだろう.後はそのやり方とタイミングだけである.

 

 

 カラカスの三日間

「真実は細部に宿る」ということわざは正しいと思う.ここでは知る限り詳細に事件の経過を追っていきたい

 

1.石油会社職員スト

 資本家と労働組合右翼のストの脅しにも,チャベスは屈しなかった.むしろ逆に,石油公社へあらたに7人の幹部を派遣するという強硬手段に出た.公社の高級・中級社員は政府のごり押しに抗議して,無期限のストライキに入った.4月4日,最後のたたかいの火蓋が切って落とされた.

 このストライキによって,石油生産量は2割減少したといわれる.だが,それだけでは不十分だった.

2.労働総同盟と経団連の共同スト

 6日には,CTVと経団連(Fedecamaras)が,石油公社のストに連帯して共同で24時間ストを打つと発表した.経団連会長は,後に2日間だけの大統領となるペドロ・カルモナである.民間テレビ局や新聞は,これに呼応してチャベス非難のキャンペーンを開始した.

 90%の支持を得て大統領に就任したチャベスは,いまや極悪人で,経済の破壊者で,共産主義者で,独裁者で,無責任な扇動者であるとされた.

 9日,ゼネストは始まった.主要産業はほぼ完全にストップした.しかし意外なことに市民は平静だった.

 チャベスはさらに強気の姿勢に出た.ストに賛同している石油公社の重役7人を解雇したのである.そして労働者の最低賃金を2割引き上げると述べた.ただし総同盟との交渉は拒否した.こうして労働者と総同盟との離間を狙った.

 10日,さらにゼネストは続けられた.10日夜にはストライキは無期限に続くと宣言された.しかし,マスメディアを通じた大宣伝にもかかわらず,それがただちに政府危機に結びつく兆候は見られなかった.

 反動派は,さらに戦術を激化させ,直接の武力挑発を狙うことにした.それが11日の大統領官邸への挑発デモと,恐らくは仕組まれた狙撃事件だった.

3.暴力デモの開始 国営石油会社ビルの占拠

 4月11日午前9時半,資本家と労働組合による反政府デモがはじまった.主催者は35万人が参加したと発表した.マスコミはこの数字をそのまま発表した.日本を始めとする各国の報道も,ベネズエラのマスコミ発表をそのまま流した.しかし外国報道機関の評価では,最大5万人程度といわれている.それでもすごい数には違いないが…

 デモの先頭には,解任されたベネズエラ石油前総裁のラメダ将軍が立った.すべての民間テレビ局は,デモの模様を逐一放映.10分ごとに,「チャベスに反対 しデモに参加しよう」と呼びかけた.

 デモは当初,カラカス市内のベネズエラ石油会社の本社ビルに向かった.本社前に差しかかったとき,行動隊がビル内に突入.建物を占拠した.デモは最初から波乱含みの様相を呈した.

4.デモはさらに大統領宮殿へ

 正午を少し回った頃,デモの主催者は大統領官邸に向かうよう指示を発した.当初の予定とは明らかに異なっていた.機を同じくして,反チャベス派の行動隊が,市内のすべての高速道路入り口を封鎖する行動に出始めた.最初は平和的だったデモが,徐々に暴力的な様相を呈し始めた.

 これに対し,直接デモの規制にあたるべきカラカス市警の動きは極めて鈍かった.情報によれば,カラカス市長は反チャベス派の急先鋒であり,デモを規制するつもりはまったくなかったという.

 チャベスは,この日から開催が予定されていたリオ・グループ首脳会談への出席を取りやめると発表.不測の事態に備えることとなった.    

5.両派デモ隊の対峙

 午後二時頃までに,反チャベスのデモ隊は大統領官邸前に集結した.大統領官邸の周辺はミラフローレスと呼ばれる地区で,大統領官邸もミラフローレスと呼ばれている.官邸の前にはパルケ・デ・エステという大きな公園があり,そこに反チャベス派が陣取った.群集の一部は国家警察と衝突,投石とガス弾の応酬が始まった.

 大統領官邸の正門前には,チャベスを防衛しようと支持者が集まり,一触即発の雰囲気となっていった.

 後に明らかになったことだが,このときミラフローレスを囲むビルの屋上には,すでに極左テロ集団「赤い旗」(バンデラ・ロハ)とカラカス市警の警察官のスナイパーが配備されていた.またその後の捜査で,カラカス郊外の町チャカオとバルータ市の警察官が,私服で配備されていたことも,確認されている.

 さらに反共結社「ブラボ・プエブロ同盟」と,「バンデラ・ロハ」の部隊が,大統領官邸への突入へと群集の挑発を試みていた.

6.午後二時半,発砲開始

 バンデラ・ロハがビルの屋上から狙撃を開始した.目標はチャベス派デモ隊だった.たちまちのうちに数人がなぎ倒された.デモ隊の中の数人がピストルを保持していた.彼らは歩道橋の影からビルの屋上に向かって反撃した.おそらく敵の足下までとどいたとは思えないが…

 この後すぐ,屋上に構えたカラカス市警のスナイパーも射撃を開始した.彼らが誰をめがけて発射したかの情報はない.しかし11人とも15人とも言われる犠牲者の大多数がチャベス派の市民であったことは間違いのない事実である.

 まもなく,民間テレビ局は,チャベス派の若者がピストルで応戦するさまを,鮮明な画像で放映し始めた.このショッキングな映像は,やがて一人歩きして,世界中の電波に載せられ発信されることになる.しかしこの映像すら一片の事実を明らかにする.歩道橋にいた彼らが,銃口を斜め上方に向け発射しているのは明らかだ.反チャベス派は彼らの足下の公園に陣取っているのに,どうして銃口が上に向けられるのか?

 そもそも,彼らは官邸を防衛すべく動員された人たちだ.数の上では圧倒的に劣勢である.しかも相手はハナからケンカ腰だ.何かことあれば,すぐにでも暴徒と化す構えだ.一般的に言えば,こちらから先に手を出すなどということは有り得ない.

 

7.非常事態と軍の出動

 チャベスはただちに非常事態を宣言.軍を出動させ市内の治安維持にあたった.また反政府行動をあおりたてる民間テレビ局の放映を禁止し,国営テレビを通じて国民に平穏を呼びかけた.しかしこのときすでに国家警察は,チャベスの指令を無視する動きに出ていた.国家警察は狙撃事件の犯人をまもなく捕らえたが,彼らが市警察の現職警察官であることが分かると,そのまま現場を立ち去ったという.そこには明らかに国家警察トップの意図が感じられる.

 午後6時半,労働総同盟と経団連は共同声明を発表,政府がデモ参加者を射殺したと非難した.声明によれば,政府の関係者が大統領官邸の屋上からデモ隊を狙撃したとされる.

 これは明からさまなフレームアップであり,時間が経てばそれがデマであることは明らかになる.したがって,この声明が出された以上,ウソがばれないうちに,可能な限り速やかにクーデターにまで持っていかなければならない.最終的秒読みが始まったということになる.

8.国家警察の反乱.政治警察の不服従宣言

 まず最初に反乱ののろしを挙げたのは国家警察だった.国家警察長官のルイス・カマチョ・カイルス将軍が,虐殺事件に抗議して辞任する意思を明らかにした.蔵相のフランシスコ・ウソン将軍もこれに続いた.

 その30分後,国家警察の将軍10人が,チャベスの大統領としての権威を認めず,辞任を求める声明を発表した.カラカス市警に続き国家警察も反チャベス派の手に落ちたことになる.

 残るのは内務省直属の政治警察のみとなったが,これも4時間後には不服従を宣言する.警察に対する統率力の欠除は,チャベス政権の最大の弱点だったといえるだろう.

9.アビラ計画の発動

 チャベスは,前もってOPEC事務総長ロドリゲスからクーデターの情報を受けていた.このため緊急防衛計画「プラン・アビラ」を策定.非常時には戦車隊を緊急出動させ,官邸の防衛にあたらせることになっていた.

 午後9時過ぎ,このアビラ計画が発動された.戦車とトラックよりなる一隊が,フエルテ・ティウナ基地から出動.ミラフローレス防衛の体制に入った.しかし,その部隊に後続するものはなかった.第一次部隊出発の直後に,戦車大隊司令官が後続部隊の動員を拒否したのである.

10.陸軍本部とバスケス総司令官の反乱

 その理由はすぐ明らかになった.

 9時37分,陸軍最高司令部の将軍たちが,チャベスへの不服従を宣言した.宣言は「チャベスの市民に加えた許しがたい蛮行に抗議し,反乱を起こす」ことを明らかにした.この抗議には,バスケス陸軍総司令官を含む軍の高級将校10人が同調した.

 もはや戦車隊長の思いを超えたところで事態が進行していたことになる.なお後の情報によれば,この「宣言」の時点で,最高司令部内には二人の米国人将校がいたことが確認されている.クーデターへの米国の関与は,今後さらに詳しく明らかにされていくだろう.

11.特殊部隊の大統領官邸突入とチャベス拘束

 陸軍が反乱を宣言した瞬間,チャベスは裸になった.もちろん軍事的にそうなっただけで,政治的にも無力化したというわけではない.個人的にチャベスに忠誠を誓う将兵は五万といる.だから時間が問題なのだ.

 午前0時,陸軍の特殊部隊が大統領官邸に突入した.そしてチャベスを拘束した.

 大統領の近衛部隊は反撃を加えなかった.チャベスの側近バレートの証言によれば,それはチャベスの無二の親友で,空挺部隊の指揮官バドゥエル准将の指示だったと言う.反乱側にとって時間が勝負なのと同様,チャベス側にとっても時間をどうやって稼ぐかが問題だった.チリのクーデターにおいては,クーデターの前すでに完全に外堀は埋められていたが,ベネズエラでは外堀は健在だったからである.

12.チャベスの「辞任」と強制連行

 まもなく軍を代表する三人の将軍が大統領官邸に入り,大統領辞任をもとめチャベスと交渉した.交渉役は最初二人と発表されたが,後に三人とされた.しかし陸軍以外の軍幹部が参加しているかどうかは明らかにされなかった.

 交渉は難航した.午前3時を過ぎたころ,ついにチャベスの辞任が発表された.しかし本人の辞任表明はなかった.彼の居場所も明らかにされなかった.実際には,そのとき彼は辞任を拒否したまま,陸軍最高司令部へ連行されていたのである.

 同じ頃,海軍は,自らも反乱に参加しているとの声明を発表した.ここまでは陸軍の独走だったことになる.

13.軍民評議会の成立.労働組合はカヤの外に

 もしそれがクーデターでないとすれば,立法的な手続きは当然副大統領の昇格を要求する.この隘路を,軍部は「チャベスがカベージョ副大統領を解任した後,自らも辞任した」とする詭弁で乗り切ろうとした.何故なら「カベージョこそが,テロの直接の指揮者だった」からである.「虐殺」デマの上に「辞職」デマ,そしてまたもやデマである.

 そのとき経団連会長のカルモナが突然手を上げた.「望まれるなら,私が暫定大統領となろう」と.しかしカルモナには,何の法的権限も継承権ない.彼が大統領になってしまうような民主主義が,はたしてホントウの民主主義だろうか.

 それが当初からの計画だったのか,事の成り行きでそうなってしまったのかは,いまのところ良く分からない.この過程で,彼のパートナーであるべき労働総同盟は,まったくカヤの外に置かれたからである.しかし三日間のゼネストと昨日のデモを指導した人物として,国民の前に繰り返し姿を現し,マスコミの寵児となった彼を大統領とする以外に,軍クーデター派としては選択の余地はなかった.

 このあたりから,反チャベス派の筋書きは狂ってくるのである.

14.バスケス,チャベス派活動家への攻撃と「魔女狩り」を開始

 言うまでもなく,このクーデターの最高の立役者はエフライン・バスケス陸軍総司令官その人である.チリで言えばピノチェトの位置を占めている.だが残念なことに,バスケスにはピノチェトほどの構想力も非情さもなかった.

 12日午前,バスケスは 「武装解除計画」と称するチャベス派分子の一斉摘発を開始した.未登録の武器を押収するという口実で,家屋や車の強制捜査を合理化したのである.また「ボリーバル・サークル」の活動家を見つけ出し,武装解除し,強制解散させることも指示された.

 作戦を主として担ったのは,軍の保安将校とカラカス市警だった.

 チャベス派議員や政府高官に対する魔女狩りが始まった.容疑は何れも虐殺事件に関与した疑いだ.9.11移行テロ糾弾というのは錦の御旗だから,これで片っ端からあげてしまおうという魂胆だろう.

 治安責任者のロドリゲス前内相は,自宅アパートで逮捕された.居合わせた群集は,手錠をかけられたロドリゲスを殴り,リンチにかけようと詰め寄ったとされる.

 さらにバスケス総司令官は,カベージョ副大統領とリベルタドール市長ベルナールの捜索を命じた.カベージョは武装部隊「ボリーバル・サークル」の中心人物であり支援者であるとされ,ベルナールは屋上の狙撃手に直接,発射を命じた指揮官だとされた.彼の心中は,本来の大統領後継者カベージョを捕らえるまでは穏やかではなかったろう.

 チャベスを支持するキューバの大使館へは民間人(?)を装った一群による襲撃が加えられた.キューバ大使館がカベージョをかくまっているというのである.そのときカベージョは知人宅を転々としていた.人民の海は広く深かった.

15.カルモナの爆弾発言

 バスケス総司令官はカルモナを大統領にすえたことで臍をかむ羽目になる.

 12日午後,カルモナは就任後初の記者会見をおこなった.まず彼はチャベス政権のあいだに決められた重要法案50件を破棄すると発表した.ここまではまだ良かった.ついで国民議会を解散し,12月に新たな国会議員選挙を実施すると表明した.つまり8ヶ月間を議会なしで過ごそうというのである.最後の仰天はすごい.最高裁の判事全員をふくむ20人の裁判官,12人の州知事,チャベス派市長の全員を解任する,そのうちの多くは逮捕・拘留されるだろうと述べたのである.

 カルモナの声明と,バスケスの行動は,反チャベス連合の大多数にとって想像を超えるものだった.それは「クーデター内クーデター」とも呼ぶべきものだった.

 カルモナももともと将軍のひとりである.彼は一貫して軍内の極右勢力と結びついていた.新政権の国防相に就任したラミレス提督を師と仰ぐ彼らは,「オプス・デイ」という狂信的カトリック教徒の秘密結社に属していた.その教義はあまりにも古色蒼然たるもので,19世紀的専制社会の再現を夢見ていた.

16.クーデターへの国際的反響

 最大の国際的反響は,国際石油価格だった.チャベス失脚の報を受けた市場は一気に6%も値下がりした.その理由は石油公社幹部が,「米国の要請を受け,OPEC割り当て30万バレルを大幅に超える増産体制の準備に着手する」と発表したことである.これだけでもクーデターの国際的な意味がはっきりと読み取れる.

 実はこのとき,国際石油市場は大変な事態にあった.イスラエルのパレスチナ侵攻が激しさを増し,中東諸国ではシャロンを事実上支援する米国への憤激が高まっていた.そのなかでイラク,リビアが相次いで石油輸出の制限を呼びかけた.折からの原油価格の高騰のなかで,OPEC議長国ベネズエラの対応が,国際的に注目されていたのである.

 米政府のフライシャー報道官は,「ベネズエラは民主主義の回復に向け動き出した」と賞賛し,政変がクーデターであるとの見方を否定した.この「クーデターではない」という米政府の一言が,最後までクーデター派を苦しめることになる.

 IMFスポースクスマンのトマス・ドーソンは,定例記者会見でクーデターを賞賛.「我々は,新しい政権を,どんな問題ででも援助するための準備ができている」と述べた.明らかに内政干渉というほかない.だいたいベネズエラはIMFの援助対象国ではない.その前にアルゼンチンはどうするのだ.

 ニューヨーク・タイムズ社説は,チャベスを「破滅的な扇動家」と非難することで,事実上クーデターを支持した.「彼はカストロやサダム・フセインと深い仲にあった.ベネズエラの民主主義が潜在的独裁者によって脅かされることは,もはやなくなった.民主主義のベネズエラは,漂流する南米地域のための錨となるだろう」と.天下のニューヨーク・タイムズといってもこんなものである.9.11以降の米国世論の絶望的なまでの保守化を,あらためて実感せざるをえない.

 いっぽうコスタリカで開かれていたリオ・グループ会議は逆の立場を表明した.会議に参加するはずだったチャベスを除く18人の大統領は,「ベネズエラでの立憲的な秩序の中断」を非難する声明を採択した.しかしアメリカに遠慮したか,チャベスに対する反感からか,新政府の承認拒否にまでは至らなかった.

 チャベスとベネズエラの立憲体制を断固として支持したのは,もうひとつの中南米の民族主義の国,キューバのみであった.

17.バドゥエルの不服従声明 チャベス派の反撃開始

 満を持していたバドゥエルは,12日午後,カルモナの権威を認めないとし,不服従の態度を明らかにした.

 ラウル・バドゥエル准将はマラカイ(カラカス南西100キロ)の第42空挺旅団の指揮官.この旅団はチャベスの出身部隊でもある.この旅団は,落下傘部隊を中核に二千人のエリート・コマンドを擁していた.また本拠地のマラカイ基地は,ベネズエラの保有するF16戦闘機の大多数を擁するなど武器・軍需品も豊富だった.したがってバドゥエルが反乱を起こせば,即内戦となるのは火を見るより明らかだった.

 これと軌を一にして,チャベス派の反撃も始まった.

 クーデター派の最大の弱点は,クーデターでありながらクーデターではないと強弁するところにある.クーデターでないとする根拠は,チャベスが自発的に辞任したという以外にはない.ところが肝腎のチャベスの姿はどこにも見えない.チャベス派の反撃もここに集中した.

 チャベス内閣の閣僚が相次いで地下から声明を発表した.チャベス政権の司法長官,労働相,教育相がクーデターを非難しチャベスは辞任していないと声明.チャベスの娘マリア・ガブリエラは,「軍の一部が父を捕らえ,どこかに隠している」と述べた.彼女はさらに12日の朝チャベスと話した内容について語った.彼女によれば,チャベスは「決して辞任などしない.カベージョ副大統領の解任に同意もしていない.そのことを世界に知らせて欲しい」と述べたという.

18.13日朝,チャベス派の大群衆が出現

 この頃,チャベス政権内で最大の実力者と目されるランヘル外相は,チリ大使館への亡命が伝えられたが,実はカラカス西部のスラム街に入り,クーデター反対のデモを組織することに集中していた.

 その努力は翌日朝,実った.数万の群集が大統領官邸周辺に出現した.11日に広場を埋めた市民とは,まったく違う,薄汚れた失業者や不安定労働者の大群だ.

 集会には,逃亡を続けていたカベージョ副大統領が姿を現し,暫定政府が受け取ったというチャベスの辞表を公開するよう要求.「チャベスの帰りを待とう」と呼びかける.

 チャベス派の拠点であるカラカス西部のスラムでは,警官隊とのあいだで事実上の戦闘状態となる.市内少なくとも7ヶ所で市民の暴動が発生.チャベス派の兵士が,市民に銃を配り始めた.群集の一部はラジオ・カラカス,ベネビジョン・テレビを攻撃.首都とシモン・ボリーバル国際空港を接続しているハイウェイをふさいだ.

 チャベス派の蜂起は,マラカイ,グアレナス,ロス・テケス,コロなどの地方都市にも拡大していった.

 バドゥエルは官邸に電話をかけ,カルモナを呼び出した.そして「チャベスが拘禁されているのと同様に,あなたも私たちに拘束されている」と伝えた.官邸の周囲はチャベス派群集によって包囲されていた.官邸からの脱出は不可能だった.バドゥエルは24時間の猶予を与え,チャベスの解放を求めた.

19.労働総同盟,カルモナへの支持を拒否

 この日午前,労働総同盟はカルモナへの支持を拒否するとの声明を出した.労働総同盟の幹部は,長期にわたり政権を担当してきた民主行動党の党員で,チャベスなど大嫌いという連中である.反チャベスで資本家と共闘して来たつもりが,すっかり利用され,クーデター後には相手にされず頭にきたのだろう.身から出た錆というものである.

 しかし労働者が離反したことで,クーデターの「民主的」な外観はすっかり剥げ落ちた.米国が支持を続ける根拠も失われたのであるから,この声明のもつ意味は大きかったといえるだろう.

20.フリオ・ガルシア将軍が不服従声明.軍の分裂

 もう一つ大きかったのは,バドゥエルに続いてフリオ・ガルシア将軍が新政権に対する不信任を突きつけたことである.ガルシア将軍は,国家保安・防衛会議の事務局長という大物.しかもキューバのテレビ局との電話インタビューを通しての声明というおまけつきである.

 軍幹部は恐れをなした.カルモナ=バスケスの独裁政治もいやだが,内戦はもっといやだ.

 こうして軍部は,中道右派のバスケス司令官派,極右のロハス派,バドゥエルらの立憲派の三派に分裂,そのほかの多くは洞ヶ峠を決め込んだ.

 これを見たバドゥエル准将指揮下の第42空挺旅団は,やおら出撃準備を開始した.

21.バスケス総司令官,カルモナ支持を事実上取り下げ

 カラカスは恐慌に陥った.戦車を粉々にするミサイルを積んだF16ジェット戦闘機に乗って,バドゥエルの落下傘部隊がやってきたら,カラカスの防衛軍などひとたまりもないだろう.地上には人の生命などへとも思っていないスラムの住民が,カービン銃を手に待ち構えている.

 バスケスは苦渋の決断を迫られた.そして決断した.13日午後4時半,バスケス司令官は全国テレビ放送で声明を発表した.新政権は間違いを犯したと.そしてカルモナ支持の条件として,国民議会の即時再開など13項目の要求を掲げた.ようするにクーデターから手を引いた.

 国民議会を再開すればどうなるかははっきりしている.筋金入りの闘士であるウィリアム・ララ議長が,クーデターを拒否し,新政権を拒否することは明らかだ.つまりこの声明は敗北宣言に他ならない.バスケスは負け戦をひっくり返すにはあまりにもナイーブで,あまりにも早見えだった.

22.近衛兵団,カルモナを放逐

 バスケスがあまりにも先の見えすぎるペシミストだとすれば,カルモナはあまりにも出来の悪い楽天主義者だ.バスケスに13項目要求を突きつけられた後でさえ,カルモナはCNNのインタビューにこう応えている.「この数時間のうちに,彼の願いどおり,チャベスは国を去るだろう」と.つまりチャベスを解放すれば連中はおとなしくなるだろうというわけである.

 クーデターはでしゃばり右翼のカルモナと優柔不断なバスケスのあいだで分裂した.この時点でクーデターは終わった.

 クーデターを最終的に崖下に突き落としたのは,大統領官邸を守る近衛部隊である.夜の7時を過ぎた頃,大統領宮殿を守る近衛兵団3千人が反乱を起こした.彼らはカルモナを宮殿から追放した.カルモナはティウナ基地へ逃亡した.

 代わりに大統領官邸に入ったのはウィリアム・ララ国会議長である.彼はカルモナの放逐とカベージョ副大統領の昇格を発表した.カベージョ副大統領は,「秩序と法律は、ベネズエラで復旧された」と宣言.この発表は,ちょうどこの頃制圧されたベネズエラ国営放送を通じて全国に流された.カベージョはあくまでチャベスが政権に復帰するまでの暫定大統領である.

 これを見たカルモナは,夜10時過ぎ辞任を表明,ここに三日間にわたりカラカスを恐怖に巻き込んだクーデター劇は終わりを告げたのである.

23.ミラフローレスで最後の衝突

 その後の捜査で,チャベスがベネズエラの海岸沖のOrchila島に捕らえられていることが明らかになった.ベドゥエル准将は,「チャベスは監禁中に殴られ,肝臓、膀胱損害のために治療を要求した」と語った.

 14日午前,クーデター派は最後の反撃を試みた.反チャベス派のデモ隊がミラフローレスの前に現われたが,チャベス派の軍勢により蹴散らされた.バスケス陸軍総司令官に事態を打開する力はもはや残っていなかった.民間テレビ局の多くは,チャベス派により占拠された.

24.チャベスの生還

 午後三時,チャベスを乗せたヘリがミラフローレスに到着した.ヘリは上空を旋回し,群集の歓迎に応えたあと大統領官邸に降り立った.赤いベレー帽のチャベスは歓迎に応え,こぶしを突き上げるが,特にこのときにコメントはなし.

 まもなくチャベスの記者会見が始まった.チャベスは冒頭,拘留中は死を覚悟したと述べた.そのあとクーデターの間も支持してくれた各国元首に感謝のを評した.反対派への対処に関しては,「最後の数日間に流血事件を引き起こしたものたちは裁きを受けなければならない.しかし反対派に対して復讐も魔女狩りもおこなわない」と述べた.

             

 その後の動き

  チャベスと政府

 16日,チャベスは反対派代表との和解を目指し,円卓会議を持った.席上チャベスは,「我々の側からの発砲がなかったかのようにいうのは間違っているだろう.射撃は両者の側から起こったといわざるを得ない」と,しおらしい台詞をはいた.カストロがよく使う手である.

 彼は,ともに社会改革のため働くよう呼びかけた.そして「クーデターの背景を調査し,裁かれるべき罪が何なのかを突き止める.クーデターはラテンアメリカの悪しき伝統となっている.この伝統を根絶するような方向で努力が払われるべきである」と表明した.

 また米国に対しては,「民主主義を強く支持する国が,陰険で専制的なクーデターに関与していたなどとは信じたくない.したがって米国に対する告発は控えている」とエールを送った.このエールに応え米国務省はベネズエラに特使を派遣.チャベスと会見し,「クーデターとのいかなる関係も否定」してみせた.

 米国の対応

 米国政府はあわてふためいた.なにせベネズエラはOPEC議長国であり,ベネズエラと敵対することはOPEC全体を敵に回すことにもなりかねない.

 フライシャー報道官は,数カ月前から反チャべス勢力と接触していたことを認めた.ただし,「反対派の指導者に対して、米国がクーデターを支持しないことを明言した」と述べ,その場を取り繕った.そして「ベネズエラの政治は,国民が平和的に、民主的に、そして憲法に則って、解決すべきものだ」と吹き出したくなるようなお説教をたれることまでやってのけた.

  しかし,クーデターへの米政府の関与は,早くも各方面から明らかになりつつある.ニューヨークタイムズは五月初め,チャべス大統領を支持していないことを示唆する「非公式で微妙なシグナル」を米当局が送ったと報じた.情報の出処は国防総省とされている.    

 国内反チャベス派

 大物が続々と海外に亡命している.自宅拘禁中だったカルモナは,5月末コロンビア大使館に逃げ込んだコロンビアは受け入れの方向を固め,チャベスもあえて引き止めることはしなかった.

 退役海軍提督カルロス・モリナは、エルサルバドルに政治亡命をもとめた.エルサルバドルはカルモナ政権を承認した唯一の国である.イサアク・ペレス将軍はイスラエルの武器販売代理店の援助でアルーバ島へ逃亡した.

 両派の和解を調停すべく,いまや定番となった「平和の使者」カーターがベネズエラに飛んだ.しかし4日間の精力的な交渉にもかかわらず,相互の不信を埋めることはできず,和解には至らなかった.

 一時は鳴りを潜めたものの,6月に入ってふたたび反チャベス攻勢を強めている.7月に初めには数万人規模の反チャベスのデモが組まれた.これらの動きへの米国の関与は明らかではない.

 

 なぜ,日本で事件の全貌が報道されなかったのか

 おそらくいちばん正確な解答は,「あまり関係ないから」ということだろう.確かにベネズエラは地球の反対側,遠い国である.プロ野球のペタジーニくらいしか知られていないだろう.日本の移民もほとんどいないから,南米のなかでも知られていない国のひとつである.

 また南米でクーデターといえば,年中行事のようなものだ.チャベス自身もやっている.いみじくも彼が述べたように「クーデターはラテンアメリカの悪しき伝統」となっている.

 だが私はあえてかんぐりたい.そこには「有事とは何か」が,あまりにもはっきりと浮き出されているから,日本のメディアは報道をためらったのではないか?

 はっきりしているのは, 「有事」は作り出すもの,作り出されるものということである.レシピは簡単,材料は軍隊と資本家とアメリカ大使館.敵は労働者と貧しい市民.味付けは「アカ」でも,「テロリスト」でも,「ドラッグ」でも,何でも良い.

 一番大事なのはマスメディアである.私が思うに,情報には三つある.正しい情報とあやまった情報と,どうでも良い情報である.マスコミによる世論操作には三種類ある.選択し誇張した「事実」(というよりデマ)を伝えること,膨大な無駄情報を伝えること,正確な事実と大事な真実を伝えないことである.ベネズエラの場合も,この三つの操作が集中的に用いられていると,言えなくもない.

 いま私たちが取り組んでいる「有事法制反対」の運動に対して,この文章がいささかでも役立てばと願っている.

下記のページは必見です.反チャベスのデモが富裕層(白人)によるものであることが,豊富な写真で証明されています.

 http://www.geocities.com/Athens/Styx/5592/whitecoup.html